オルフェウスとの冷めたお茶会があった日の翌日。
リーネを連れて馬車に乗り込んだ私は、朝から屋敷を出て街の中を移動していた。
「お嬢様。本日はドレスを買いに行くとのことでしたが、何故直接向かうことにされたのですか?いつもでしたら、デザイナーをお屋敷の方に呼んでいらっしゃるのに」
「そうね。たまには、外に出てお買い物をするのも悪くないかと思っただけよ」
「そうでしたか。では、他のところにも立ち寄られますか?」
「ふふ。リーネは相変わらず勘が鋭いわね」
「ふふふ。何を隠そう、お嬢様をここまで育てたのはこの私ですからね。伊達に、子供の頃からお嬢様のお世話をしてきたわけではありませんよ」
「あら。確かにそれもそうね」
「はい。それでは、予定通りまずはブティックに行くということでよろしいですか?」
「えぇ。それで構わないわ」
「承知いたしました」
さすがリーネだわ。
私と一緒にいた時間が長いからか、彼女は私の本当の目的がドレスを買うことではないと見抜いて、その上で話を進めてくれる。
本当に、リーネはこういうところが一緒にいて楽だから、私もついつい彼女に甘えてしまうのよね。
これはあれだ。
馬鹿と話すのが疲れるように、天才や空気が読める人と話すのは言葉が少なくて楽って感じのあれと同じだ。
馬鹿は何を言っても言葉が通じないし、自分が信じたものや知ってることしか言葉にしないから疲れる。
けれど、天才や空気が読める人は少ない言葉である程度のことを理解してくれるから、話していて楽なのだ。
--天才は、一を聞いて十を知るっていうのに少し似てるかもね。
それはそれとして、この後のことが楽しみだわ。
だって--今日の本当の目的は……復讐のための布石となる駒を手に入れることなのだから。
『わぁ~!!カルナ!すっごい似合ってるよぉ~!!』
『ふふ。ありがとう。なら、これも買っちゃうわね』
『次!あっちのドレスを着てみてぇ~!』
『わかったわ』
高い天井と落ち着いた照明、それに漂う新しいシルクの上品な香り。
店内へと一歩足を踏み入れただけで、ここが丁寧に作られた空間だということがわかった。
並べられているドレスやアクセサリーも見事なものばかりで、見ているだけで楽しくなってくる。
--ここまで美しく整えられた空間にいると、なんだか気持ちまで少し柔らかくなってくるわ。
王都一のブティックも伊達じゃない…なんて、最初は思っていたのだけれど。
そんな素敵なブティックへと足を踏み入れてから、もう随分と時間が経ってしまった。
最初は少しだけドレスを見てから出るつもりだったのだけれど……思いの外、リアが私のドレス選びにハマってしまった。
いや、もっと言えば、私を着飾ることそのものに楽しさを覚えてしまったようだ。
その結果、あれも着てほしいこれも着てほしいとせがんでくるから、予定よりも長くブティックに滞在してしまっている。
とはいえ、今日は早めにお屋敷を出てきたから時間にはまだ余裕があるからいいのだけれど、このままだとドレスを選ぶだけで一日が終わってしまいそうだ。
「ふむ。結構時間が経ってしまったわね」
「お嬢様、そろそろ出られますか?」
「そうね。ただ、ここからは私一人でちょっと街を見て回りたいから、リーネは私が戻ってくるまでの間、ここでお茶をしながら待っていてくれる?」
「そ、それはダメです、お嬢様。お嬢様をお一人で行かせるなど……」
「大丈夫よ。フードを持ってきたから目立つことはないだろうし、私の魔法の腕はリーネもよく知っているでしょう?すぐに戻ってくるから安心して」
「で、ですが……」
「リーネが心配してくれているのはわかるけれど、私だっていつまでも子供じゃないのよ?自分の身くらい自分で守れるわ。それに、あなたが心配すべき子供は、私よりもあなた自身の子供でしょう?」
「確かに私には自分の子供がいますし、とても大切でもありますが、お嬢様のことも本当の子供のように大切に思っております。ですから、どうか無茶だけはなさらないでください」
「ふふ。ありがとう」
リーネは優しい性格だから、私のことを本当の子供と同じくらい大切に思ってくれているようね。
本当に、死に戻ってもリーネは変わらず優しいままで良かったわ。
「あの、騎士も連れて行かないつもりなのですか?」
「ええ。今回は一人で行くつもりよ。その方が、早く用事も終わらせられるだろうし」
「止めても無駄なんですね?」
「無駄ね。仮に隠れてついてきたとしても、振り切るから大人しく待ってるほうがいいわよ」
「……はぁ。わかりました。私は大人しくここでお嬢様のお帰りを待っておりますね。どうせ、ついて行っても振り切られるのですから」
「ふふ。理解してくれてありがとう。なるべく早く戻ってくるわ」
「当然です。遅かったら、大声でお嬢様の名前を呼びながら探しますからね。ですから、怪我などせずに戻ってきてください」
「わかったわ」
心配性のリーネは、そうは言いつつもやっぱり心配なのか、私を見る彼女の瞳には不安が込められていた。
だから、私はそんな彼女を少しでも安心させるため、大丈夫だという意味を込めてニコリと笑う。
「それじゃあ、行ってくるわね」
「はい。お気をつけていってらっしゃいませ」
そうしてリーネと別れた私は、ブティックを出る前に事前に持ってきていたローブを羽織り、フードを被る。
「さて…それじゃあ、彼女が使う予定の二つ目の駒を奪いに行きましょうか」
ふふ。これからの展開が楽しみだわ。
この先、聖女が自分の駒を私に奪われたと知ったら、一体どんな顔をするのか。
--あぁ。想像しただけでも笑えてくるわね。
きっと今の私は、悪女と呼ばれるにふさわしい笑顔を浮かべているはずだわ。
だから、そんな笑顔は隠してしまわないといけない。
本物の悪女は、悪意を内側に隠すものなのだから。
ということで、そんな悪い笑顔を隠すため、前にも使っていた黒い狐のお面を付けた私は、お面の下に笑みを隠しながら、人ごみの中へと溶けていく。
--音もなく、静かに。
全ては…回帰前のような冤罪ではなく、私らしい復讐を果たすためだ。