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4 廃墟探索

「いや、お前。そこはユカリちゃん達との付き合いを優先させろよ? 言っておくけどな、お前ぐらいの年頃にとっては勉強と同じぐらい、いや、それ以上に友達付き合いが」


「うっさいなぁ。そんなん、言われんでもわかってるわ」


クドクドと続く相手の説教をさえぎり、うちは言った。

知らずと口調がきつくなってしまう。


日曜日の午前。

うちは山中へと続く国道を走る軽トラック――、荷台にスーパーつかもりのロゴが入った配送用社の助手席に座っていた。


「そら、うちかてユカリ達と遊びに行きたかったよ」


ため息交じりにうちは続ける。


「でも、しゃあないやん。童ノ宮の神様がわざわざ夢の中までうちに会いに来たんやから。……それってつまり、うちが何とかしろってことやろ?」


「それは……」


「あんな、養女とは言えうちかて塚森家の一員やろ? それなりに気を遣ってんねん。ちょっとでも氏子の人達に信用してもらお思って。その辺、理解しといてもらわんと……」


「ああ。わかったわかった」


面倒臭そうにため息をつく運転手。


「それで? あいつ――半分、焼けたヌイグルミをお前の夢の中に連れて来たんだって?」


あいつ、というのはうちの養家――、塚森家が先祖代々守って来た神社、童ノ宮の神様のことだ。


神様の名前はカガヒコノミコト。

稚児姿の神様で天狗神・秋葉三尺坊大権現の化身、もしくは生まれ変わりとされている。

最近だとネットの影響で、稚児天狗って言う通り名のほうが有名だ。


「うん。何か頼み事したかったみたいなんやけど途中で話せんようになってもうて――」


「後は察しろってことか。……全く神様ってのは回りくどいよな」


肩をすくめ、苦笑いを浮かべている運転手の名前は鳥羽リョウ。


髪は短く切りそろえ、肌は日によく焼けて浅黒く精悍な顔立ちをしている。

白い無地の半袖のシャツの下にはまるでプロの格闘家のように筋骨隆々とした厳つい体躯をしており、立ち上がれば身長が2メートル近くもある。


仕事着であるエプロンにはスーパーつかもりのロゴとマスコットキャラクターの可愛い天狗がプリントされている。巨体とアンバランスなのが、逆に愛嬌になっていると思う。


見た目は若く大学生ぐらいにしか見えないけれど、童ノ宮の氏子のなかでは最も古参の一人だ。


塚森家の親族とは広く親交があり、お父さんも子どもの頃はよく遊んでもらったそうだ。

うちにとっても何かと世話を焼いてくれる親戚のお兄さんのような存在だけど、本人曰く生まれは平安時代だそうだ。


もし嘘つきや頭おかしい人でないとしたら、リョウはとんでもないお年寄りと言うことになる。 


「……大体だな。どうして、いつもあいつはキミカの枕元に立つんだ?」


窓の向こうに流れてゆく景色――鬱蒼と茂った雑木林を眺めているとリョウが問い掛けてくる。その声には明らかに不満の色があった。


「頼るなら生前付き合いの深かった俺じゃないのか? どうなんだ、その辺?」


「さ、さあ……? うちに聞かれても……」


やがて、うちらを乗せた車は山の中腹へと差し掛かり、一面雑草に覆われた駐車場と思しきスペースへと進入していった。片隅に『立ち入り禁止』の立て札があったが、それは無視する。


「さて、と……」


サイドブレーキを引き上げ、気を取り直したようにリョウが言った。


「あいつがキミカに見せたっていうのはあの建物のことか?」


自然と眉間に皺がよるのを覚えながら、うちはリョウの指さす方を見る。


夢の中で見た通り、そこに立っていたのは中世ヨーロッパの城を思わせる大きな建物。

だけど、こうやって改めて現実の景色として見てみると何だか安っぽくて、まるでハリボテのような印象を受ける。

壁面もあちこちが剥がれ落ちて地面で砕け散っており、長いツタがビッシリと絡み付いている。


湿気のせいか、建物全体が黒ずんでいて廃墟であることは一目瞭然だった。


「うん。ほんの一瞬だったけど間違いない、と思う……」


「そうか。ま、この辺に城の形をした建物なんて他にはないし間違いないだろ」


小さく頷き、運転席から降りるリョウ。

そして、そのまま建物に向かって歩いてゆく。

慌ててうちもその後に続いた。


建物の入り口は赤錆びた鎖で何重にもまかれ、錠前が取り付けられていたがリョウはそれをつかみ、軽く引っ張るだけで引き千切った。


あい変らず馬鹿力やなぁ、と思いつつもうちはリュックサックの中から懐中電灯を取り出し、電源スイッチを押す。


暗闇の中を光線がほとばしり、光の輪の中に内部の様子が浮かび上がらせていた。


朽ち果てかけたソファーや柱時計、真っ二つになったガラス製のテーブル、派手な模様のじゅうたん……。


長い時間の間、この黴臭い闇の中に取り残されて来たであろう調度品たちはそのどれもが悪趣味で、何だか悪夢じみているように思えた。


部屋の奥には仕切りに囲まれた受け付けのようなスペース。

不届きな輩が忍び込み、荒らしたのかもしれない。古いレジスターが台の上で横倒しになっていた。


「なぁ、リョウ。ここって……?」


「ここはキャッスルランドと言って見ての通り、廃墟になったラブ……いや、ホテルだ」


うちかてラブホぐらい知っとるし、どういうことをする場所かぐらいは知っとるわ。

喉元まで出かけた、そんな言葉をうちは辛うじて飲み込む。


リョウはうちのことを初めて出会った七歳の頃と同じだと思っている節がある。

そりゃ、うちの身長は百四十センチ未満でクラスでも一番チビだけど、これでももう十三歳で中学生だ。露骨に子ども扱いされるのは不本意、と言う気持ちになってしまう。


「――おっと、階段発見だ」


懐中電灯から伸びる光を振り回していたリョウの声が低く響く。

非常口とプレートの貼られた重たそうな鉄製の扉を片手で押さえ、その向こうを覗き込みながらリョウが言った。


「ここから上の階に行けそうだな。……床板が腐っていたりしなきゃいいんだが」


こうして――、うちらはリョウいわく、ただのホテルの二階から順番に探索を開始した。

とは言っても、これと言って変わったものは何も見つからなかった。


ホテルは全部で四階建て。客室の数は全部で九部屋と案外、規模が大きい。

とは言え、どのフロアも同じような感じで各寝室に残されているのは枠組みだけとなった大きなベッドぐらいのものだったし、天井のシャンデリアを模したと思しき照明器具は全て砕かれ、蜘蛛の巣だらけだった。

当然ながらシャワールームの水は止められていて、タイルの床はひび割れ得体の知れない虫の巣窟となっていた。


廊下の隅に置かれた避妊具の自動販売機の受け取り口にも残留物が残っていたようだが、そんなものキモチ悪だけだし、いちいち確認するまでもない。


「……このホテルは平成の半ば頃、廃業したらしい」


何もないガランとした小部屋――タオルや衣類などを保管するためのリネン室だろう、多分――を覗き込みながらリョウが言った。不自然なくらい声が低かった。


「廃業? なんで?」


「オーナーがギャンブルにはまり、多額の借金をかかえて失踪、だそうだ。以来、ここでは幽霊の目撃談が後を絶えないらしい」


「……それって全部、ネットで拾った情報やんな?」


「ああ。眉唾だな。だけど、輩連中がナンパした女を無理矢理、連れ込み乱暴したって事件は実際にあったらしい」


……聞かなきゃよかった。


もし、その話が本当だとすればこんな暗くて汚い場所で、語るのもはばかられるような酷い目に遭わされた女の人がいると言うことだ。


ある意味、下手な怪談よりもずっと怖い。

いや、怖いだけじゃない。すごい嫌悪感を覚える。


「……もう、ここはええんちゃう?」


自分の中の暗い感情に飲み込まれそうになって、敢えて明るい声でうちは言った。


「何もないモンはいくら見たって何もないって。次行こ、次」


「……そうだな」


短く答え、リョウがリネン室のドアを閉める。

バタン、と言う重い音が闇に満たされた廃墟の中に響き渡った。


「……結局、目ぼしいものは何もなかったし、誰かが潜んでいる様子もなかったね」


「まあ、廃墟だからな。……少しでも価値のある物は誰かが運び出したんじゃないか?」


「こーゆーうら寂れた場所にはモウジャや怪異の類が良く吹き黙るって聞くけど……。あいつら、こんな場所で一体、何してるん?」


「あちら側のやつらの考えなんて、俺にだって分からんよ。ただ……」


「ただ?」


「この世に収まる場所がないやつってのは、いつの時代にもいるからな」


そんなやり取りを交わしながら——、うちとリョウが辿り着いたのは屋上だった。

手にした懐中電灯以外、一切の光源がない闇の中から眩しい陽の降りそそぐ世界への久しぶりの帰還だ。


高所に吹きつける風は強く冷たかったが、長時間、淀んだ空気に浸されていた身体には心地良いとさえ思えた。


ふと、うちは転落防止用の赤錆びた金網のフェンスに目を止めた。


嫌が応にも夢の中で神様がうちに見せた一連の映像が思い出される。


それは恐らくここを訪れた、あるいはこれからここを訪れる誰かの視界だ。

その誰かは、ただ一人、この廃墟の中を歩き進め、真っ直ぐにこの屋上まで辿り着いた。そして、躊躇う素振りすら見せず金網をよじ登り――、飛び降りた。


真っ逆さまに、地面に向かって。


「恐らくウサギのヌイグルミは――、あるいはヌイグルミに憑いてるやつは、飛び降りを防いでくれと伝えたかったんだろうな」


「そういうことやと思う」


リョウの指摘にうちは首を縦にふる。


「さて。これからどうするかだな」


顎に片手を当てながらリョウが言った。


「タイミングを見計って警察に誰かが廃墟に侵入したと通報するか、あるいは童ノ宮崇敬会の連中に事情を話して交代でここに張り込んでもらうか……。まあ、そんなところだな」


「え、ちょっと待ってや」


驚いてうちは言った。


「ここまで来て――、他人任せはないやろ? 夢で……神様のお告げうけたんは、崇敬会の人らやなくてうちやで?」


「それはそうだが……。自殺志願者がいつここに来るかもわからないだろう?」


「今日!」


半ばヤケになってうちは言う。


「その人が来るの今日やと思う!」


「思うって……。キミカ、お前な……」


「だから、うちが――ううん、うちとリョウでその人が飛び降りるの止めんと!」


「…………」


うちとしては思いっ切り譲歩したつもりだったが、リョウは露骨に苦い顔。

そんなリョウに向かってうちは手を合わせて懇願する。


「お願い! うちかて塚森家の人間として……! その、留守番ぐらいちゃんとできるようになりたいねん!」


短い沈黙の後――


「……分かった」


大きなため息をつきながらリョウが言った。


「だけど、万が一ってこともある。この中では俺の言うことを聞いてもらうからな。……それでいいか、キミカ?」


「う、うん! 聞く聞く!」


場違いとは思いつつも、うちは弾んだ声で答える。


この場面で声を弾ませるのは、どう考えても不謹慎だったが――、お父さんがお勤めから帰ってきた時、人の命を救えたと報告できるかもしれないと思うとワクワクして仕方がなかった。


「……じゃ、一旦、ここを出るか」


来た道を振り返り、リョウが言った。


「キミカが見たのは陽がだいぶん、西に傾いた頃だったんだろ? それまで、どこかで昼飯でも食って時間を潰そう」


「じゃあ、うちは――」


うどんが食べたい、と言いかけた時だった。


リョウの顔色がサッと変わった。

もともと大きな瞳がさらに大きく見開かれている。

その視線は一点に釘付けにされていた。


「リョウ? どないしたん?」


不安に駆られ、うちはその視線を追いかけていた。

そして、思わず息を飲む。


さっきは気がつかなかったけれど、うちらが車を停めて来た、コンクリートが打ちっぱなしになったスペースの少し先に大きな落書きが描かれていた。


それは石灰で描かれた円形の枠組みの中に閉じ込められた、一匹の青い魚……。

両目が不自然なまでに大きく飛び出しているから金魚かもしれない。


「何だ、これは? 誰がこんな馬鹿デカいものを……。いわゆる、グラフィティーアートってやつか?」


「ひょっとしたらバスキアの幽霊の仕業やったりして……」


リョウがうちをチラリと見た。

非難がましい目つきだった。


肩をすくめ、うちは言った。


「……冗談やんか」


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