十分ほどバスで揺られた後。
うちとアンディーは自然と手を取り合い、巡間町の停留所に足を降ろしていた。手袋の布越しに感じるアンディーの手――いや、前足か――はとても柔らかくて暖かで心地が良かった。
怪異にも体温ってあるんやなぁ……。
ちょっとした発見にうちが感動していると、ポーチの中でスマホが振動。
取り出し確認してみるとショートメールが数件届いているとの表示。
送り主は全て、コウだった。
お父さんの亡くなった一番目の妹さんの息子で、うちのことをメチャクチャ嫌っている六つ年上の従兄弟……。
思わず小さく舌打ちが出た。
込み上げてきた苛立ちに任せて、メールの内容も確認せず、うちはスマホをポーチの中に突っ込み直していた。
「キミカちゃん? どうしたのですか?」
「ん。何でもない。それより――」
不思議そうに首を傾げるアンディーに向き直り、うちは言った。
「首輪に書かれていた君んちってこの辺やで? 見覚えとか、ないん?」
「えーっと……」
うちに促され――、周囲を見回すアンディー。
しばらくの間、鼻をひくひくとさせ、住宅街のなかを静かに吹き流れる風のにおいを嗅ぐようなそぶりを見せていたが、
「うん! ここ、アンディーのお家の近くです! 覚えてます!」
にっこり笑って言う。
……実際には相変わらず舌を口の端から出し、ハッハッと息をしていただけだが、少なくともうちには頭の中で響いた声が喜びで溢れているように思えた。
「そっか。それならあと一息、頑張って探してみよか。アンディーのおうち……」
「うん!」
念のため――、もう一度スマホを取り出し、アンディーの首輪に取りつけられていたプレートの住所を地図のあんないアプリに打ち込む。
少し間を置いて、目的の住所はここから徒歩で十分前後と表示される。
夢ノ宮のアーケード街までを散歩コースと考えると……。
結構、距離あるなと思った。
朝夕、マルチーズのココロを近所まで大体三十分ぐらい散歩に連れて行っているうちの体感で言えば、急ぎ足で歩いたとしても一時間半ぐらいはかかるんとちゃうやろか。
それってなかなかの労力だと思うけど、それだけ飼い主はアンディーを大事にしていたということなのだろう。
そんなわけで、アプリが示す道順に従い、うちらは住宅街の中を歩き始めた。
陽は西の空に大きく傾き、雲を茜色に染めあげながら滲むような黄金色の輝きを放っていた。
「なぁ、アンディー……」
道路に長く落ちた、自分の影法師を見つめながらうちは言った。
「ちょっと、うちの話、聞いてくれる?」
「はい? なんでしょう?」
「あんな。約束通り、これからアンディーのお家に向かうけど――、心残りがなくなったら今度はうちについて来てほしいねん」
「キミカちゃんにアンディーが……?」
「うん。ちょっとアンディーに会って欲しい人がおんねん。……その、人って言うか、神様やねんけど」
「……」
「そ、その神様は童ノ宮って言うてうちら塚森家のご先祖様なんよ。絶対、アンディーを悪いようにはしないって約束するから……。このままだと、その……」
「よくないことが起るかもしれない――、ですか?」
思いがけない言葉にうちは歩みを止めていた。
「アンディー、あんた……」
「アンディー、わかってました。自分が前とは全然違うなにかになっちゃったって。……もう、アンディーはアンディーじゃないのかも」
はぁ、とため息をつき、ションボリした目で耳を伏せるアンディー。
「だけど、どうしてこうなったのか。アンディーはぜんぜん、覚えていないんですよね……」
「それは……」
うちは言葉を失っていた。
こんな反応がかえってくるとは夢にも思わなくて。
慰めるべきか、励ますべきかうちが考えあぐねていると――
「あっ! あれ見て!」
今泣いた鴉がもう笑った、というやつだろうか。
悲哀など微塵も感じさせない、明るく歓喜に満ちたアンディーの声がうちの頭で響く。
「あそこはアンディーの大好きな場所! パパとママが良く連れて来てくれた、トムやジュリちゃんも大好きな場所!」
両手を大きくあげ、尻尾をふり乱しながら駆け出すアンディー。
その先に見えたのは小さな公園だった。
柵に囲まれたベンチが一つ、砂場が一つ、象を模した滑り台が一つあるだけの。
多分、アンディーの飼い主はここを遊び場にしていたんだろう。
アンディーと彼の兄弟のために。
「キミカちゃん! キミカちゃんもこっちに来て! キラキラが見えて綺麗だよ!」
滑り台の上からアンディーが笑い声で呼びかけてくる。
キラキラと言うのは、夕暮れ時になってともりだした家々の灯りのことだろう。
すっかり忘れていたけれど、もうじきリョウがうちの様子を見に塚森家を訪ねて来る時間だった。
「それまでに帰れたらいいねんけど……」
思わず苦笑しながら、公園に向かってうちは歩き始めた。