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第五話 手紙

 それはわたしが若い頃、妻の美紅に送った手紙の数々だった


 わたしが大学生だった頃にはまだパソコンや携帯電話が普及する前だった。だから異性に対する好意の意思表示は、面と向かって言うか、電話を使うか、はたまた手紙ぐらいしかなかったのである。

 面と向かって告白する勇気がなければ、誰かに伝言を頼むという方法もある。しかし、それでは男らしくないと取られかねない。かといって彼女の電話番号を入手するのも困難を極める。それどころか、電話口に出るのが本人ばかりとは限らないのである。

 家電いえでんの場合には父親が出てくる場合もある。わたしの知ったところでは、電話口に母親が出て、緊張のあまりその母親に向かって告白してしまった輩を知っている。

 最終的な手段としてはやはり手紙が最善だった。なにしろ目の前に本人がいないのだからなんとでもなる。相手の心情に訴える文章さえ書き上げれば、難攻不落の恋を勝ち取ることだって可能なのだ。もちろんその場で断られることもないから自尊心もわりと傷つかなくて済む。


 それはなんとも懐かしく、そして気恥ずかしい稚拙ちせつな手紙の数々であった。あの頃のわたしは純粋だった。妻を振り向かせるのに必死だったのだ。

「それにしてもヘタな字だなぁ。こんなこと書いたんだっけ?・・・・・・ぼくには好きな“みく”が三つあります。ひとつはローリング・ストーンズのミック・ジャガー。それと食べ物のミク(肉)じゃが。それに菅沼美紅さんあなたです。・・・・・・アホなのかおれは」

 一通ずつ苦笑しながら懐かしく読み進んでいくと、その中に見知らぬ手紙を一通発見した。封筒を裏返しても差出人の名前が見あたらない。

 わたしは仏壇に飾ってある妻の写真をかえりみた。

「悪いけどちょっと読ませてもらうよ」


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