「そもそも大学が駅から中途半端に遠すぎ!」と文句を言いながら神社の境内へと続く長い階段を
あ、まずい、落ちる、死ぬかも、と思った瞬間、背中に強い衝撃を受け意識を失った。
どれくらい気絶していたのかわからない。数分だったのか数時間だったのか。強く肩をゆすられて目覚めた。眠い…まだ寝ていたいと、再び
「え、なに?」
何を言ってるのかわからなくて、聞き返しながら目を開け起き上がると、目の前に美しい顔の男がいた。なぜか桜を見て驚いた顔をしている。
桜も思わず見つめ返した。
えっと…外国の人?まあ、私もおばあちゃんがイギリス人だから、四分の一は外国の人なんだけどさ。それにしても、すっごい髪色。なんとかブルー…あ、ターコイズブルーとかいうの?派手な色に染めてるね。目の色は普通だ。でもきれいな琥珀色。すごいイケメンだな。イケメンがなんで私の目の前に…。
そこまで考えて思い出した。階段から落ちたのだ。もしかしなくても、このイケメンが助けてくれたのか?この人は観光客?でもさ、どうしてそんな驚いた顔をしてるの?さすがに驚きすぎじゃない?え?私、頭を打って血が出てたりする?でも痛いのは背中なんだけど。
桜は頭を確認しようと手を上げかけたが、だるくて動かない。そのうち、また目が回りだしたので、もぞもぞと横になる。横になりながら周りの様子を見た。天井も壁も床もアイボリー色で統一されていて、掃除の行き届いたきれいな部屋だ。置いてある調度品が高価そう。寝ているベッドも頑丈な木材で作られているようで、頭側には見事な彫刻が彫られている。シーツもいい匂いがする。というか、部屋全体にいい匂いが充満している。そして大きな窓が一つ。南側にあるのか、部屋の中がとても明るい。外は曇っているのに、とても明るい。
ここってすごくいいホテルなんじゃ…。でもこの辺に、こんないいホテルってあったっけ…。
ぼんやりとそんなことを考え、そういえば助けてもらったお礼がまだだ!と気づいて口を開きかけたその時、目の前の男が、いきなり何かを手に
桜は男が手に持った物を見て、一瞬動きを止め、次に泡が吹くほど驚き、勢いよく起き上がった。目が回りふらつくが、それどころではない。
「わ、私のパンツ!」
「~~~?」
「なんて?何語?ぜんっぜん!わかんないっ」
男が発する言葉がわからない。英語でもフランス語でもドイツ語でもイタリア語でもない。今までに聞いたことのない言語だ。
男も桜の言葉が理解できないらしく、首を
「いやいや!私のパンツを持った奴が優雅なことがあるか!それに今気づいたけど着替えさせられてるじゃん!私の服どこ?今日は相沢先輩に会うからお気に入りのワンピースだったのに!いや、まあ今もワンピースみたいなの着せられてるけど、なんでノーパンなの?あー!どうしよう。言葉が通じない。てか、ここ日本でしょ?この人が話せないだけで、他の人は話せるんじゃ?」
桜は早口で
「え?なんで?ちょっと待って…私、監禁されてる?」
恐る恐る振り返ると、真後ろに男がいて悲鳴をあげた。
「ひゃあ!」
男は真顔で桜を見ていたが、ふいに吹き出す。
笑われたとわかった桜は、口を尖らせて男を
なに、この人、失礼じゃない?確かに「ひゃあ」はおかしいけど。せめて「きゃあ」って言えばよかったのだけど。本当に驚いた時に「きゃあ」は言えないよ。
桜が頭の中で悪態をついていると、ようやく笑いがおさまった男が、何かを思い出したような顔をして、部屋の奥の棚の引き出しから小さな容器を取り出した。木で作られた小さな容器のふたを開けると、鮮やかな青い色の、木の実のような物が出てきた。それを指で摘まみ、男の一連の動作に見とれて、ぽかん開けていた桜の口の中に押し込む。
「んあ?」
桜は驚いて吐き出そうとするが、男に鼻と口を押さえられて吐き出せない。不可抗力で飲み込んでしまい、桜は男を思いっきり突き飛ばした。
「ちょっと!何を飲ませたの!毒?私を助けたのに殺すの?それとも動けなくしてどこかに売り飛ばすとか?」
わあわあと
行動が意味不明で腹立つ!こういう人苦手!相沢先輩と大違い!そもそも階段から落ちた人がいたら、救急車を呼ばない?なんで家かホテルか知らないけど連れ込んでるの?これってもう、誘拐じゃん。変なものを飲ませるし、パンツ持ってるし!はっ!私のスマホどこ?警察呼ばなきゃ!
頭に血が
倒れた桜に驚いて、男が片膝をつき支えてくれる。階段から落ちた時といい今といい、助けてくれたことには感謝する。だけど失礼で不可解な行動は許せないから!
腹が立ちながらも「どうも…」と一応の感謝の言葉を発すると、「おまえは落ち着きがないな」と声がして、桜は目を見開き、男を凝視した。
「なんだ?まだ言葉がわからないか?」
「…いえ、わかります」
「だろうな。俺もわかるようになった。しかし、先ほどの実、意思疎通ができない者に飲ませると言葉がわかるようになると聞いて、嘘だろと半信半疑でもらったのだが、本当に効くのだな。驚いた」
「ちょっと!そんな怪しげなものを私に飲ませたのっ」
「言葉が通じないでは困るだろうが。結果、何事もなかったのだから、これでいい。ところで俺はシリルという。おまえは何という?」
「え?あ、さくら…です。あのっ、初対面の人におまえって言うのはどうかと思う」
「なんだと?…ふむ、そんなことを言われたのは初めてだ。なぜダメなのか?」
「え?何この人、怖い。失礼だからに決まってるでしょ」
「おまえ…サクラも先ほどから失礼な態度の連発だがな。どこの田舎から出てきた?」
「田舎?」
「どこぞの田舎娘だろう?」
「はあ?」
「態度が悪いな」
「別に普通ですけど。というか、私は田舎娘ではありませんけど」
「では、どこから来た?」
「私は生まれも育ちも、ここですけど。シリル…さんこそ、どちらからいらしたんですか?」
「俺こそ、生まれも育ちもここだ」
「嘘でしょ?そんなに住んでるのに日本語が話せ…な…あれ?」
桜は首を傾げた。今、自分は日本語を話している。しかし耳から入るシリルの言葉は聞いたことがなく意味不明だ。だけど頭の中で翻訳されている。どういうこと?…あ、もしかして、あの青い実を食べたから?
桜の様子を見ていたシリルが、息を吐き出す。
「ようやく理解したか?おま…サクラは、俺が領地内にある教会にいたところ、いきなり空中に現れ落ちてきた。驚きすぎて助けられなかったが、頭を打たなくてよかったな。落ちた場所は石畳だったからな」
落ちてくる私を受け止めてくれなかったのか!しかも下は硬い石畳なのに?と突っ込みたいところだが、それよりも聞きたいことがある。
「ちょっと待って。ここは日本の花森町よね?」
「二ホン?ハナ…?何を言ってる。ここはイースド国ノベ領だ」
「どこそれ?」
「だからイースド国ノベ領だ」
あまりにも情報量が多すぎる。桜は考えることを放棄して眠ってしまいたかったが、今だシリルが桜のパンツを手に持っていることが気になり、眠ることもできない。桜はシリルに手を差し出す。
「まあいいです。とりあえず、あの…それ、私のパンツを返してください」
桜の目を追って、シリルが手の中のパンツに気づき「ああ!」と持ち上げる。
「これはパンツというのか。変わった物だから、何か聞きたかったのだ」
「まさかと思うけど、それ…シリル…さんが脱がせたの?」
「まさか。俺は紳士だ。無断で人の衣服を脱がせはしない。サクラの服が
紳士は女子のパンツを持たないわよ、とは口に出しては言わないけど、目がそう語っていたのだろう。シリルが桜にパンツを渡してきた。
「ほら、返せばいいのか?ところで、これは何に使うのだ?」
「何って…
シリルは一瞬ぽかんとして、「ああ!」と納得する。
「なるほど。
「え、あっ」
桜にパンツを渡そうと伸ばしていた腕を、シリルが引っ込めてしまう。そして扉を開けて、扉近くの壁にぶら下がった鈴を鳴らした。すると、すぐにシリルより年上の、真面目そうな男の人が来た。
「お呼びでしょうか?」と男がシリルに頭を下げる。
「ジャン、おまえに頼みがある」
「はい」
男は顔を上げて、次の言葉を待つ。
シリルは、男のことをジャンと呼んだ。
ジャンは茶色の髪だ。普通だ。その辺を観光している外国人みたいな容姿だ。やはりここはホテルで、シリルとジャンは旅行者で、私を
「これと同じ物を作れないか?ハンナに聞いてみてくれ」
「かしこまりました。しかし、これは一体何でしょうか?」
「下履きらしい。これは布が少なく軽量だ。きっと量産すれば売れると思う」
「そうですね。さすがシリル様。このことを旦那様にはお伝えしますか?」
「いや、実物ができて売れる算段がついてから報告する。父上に俺の屋敷に来られると
「かしこまりました」
ジャンがパンツを
桜は黙って二人のやり取りを見ていた。
目の前で主従の芝居をしていた二人に、これ以上何を聞いても「ここはイースド国ノベ領だ」と言い張るに違いない。何の目的があって嘘をつくのか知らないけど、空中からパッと現れたなんて話、信じられるか!パンツも取られたし最悪だ。
桜はシリルを見つめた。
桜の視線に気づいたシリルが「何だ」と眉を寄せる。
「あの、助けてくれてありがとうございました。もう大丈夫ですので、帰ります。お礼はまた後日、持ってくるのでっ」
「は?あ、おい!」
桜は一息に言うと、鍵が開いた扉から部屋を飛び出した。揺れる視界に耐え足を前に出して走る。そして目についた扉に手をかけて押すと、広いバルコニーみたいな場所に出た。そこから見える景色を目にして「なにこれぇ!」と叫ぶ。
今いる場所は三階だろうか。高い。そしてここから見える景色が、見たこともない色をしていて、驚いた。驚いたけど美しくもあり、見とれてしまう。どんよりと曇った空から落ちてくる雨が、青い。目の錯覚じゃない。桜の目の色みたいに青い。そして見たこともない美しい鮮やかな色の鳥が飛んでいる。
この建物を含む敷地は広く、ずっと遠くに敷地を囲む高い塀が見える。敷地の中には広い庭があり、それこそ様々な色の花が咲いている。しかもすごく大きな花がある。なにあれ。人くらいありそう。あんなの図鑑でも見たことない。ここはまるで、おとぎ話に出てくる世界だ。
「うそ…ここって本当に、もしかしなくても異世界なの?」
ぽつりと
神社の階段から滑り落ちて、違う世界に来た?そんなことってあるの?現実に?そういえばあの神社、神隠しの噂があったけど…本当だったの?でも、日本にこんな景色はない。それに敷地内にいる人達の髪…あんな髪色ないよね?皆染めてるわけ?初対面のシリルが私をさらって監禁する理由がないなら、やはりここは異世界って思うしかない。…でもまあ、何とかなるか。あの階段から落ちて、頭を打って死ななかっただけマシだよ。うん、そう思うことにしよう!
桜は元より楽天的な性格だ。そして何でもいい方へと考える。だから、とりあえず今の状況を受け入れることにした。
桜は立ち上がると、じっくりと景色を見た。落ち着いて見ていると、テーマパークに来ているような気がする。
「そうだ、ここはテーマパークだ。うん、きっと楽しいよ」
「テーマパークとは何だ?」
「ひゃあ!」
いきなり後ろから声が聞こえて、また変な悲鳴を上げてしまった。
「ぷっ!」
「ちょっと!笑わないでよ。いきなり声をかけられたら驚くに決まってる…ます」
シリルが笑っている。真顔の時は、冷たい怖い顔なのに、笑うと意外にかわいくなる。
そんなことを思いながら見ていたが、桜は急に寒さを感じてブルっと震え、自身を抱きしめた。
そういえばノーパンだった…スースーするし、この服一枚じゃ寒いよ…ん?今気づいたけどブラジャーはしてる。着替えさせる時、取らなかったんだ?よかった。ブラジャーまでシリルに掲げられたら、殴ってたかもしれない。
桜は両腕をさすり、シリルの横を通って部屋に戻ろうとしたその時、ふわりと暖かい物に包まれた。驚いて顔を上げると、シリルが上着を脱いでかけてくれていた。
「あ…ありがとうございます」
「おまえ…サクラが勝手に逃げたのだから、ほおっておいてもいいが、風邪をひかれたら面倒だからな。よく聞け。ここは俺の屋敷だ。明日から、ここで働いてもらうぞ」
「働く?どうして?」
「おまえ、自分の立場をわかっているのか?いきなり現れた時は驚いたが、まあ不思議なことは、時々起こる。たぶん魔術師が放った魔術の巻き添えでもくらったのだろう。そしておまえは訳が分からないことを言う。二ホンとかハナなんとかとか。
「はあ…わかりません」
「そうか。ならばここに置いてやるしかないではないか。置いてやるからには、働いてもらわねばならない。いいな?」
「え、いやだ」
「はあ?おまえは
「嫌です」
「サクラ、なんど言えばわかる。放り出さない優しい俺に感謝しろ。おまえに拒否権はない。とりあえず部屋に戻るぞ。来い」
シリルに腕を掴まれ連れていかれる。
腕を引かれるままに歩く桜は、「家に帰りたい」と呟き涙ぐんだ。