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第8話 迷子の桜

 翌日、休みをもらっていた桜は、同じく休みのララを自室に招いた。

 椅子に座って良い香りのする紅茶を飲みながら、昨日の話を聞いてもらう。

 馬が想像よりも揺れて酔ってしまったこと。激しい揺れで、今も腰とお尻が痛いこと。教会はとてもきれいで荘厳で素晴らしかったこと。でも年齢不詳な神父さんが少し怖かったこと。帰りに山から街を見たこと。山菜取りの男達に会ったこと。また教会に行きたいことなどを話した。

 ララは、心配したり目を丸くして驚いたり笑ったりしながら、真剣に聞いてくれた。

 その様子を見ていて、ララは聞き上手だし本当に良い子だと思った。

 ララは紅茶を一口飲み、「あのね、神父さんだけど」と口を開く。

「とても優しくて領民に慕われてる方よ?怖くなんてないわよ」

「そうなの?」

「それに奇跡の力を持ってるの!」

「奇跡の力?」

 なんだそれ、インチキなやつ?

 桜は興味なさげに聞く。

 ララは、隣に座る桜に顔を近づけた。

「そう!隔週末にね、軽い病の人達が教会に行くの。手足や腰が痛いとか、頭痛や腹痛や目まいがするとかの人が。その人達の痛い箇所や悪い箇所を、神父さんが治してくれるんだって」

「へぇ」

 それって神につかえる尊い神父だと皆が思い込んでるから、治ったと思うんじゃなくて?と思ったけど、口に出しては言わない。それに、続けてくわしく話を聞くと、本当に治せるらしい。

 信じられないけど、この世界には、本当に魔術があるらしい。前にシリルが魔術のことを言ってたけど、全く信じてなかった。でもララの話では、多くはいないが、魔術を使える人がいる。神父もそのうちの一人で、魔術で治療をしているそうだ。そして驚いたことに、シリルも使えるらしい。使ったところを見たことがないから、どのような魔術かはわからないそうだ。

 桜は、まだ半信半疑だけど、ララが言うのなら本当なのだろうと頷く。

「ララは?使える?」

「無理!使えない。生まれた時から、人は皆、魔術を使う能力はあると言われてるの。でも、使えるようになる人は、ほんの一握りの人だけ。努力や練習したからって使えるようになるわけじゃないの。どうやったら使えるのか、私はわからない」

「ふーん。魔術か…。すごいね」

 桜の言葉に、ララが「でしょ?」と答えて立ち上がり、壁際の棚の引き出しから、手のひらに乗る大きさの容器を取り出した。そして、桜の隣に戻り、「はいこれ」と渡してくる。

「ありがとう」

 ララは、嫌な顔をせずに、いつもよく動いてくれる。良い子だ。

 桜は容器を受け取ってふたを開け、一瞬言葉につまった。

「…すごい色だね」

 中には、真っ赤な粘土みたいな物体が入っていた。鼻を近づけると、微かにミントのような匂いがする。

 桜の頭の中が混乱する。

 この色でミントの香り?不思議すぎる…。ミントって水色のイメージなんだよなぁ。

 ララは小さく首を傾けると、桜と容器を交互に見た。

「そうかな?普通だよ?」

 ララには普通の色なのか。でも、そうだな。ここでの常識と私の常識は違う。私の常識を押し付けてはダメだと思い、薬を指ですくおうとして止める。

「この色、腰に塗ると服につかない?」

「あ、そうだった。服につくから、手巾しゅきんを巻かないとダメなの。取ってくるね」

「え、いいよ後でっ…あ…」

 桜の制止を聞かずにララが出ていく。

 桜は、ララが出ていった扉を見て微笑む。

 良い子だ。人のために、よくもあそこまで機敏に動けるものだ。

 桜は面倒くさがりだから、つい後回しにしてしまうというのに。

 桜は、ララの足音を聞きながら立つと、薬が入ってる棚の前まで行き、引き出しを開けて中を見た。

 以前に、ここに薬が入ってることをララに聞いて、見てみようと思っていたが、まだじっくりと見たことはなかった。

 長方形の木箱の中には、隙間なく木やガラスの容器が並んでいる。

「これ、全部薬なんだ…。どれが何に効くのか、さっぱりわからない」

 いくつかの容器を開ける。

 最初にシリルに飲まされた、青い実は見当たらない。頭痛薬の黄色の実と痛み止めの銀色の実はあった。他は何に効くんだろう。後でララに聞いてわかるようにしておかないと、間違えて飲んだら大変だ。薬は毒にもなるのだから。

 一つ一つ蓋を開けて中を確認していると、ララが戻ってきた。

 桜とララは、再び椅子に座り、ララが手巾を桜に渡す。

「痛い箇所に薬を塗って、そこを覆うようにこれを巻いてね。手間だけど」

「わかった。ありがとう。でも、塗って巻くのって面倒だよね」

「面倒でもちゃんと塗ってね。塗れば早く治るから」

 心配してくれるララの気持ちが嬉しい。この世界にララがいてくれてよかったと、つくづく思う。

 その後は、お互いの子供の頃の話をしていたら、あっという間に時間が過ぎた。そろそろ夕食の時間で、シリルの部屋に行かないといけない。

 桜はララと部屋の前で別れると、シリルの部屋へ向かった。



 毎日与えられた仕事をしながら、桜は教会のことを、ずっと考えていた。

 やっぱり一日だけじゃ足りない。何回か行って、もっと調べたい。

 そこで、教会へ行った翌週の夕食の時に、何となく場所もわかったし、一人で行くから、教会に行ってもいいかとシリルに頼んだ。

 シリルは手に持っていたフォークを静かに皿に戻して目を上げ、桜を見て却下した。

「俺はしばらく予定が詰まって忙しい。だからダメだ」

「いやだから、一人で行くから」

「ダメだ」

「じゃあ、ララについてきてもらう」

「ララの休みを潰すな。それに女だけでは危険だ」

「それならサイオンさんは?」

「サイオンは俺の側近だ。同じく予定が詰まっている」

「…ジャンさんや騎士の誰かに頼んでほしい」

「皆忙しい。おまえに付き合っている暇はない」

 桜の口が尖り始める。

 シリルが頷かない。鋭い眼差しから、絶対に許可しないという強い意志を感じる。

「…わかった。もういい」

 桜はそう言うと、無言で料理を次から次へと口に入れ、「用事があるので失礼します」と大好きなデザートも食べずに、さっさと自室に戻った。

 部屋を出るときに呼び止めるシリルの声が聞こえたが、聞こえない振りをした。 



 桜は二日ふつか考え、シリルには内緒で行くことに決めた。

 馬には乗れないから、歩いて行く。往復に約二時間。教会での滞在時間も入れると、だいたい三時間から四時間はいる。朝から体調が悪いとかで部屋にこもっていたら、バレないだろう。小屋にいた初老の男の人は、女神像に似ているという桜が内緒にしてほしいと頼むと、聞いてくれそうだ。問題は神父のフォルスだけど、留守か、居ても教会の中にいるだろうから、出てこない限りは大丈夫だろう。

 夕食時のシリルとサイオンの会話で、確か、明後日に朝から出かけると話していた気がする。その時に教会へ行く。

 桜は、ブラウスをしまっている引き出しを開けて、マントを出した。前回の教会からの帰りに、雨に降られたけど、このマントのおかげで、それほど濡れなくて済んだ。良いマントだと褒めていると、シリルがくれたのだ。

 長時間日差しの中を歩いても、このマントがあれば大丈夫だ。あとは水だ。教会でシリルからもらったガラス瓶も持っている。これに水を入れていこう。頭が痛くなったら困るから頭痛薬と、切り傷に効く薬も。

 持ち物を棚の上に並べて、桜は満足げに頷く。

 少し楽しくなってきた。何だか冒険みたいだ。これこそ、異世界ライフじゃない?

 吞気のんきに浮かれていた桜だが、この時は、まさか、あんなことになるとは微塵みじんも思ってはいなかった。



 決行日になった。

 いつもより早く起きて朝食を食べ、その直後にしんどいと言いながらよろけけると、ハンナに部屋で休むように言われた。心配してくれるララに、「今日は一日寝てるね」と弱々しく呟き、部屋に戻って準備をした。

 桜は、ララや他の使用人達に嘘をついたことを申しわけなく思った。次の休みを返上して働くから許してね…と呟き窓から外を覗く。

 シリルは、まだ出かけない。朝食が終わっていないのか。身支度に時間がかかっているのか。

 桜は、早くしてよと落ち着きなく、部屋の中を行ったり来たりする。

 一時間、二時間経っても、シリルは出かける様子がない。

 ちなみに、この世界にも時計がある。電池ではなくネジ式だ。どういう仕組みで動いてるのかはわからない。ただ、時計の針は、一日で一周回る。だから、一メモリが二時間ということになる。十二あるメモリに、それぞれ文字が書いてあるのだけど、こちらの世界の言語なので、記号みたいで読めない。でも、時計だから数字なんだということはわかる。ハイテク機器はないけれど、暮らしていくのに、それほど困ることはないのだ。

 桜は頻繁に時計を見て、イライラしながらシリルが出かけるのを待った。何度もバルコニーに出ては入るを繰り返した。体調が悪く休んでいることになっているから、部屋を出ることもできない。

 気が短い桜は、シリルが屋敷にいても気にせずに外に出ようと、マントと荷物を手に持ってバルコニーに出た。そこで、ようやくシリルが護衛を連れて出かけていく姿を見た。時計を見ると、針は六の位置を過ぎている。

 やっと行った!と桜は息を吐き出した。遅く出たから、きっとシリルの帰宅は夜になる。

 でも、桜も今から出るとなると、日が落ちるまでに戻ってこれるかわからない。不安だ。だけど、数少ないチャンスだと決行する。

 水を入れたガラス瓶と薬の容器と手巾が入った鞄をたすき掛けにする。その上からマントをはおると、窓を閉めてバルコニーの端に行く。

 実は、どうやって屋敷を抜け出すかを調べていて知ったのだけど、バルコニーから下へ降りることができる。端の方に、ひどく雑な作りの梯子はしごがあるのだ。非常時に避難するための物らしい。

 桜は、手すりを乗り越え、怖いと呟きながら梯子を降りた。恐怖よりも行きたい気持ちの方が勝っていたから、足が震えたけど、降りることができた。

 この時間は、ちょうど昼の休憩時間で、外に出ている使用人も騎士もいない。正門には見張りの騎士がいるが、裏門にはいない。その代わり鍵がかかっている。しかし、問題ない。門が開かなくても、これくらいの高さの塀なら登れる。

 桜は、周囲に人がいないことを確認すると、四角い石を積み上げてできた塀を登り、外に出た。

 前回の教会からの帰りに、シリルに屋敷と教会の位置関係を聞いていてよかった。どの方向へ進めばいいのか、わかる。

 桜は、はやる気持ちを抑えきれずに、早足で進んだ。

 でも、やはり馬に比べると、徒歩は格段に遅い。出る時間が予定よりかなり遅れたために、気持ちがあせる。

 三十分ほど進んだ所で、道が二股にわかれた場所に着いた。一つは整備された広い道。もう一つは、人ひとりが歩ける幅の狭い道。シリルと通った時に、狭い道には気づかなかった。広い道が教会へと迂回うかいするように続いているのに対して、狭い道は真っすぐに伸びている。

 桜は一瞬迷い、狭い道へと足を踏み入れた。少しでも早く着きたかったから。

 その結果、迷ってしまった。

 しかも、焦って動き回って疲れて、大きな木の根元に座って休んでいたら寝てしまった。気がつくと、日が暮れて、辺りが真っ暗になっていた。

 桜は途方に暮れた。

 迷って引き返す途中までは、屋敷が見えていた。でも、屋敷を目指して進んでいたのに、一向に近づけない。そのうち細い道が複数現れて悩み、大きな茂みや岩に視界を何度も遮られて、完全に方向感覚を失ってしまった。屋敷も見えなくなった。そして、疲れて木の根元にもたれて目を閉じたら、眠ってしまったのだ。

「今何時だろ…。かなり寝てた気がする。もうシリルも帰って来たかな…。私がいないこと、気づいたかな…。捜してくれる?それとも、呆れて、せいせいしたって言って、放っておかれる?…はあ、急がば回れって言うのに、いらないことをしちゃったなぁ」

 言葉を口に出したら、泣きそうになってきた。涙が落ちないように空を見上げる。

 月と星がきれいだ。月の輝きで、桜の周辺が微かに明るい。

 この世界には電気がない。代わりに、ある樹液を絞った液体をガラス容器に入れて火をつける。その樹液に油成分があるのだろう。

 ララが「この樹液しか火をともせないから、とても貴重なの」と話していたが、他にも探せばありそう。そういうことも調べてみたいから、もっと外に出たいのに、なんでシリルはダメって言うのかな。

「シリルのバカ…。私は逃げないよ。だから、もっと外の世界を見させてよ」

 その時、星が流れた。元の世界でも、滅多に見たことがない。だから、こんな状況でもテンションが上がる。

「きれい…」

 暗い空にキラキラと輝く月と白い星。さすがに星はカラフルじゃないんだと微かに笑い、ふと疑問に思う。

 あれ?月と星があるってことは、ここも宇宙のどこかにある地球みたいな星ってこと?それとも地球で、別次元の世界?

 ふぅ…。考えても仕方がない。そもそも、この世界に来たことが、常識では考えられない不思議なんだから。それよりも、このままジッとしている方がいいのか、歩いて屋敷への道を探した方がいいのか。

「探すか」

 桜は、ゆっくりと立ち上がり、マントについた土埃を払った。

「誰?誰かいるの?」

 いきなり暗がりから人の気配と声がして、桜は驚き身構える。

 暗がりから、十歳くらいの少年が出てきた。頼りない月明りの下で、とても怯えた表情をしている。

 桜は安堵の息を吐いた。恐ろしい大男ではなく、かわいらしい少年だったから。しかも、桜よりも怯えている様子に、かわいそうになってくる。

 桜は少年に近づいた。

 しかし、桜が近づこうとすると、少年が後ろに下がる。桜が止まると、少年も止まる。

 それを数回繰り返して、桜は少年を安心させるように微笑んだ。


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