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第7話 不審な男

「そうなのですか?これはとんだ勘違いをしました。申しわけありません。ですが、この方は女神像に似ている気がします。ですので、シリル様の大切なお方に変わりないのではありませんか?」

「おまえ…」

 シリルが初老の男ににじり寄る。

 男は、シリルの威圧感に気おされたのか、数歩うしろに下がり怯えた表情をした。

「あのっ、何かお気にさわるようなことを言いましたでしょうか?」

「言った。なぜ女神像に似ているとわかる?見たことがあるのか?」

「あっ…申しわけございません!」

「シリル?」

 桜は驚いてシリルを見た。

 どこから声出してんのよ?っていうくらいの低い声を、シリルが出した。初めて聞く声だ。自分に言われてるわけでもないのに、怖いと感じる。

 初老の男は完全に委縮してしまい、その場に膝をつき頭を下げ、土下座みたいな体勢になった。

 シリルが男を見つめて口を開き、静かに語り始めた。

 その内容は、こうだ。


 シリルは、子供の頃から女神像を見るのが好きだった。白い木で彫られた像で、とても優しい顔をして、見ていると心が落ち着いた。

 この女神像の目には、青い石がはめ込まれていた。この世で一番美しい青色だと思った。しかし、この女神像は、いつ誰が作ったのか、いつからまつられているのか、わかっていない。

 女神像は、教会の奥の壁の裏側に祀られている。壁に隠し扉があり、特別な人しか入ることができない。

 シリルは幼い頃に、父に連れられて初めて目にした。とても感動したことを覚えている。馬に乗れるようになってからは、一人で来ている。見たくなると、時間を作って来ている。

 だが、目の前の男では、見ることができないはずだ。なのになぜ、女神像のことを知っているのか?


 シリルが問いただすと、初老の男は、平身低頭のままで話し出した。

 ある日、聖堂の掃除をしていて、拭き掃除に使う桶の水をこぼしてしまった。急いでじょう布で拭いたが、椅子の下まで濡れている。男は這いつくばって拭いていた。

 その時、誰かが聖堂に入ってきた。正面扉ではなく奥の扉から音が聞こえてきたから、神父だろうと思いながら、椅子の背もたれからのぞくと、やはり神父だった。

 神父が聖堂にいることは当たり前だ。だから、気にせず拭き掃除を続けようとしたが、神父の様子が変だ。奥の壁に向かって立っている。

 男は気になり、息をひそめて見ていた。

 すると、神父が壁に手を当てた。軽く押す動作をすると、壁が割れた。その割れ目へと神父が入っていく。

 男は驚いた。ドキドキとした。足音を立てずに割れた壁へと近づいた。壁は割れたのではなく、扉が開いただけだった。こんな所に扉があるとは知らなかった男は、これ以上はダメだと思いながら、そっと中を覗いた。

 男は後になって、よく声を出さなかったと自分をめた。

 中は、男が住んでいる小屋くらいの広さがあった。そして、中央に台座があり、白い像が立っていた。女の像で、目が青い。石かガラスかわからないけど、きれいだと思った。

 その像の前で、神父がひざまずいて頭を深く下げている。

 男は首をかしげた。

 この教会には、波紋の形の絵が祀られている。神が与えて下さる恵のみなもととなる、青い水が作る紋様の絵だ。神の姿は尊すぎて、ばん人の目にさらしてはならないとかで、どこの教会にも像はないはずなのだ。

 でも、ある。こんな隠れた場所にあった。

 男は平民で、賢くもなければ愚かでもない。だから、この像は、自分が見てはならない物だとわかり、神父に気づかれぬように、急いで元の場所に戻って床を拭き、神父が出てくる前に小屋へ帰った。そして、誰にも言わず、黙っていようと思っていた。

 それなのに、まるで女神像のような目を持つ桜を見て、思わず口が滑ってしまった。女神像を盗み見したことを知られてしまった。たぶん、仕事をはく奪され小屋を追い出される。それならまだいいが、牢屋に入れられたり罰を受けるかもしれない。

 這いつくばって震えながら話す男を見下ろして、シリルが動く。

 ただならぬ様子に、桜は二人の間に割って入った。

「待って!何するの?」

「…そこをどけ」

「この人、何も悪いことしてないじゃん!像を見たことが、そんなにダメなの?」

 シリルが桜の肩を押して、どかそうとするが、桜は意地でも動かない。

「…おまえ、意外と力が強いな」

「そうだよ。空手を習ってたから体幹がしっかりしてるの」

「カラ…テとはなんだ?」

「え?聞かれると困るな…。えっと、まあ護身術みたいなもん」

「体術のことか?」

「たぶんそう」

「ならば、暴漢に襲われても、戦えるということだな?」

「少しは…」

「なるほど」

 桜は困惑する。

 いや、暴漢に襲われたら普通にやられるよ?盛って話してしまったけど、空手は一年も続かなかったからね?シリルには冗談は通じないのだから、次からは盛って話さないように気をつけなきゃ。

 そんなことを考えていると、肩を強く押され、横へと押しやられてしまった。

 シリルが男の前に立ち、腕を組んで見下ろしている。

 まさか、ブーツで頭を踏んだりしないよね?と心配したが、さすがにそこまではしなかった。桜は安堵の息を吐く。

「顔を上げろ」

 シリルの声に、男が恐る恐る顔を上げる。おじいちゃんと呼ばれる年代の男の悲しい顔は、見ていると胸が痛む。

 シリルもそう思ったのかどうかはわからないけど、男の腕を掴んで立つようにうながした。

「しっかりと立て。別に謝らなくていい。見てしまったものは仕方がない。それに、わざとではないのだから気にするな。だが、女神像の話は他の者にはするなよ?」

「は…はい!本当に申しわけございませんっ」

「だから謝るなと言っている。馬の世話をしてくれて助かった。シャルロットも喜んでいるようだ。今日は帰るが、次に来た時も頼む」

「はいっ」

 初老の男は泣き笑いの顔で、深く頭を下げた。

 シリルは頷き、「帰るぞ」とシャルロットの顔を撫でる。

 桜は、行きと同じようにシリルに引っ張られてシャルロットに乗り、まだ頭を下げている男に礼を言うと、教会を振り返った。

「あ…」

「なんだ?」

 桜のかすかな呟きに、シリルが気づく。

「フォルスさんがあそこに」

 桜の言葉を聞き、シリルも少しだけ後ろを向く。だけど、すぐに向き直り馬を進ませる。

「前を向け。首が痛くなるぞ」

「でも、挨拶しなくていいの?」

「いい。俺はあいつが苦手だ」

「ふーん。というか、逆に好意的に思ってる人っているの?」

「…サイオンやハンナは信頼している」

「わかる!サイオンさんもハンナさんも良い人だよね」

「…他には?」

「え?あ、ララも好きだよ。仲いいの、私たち」

「なるほど」

 シリルが黙って前を向いたので、桜も口を閉じて前を向いた。

 何がなるほどなのか。さっぱりわからない。それに苦手って言ってるけど、嫌いってことだよね。シリルって嫌いな人が多そう。私のことも嫌いだろうし。使用人に対しては無関心ぽい。でも、シリルが言うところの苦手な部類に入る私の願いを聞いて、教会に連れて来てくれたことは、感謝している。ほんと、優しいのか冷たいのか、よくわかんない人だ。

 しばらく軽く走って、そろそろ、また酔ってきたなぁと思っていると、馬の足が止まった。

「どうしたの?」

「休憩だ」

 シリルが馬を下り、桜も下ろしてくれる。

 着地した時に少しよろけたが、行きの時ほど酔ってはいない。大丈夫だ。

 桜が自力で立てることを確認すると、シリルがシャルロットを木に繋いで歩き出した。

「ついて来い」

「あ、うん」

 心配してくれたかと思いきや、自分のペースでさっさと行ってしまうシリルは、本当に身勝手だ。

 桜は、シリルを見失わないように必死でついていく。

 数分歩いた所で、シリルが立ち止まった。

 桜もシリルの隣で足を止め、荒い呼吸を落ち着かせる。

「なんだ。たったこれほどの距離で疲れたのか」

「…シリルの足が速いから、ちょっと走っちゃったじゃん」

「体術をやっていたのだろう?体力はあるのでは?」

「……」

 言い返せなくて腹が立つ。休憩はありがたいけど、早く帰りたい。ララに今日の話を聞いてもらいたい。

 桜がうつむいていると、シリルに「見ろ」と言われて渋々顔を上げた。そして目の前に広がる光景を見た瞬間、些細な怒りは霧散した。

「うわぁ…きれい」

 今いる場所は、標高が高いのか。行きは、初めての騎乗に興奮して、山を登ってると気づかなかったけど、ここは山の上だ。

 眼下に街が見える。たくさんの建物が、街の中心にある噴水を囲むようにして、何重もの円になって広がっている。街の中には整備された水路が、街の周囲には整備された道があり、少し離れた場所には川もある。そして街の向こう側は大きな森が続いている。

 建物と道は白く、水路と川は青く、森は様々な色であふれている。白い建物の間を行き交う人々の髪は、とてもカラフルだ。

 白系で統一された建物を眺めながら、桜は感心する。

 ここに来てすぐの頃から思っていたけど、人々の髪色が派手だからか、住居や日用品や調度品などは、淡い単色でそろえられている。趣味がいいと思う。桜はオシャレでもセンスがいいわけでもないけど、この世界の色使いは趣味がいい。とても好きだ。

 桜が眼下の景色に見とれていると、いきなり背後から抱きつかれて驚いた。「えっ、え?なにっ」

「バカめ。足元を見ろ。落ちるぞ」

「あ…ごめん」

 シリルが抱きついてきたのではなく、急斜面を落ちそうになった桜を助けてくれただけだった。

 もうっ…変な助け方しないでよ。無駄にドキドキしちゃったよ…。

 桜を後ろに下がらせた後、シリルの腕がほどける。

 勝手に勘違いして恥ずかしくなった桜は、熱い頬に手を当てて深呼吸を繰り返した。

 そんな桜を、シリルは怪訝な目で見ていたが、いきなり振り返って身構え、桜を背中に隠した。

「サクラ、顔を隠せ。声を出すな」

「…うん」

 シリルの緊迫した声に、桜は素直に従う。

 前方から、草を踏む音が聞こえる。一人…二人?こんな所に誰が?山登りが趣味の人?まさか、盗賊とかじゃあ。え、どうするの?シリル、剣を持ってきてないよね?

 と思ったら、持っていた。マントの下で、腰のベルトに差していた。馬に舞い上がって見えてなかった。

 シリルの手がつかを握る。

「止まれ。何者だ」

「え?あっ、俺達は怪しい者じゃありません!薬草をりに来たんで」

「許可証はあるのか?」

「はいっ、これです」

 二人のうち前にいる男が、首にかけているひもを引っ張り、ベストの中から薄い板状の物を出した。

「ふむ、確かに。だが、この辺りには薬草は生えていない」

「そうなんですか?いろいろと探してるうちに、結構登っちまって…。驚かせたんならすいません」

「…いい。用がないなら去れ」

「はあ。そちらの方は大丈夫で?具合が悪いんですかい?」

 桜の肩が揺れる。ここで何か言うべきか。でも声を出すなと言われてるし…。どうしようと迷っていると、シリルが手を握ってきた。何となくシリルの意図がわかり、桜は口を固く閉じる。

「少しな。だがもう大丈夫だ。ああ、そういえば思い出した。あちらを少し下った所に、毒虫に効く薬草が生えていたな」

「おお!それは珍しい薬草だ。早速行ってみます。教えてくれて感謝です」

「気をつけろよ」

 男達が、頭を下げながら去っていく。

 桜は、どんな人達か気になって、少しだけ顔を上げた。

 男達は、屋敷の使用人達と似たような恰好をしている。薬草を採取して売る商売人だろうか。でも体格が無駄にいい。屋敷の騎士達みたいだ。商売人だけど鍛えてる?賊対策とかで?それとも鍛えるのが趣味の人?

 その時、後ろを歩く男が振り返った。

 桜は、すぐに目を伏せたが、顔を見られたかもしれない。

 しかし、男は何事もなかったかのように行ってしまった。

 桜は、こっそりと息を吐き出した。

 よかった。見られてはなかったのかも。いや、なんで私、ほっとしてるの?別に見られてもいいじゃん。シリルが隠したがるから、つい言う通りにしちゃったけど、こそこそする必要あるの?あの人達、盗賊じゃなかったんだから、堂々としてればよかった。

 桜はフードを外すと、男達が去った方角を見ているシリルに声をかけた。

「ねぇ。どうして薬草の場所を教えてあげたの?」

「シャルロットがいる場所に行かれては困るからだ。シャルロットがいない方向へ誘導した。希少な馬だからな。見つかると盗まれてしまう」

「ええ!それなら早く戻ろうよ!シャルロットが心配っ」

「まあ待て。まだ大丈夫だ。それよりも、こちらへ来てみろ」

「なによ?」

 シリルに言われた場所へ行くと、そこからは、街の後方に緩やかな山があり、平らな頂上に大きな屋敷が建っている光景が見えた。

「あれって…」

「俺の屋敷だ。どういう位置にあるのか、覚えておけよ」

「うん」

 桜は屋敷を見つめて思った。

 教会から屋敷まで、かなりの距離があり坂もある。その道程を、この世界に落ちてきた意識のない私をシリルは運んでくれたのか。さすがに申しわけなく思うし、とても感謝している。だから、助けてもらったお礼に、もっと役に立たなきゃ!

 桜の決意を知るよしもないシリルに腕を引かれて、シャルロットがいる場所へ戻り、屋敷への帰路につく。

 山から街を見ていた時に、空がどんよりと暗くなり始めていたが、屋敷へ着く直前になって雨が降ってきた。青い雨だ。

 桜は空を見上げ、雨を顔に浴びた。

 冷たくて無臭だ。

 手のひらに雨水を溜めてみた。

 青い。透き通った青色で、ジュースみたい。

 雨水を飲んでみた。

 無味だ。それはそうか。 

 雨は通り雨だったようで、屋敷に着いた時には、すっかり上がっていた。





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