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第六話

 仁愛の祖父や父の目的は、まさにそこにあったと思う。

 しかしそれを、あんなわずかな時間で見抜いた和樹に、仁愛は驚きを隠せなかった。


「その表情だと、おおむね当たってるかな。じゃあ次は僕の話をしよう。君も知っての通り、僕はたちばな家の次男だから、いずれ君のようにどこか大企業のご令嬢と引き合わせられ、望まない結婚を強いられるだろう。でも僕はそれが嫌なんだ!」

「わかる……激しくわかります!」


 和樹の言葉に、仁愛は強く叫んだ。

 その気持ちはまさに、仁愛が抱いていたものと同じだったのだから。


「そこで、同じ悩みを持つ僕らを、一手で救える妙案を思いついたんだ」


 和樹はノートパソコンにブラインドタッチでなにかを打ち込みながらも、仁愛から目を外すことなく、語り続ける。

 仁愛はこの今の時間だけで、和樹が、かなり優秀な人間だと確信した。手ではなにかを作成しつつ、だからといって集中力を切らさず、仁愛の瞳を見つめながら、しっかりと会話をしている。

 これほど高度なマルチタスクができる人間に、無能な人はいない。

 とはいえ、仕事ができるのと、いい人かどうかは別の話だ。


「それが契約結婚、ですか?」

「そう」


 ふむ、とつぶやいて、和樹の作戦を分析する仁愛。

 仁愛としては結婚など全くしたくなくて、もっともっと大きな仕事をしたい。しかし、もし祖父や父の描いたとおり、仁愛がアルオン・グループに入って仕事をするとなると、それはもう針のむしろだ。周囲からは常に産業スパイではないかと疑われ、大した仕事も任されないだろう。となると、ここで仁愛の望みは絶たれることになる。


 一方、和樹の場合は、次男であることを利用されて、どこかに結婚させられる可能性が高いという。しかし、その企業はアルオン・グループに飲み込まれるだろう。和樹はそのための道具でしかなくて、下手をすれば経営権を掌握した後、離婚させられて違う企業へ、と、同じことをさせられるかもしれない。

 そんなの現代日本人の生き方ではない。

 まるで戦国時代だ。

 そう考えると、確かに和樹からすれば、一刻も早く策を練らなくてはならない状況だった。


「和樹さんが考えていることはおおよそ理解できました。でもわからないのは、私と和樹さんが契約結婚をすることで、なにが解決になるんですか?」

「うん、さすが一条さんだね」

「もう仁愛でいいですよ」

「え、あ、そう?」


 和樹はかすかに顔を赤らめ、視線をパソコンに落とす。

 その仕草が可愛くて、仁愛は思わず微笑んだ。


「で、ではその、仁愛さん。君の問題はアルオンの次男である僕と結婚した、ということで解決する。そして僕は既婚者になるから、道具としては使えない。つまり僕らにとって、万事ばんじ、上手くいってることになる」

「それはそうかもしれませんが……こう言ってはなんですけれど、私に課せられたのは、いわゆる政略結婚です。和樹さんくらい頭が良ければ、私という存在がもしかしたらアルオンにとって猛毒になるかも、とは考えませんでしたか?」

「当然考えた。でも、信じてもらえないかもしれないけれど、そもそも僕はアルオンが大嫌いだ」

「え!?」


 和樹の口からそんな言葉が出るとは。

 仁愛にとって完全に予想外だったし、このような場所でしか話せないのも無理はなかった。

 万が一、今の言葉を盗聴されていたら、アルオンを落としたい企業にとって、和樹という存在が大きな隙であり、穴であることが露見してしまう。

 危なすぎる一言だ。


「僕は父の傀儡かいらいなんだ。アニキがいるから、いつでも利用できる都合のいい人形でしかない。でもそろそろ僕は自分の人生を歩きたい。今日、仁愛さんを見て、この人とだったらそれが可能だと思った。僕のメリットは、望まない結婚を強いられなくなること。君のメリットは、アルオンとの政略結婚が成立すること。しかも夫婦別姓という形にして、仁愛さんは一条姓のままにする。これでどう?」

「う!?」


 これは仁愛にというより、一条家にとって願ってもない条件だった。

 表だけ見れば、仁愛が和樹と結婚して橘姓になってしまうと、産まれてくる子も橘を名乗らねばならない。しかしここで仁愛が一条姓を守っていれば、仮に子供が生まれたとして、橘、一条のどちらでも名乗らせることが可能となり、仁愛の会社であるファーストアイは創業家一族の跡取りとして迎える可能性を残す。


(そ、そんな手が。これは、おさまとお父様の急所を突いてる。こんな条件を出されたら、渡りに舟とばかりに乗るに決まってる!)


 仁愛は、初めて一日に二度、人に対して畏怖を覚えた。

 一人目は橘市政。

 そして、二人目は橘和樹。

 やはり橘の人間は、ただものではない。

 その時、突然プリンターが動き出し、文章を刻まれた紙が、何枚も吐き出される。


「今、この契約書を作ったから、もし、その気があるなら読んでほしい。気に入らない条項があれば、すぐ直すよ。だから、お願いします」


 仁愛はグラスをデスクに置き、和樹からたったいま出力されたばかりで、まだ温かい契約書を手にした。

 これを、今の会話の間に作った?

 仁愛は驚きつつ、書類に目を落とす。

 そこには〝三略結婚契約書〟と〝行動計画書〟の二種類があった。

 まずは行動計画書を読んでみる。


「え、ええ、ええええええ!?」


 仁愛は計画書のフローチャートを見て、思わず叫んだ。

 まず第一段階。和樹と仁愛が今回のパーティーで意気投合し、恋人同士になったと双方の親族に知らせる。第二段階、仁愛は和樹のマンションに引っ越し、同棲どうせいを始める。第三段階ですぐ婚約し、結婚式を挙げる。但し、これはあくまで偽装、契約、政略結婚なので、籍は入れない。第四段階、和樹の兄、栄貴が誰かと結婚して橘家が安泰となれば、この特殊婚姻関係を解消とする、とあった。

 仁愛が気になったのは、第三段階だ。


「け、け、結婚式までするんですか!?」

「もちろん。一条家のご令嬢と橘家の次男が結婚するんだから、式を挙げない流れにはならないよ」

「えっと、結婚式は洋式ですか!?」

「招待客のことを考えると、洋式になるだろうね」

「とと、ということは、誓いのキスもしないと、いけなくなります、が!?」

「あっ!」


 和樹と仁愛は、そろって顔を赤くした。


「えっと、無粋なことを訊くけれど、その、キスをしたことは、あるよね?」


 和樹が気を遣いながら言うと、仁愛は真っ赤になって、静かに口を開く。


「……飲み物をお願いします。テキーラ・サンライズとサンセット、それとレッドアイを」

「え。ああ、いいよ」


 和樹は先ほどと同じようにフロントへ連絡し、仁愛が望んだものに加えて、自分用のジャスミンティーを注文した。ほどなくして、ドリンクが運ばれてくると、和樹が応対し、仁愛の前に三杯のカクテルが置かれる。すると、仁愛はレッドアイを手に取り、グラス半分まで一気に飲んだ。


「ぶっちゃけますけど、私、キスとか、まったくしたことがありませんっ!」


 ぶんぶんと赤い顔を振りながら叫ぶ仁愛。

 本当にぶっちゃけた。

 完全に、酒の力に頼った発言だった。

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