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第二話

 アパートの前に置いてあった仁愛の荷物は、あまりにも少なすぎた。

 旅行用であろう、大きめのキャリーケースが一つ。それと段ボール箱が三つ。

 これだけしかないのだ。


「女性の荷物って、普通はもっと多くないか?」


 和樹は疑問に思いつつ、これらをぱぱっと軽トラの荷台に載せると、バンドで固定し、ブルーシートをかける。ものの十数分、軽い作業だった。


「ほ、本当に……これだけ?」


 汗一つかかずに荷物の積み込みを終えた和樹は、あまりにも不可解で首をかしげた。

 やがて、遠くから足音が聞こえてくると、仁愛が和樹の元に戻ってきた。


「はぁ、はぁ、すいません、荷物の積み込み、手伝ってもらっちゃって」


 額に玉のような汗を浮かばせる仁愛。

 五月下旬の東京は、もう走れば汗が出るくらいの気温だ。


「ああ、いいよ仁愛。もう終わったから」

「えっ!? あ、ありがとうございます!」


 仁愛は全ての作業を和樹にさせてしまったことに、申し訳なさを覚えていた。


「いや、それより、これだけ?」

「はい?」

「荷物だよ。キャリーケース一つと段ボール三箱って、少なくない?」

「あー、確かに。普通の女性よりは少ないかもしれませんね」

「圧倒的に少なかったけど!?」

「そうですか?」


 けろっとして言う仁愛に、あきれて口を開ける和樹。


「ま、まあいっか。じゃ、行こうか」

「はいっ!」


 和樹が運転席に乗り、仁愛は助手席に座る。

 そして車は一路、和樹の部屋へと向かった。

 仁愛のアパートは狭い裏路地にある。そこを和樹は上手に、壁をかわして運転していた。

 実のところ、仁愛は内心、めちゃくちゃ、とびっきり、緊張していた。


 右隣で車を運転している、出会って一ヶ月も経っていない男性と、今日から同じ屋根の下で暮らす。誰でも経験がないことは怖いし、不安に思うのは当たり前だ。仁愛は唇をきゅっと締め、膝の上で両手をもぞもぞとさせて、ややうつむきながら顔を赤くさせていた。


「仁愛」


 和樹が呼びかける。


「はひゃいっ!」


 緊張のあまり、声が上ずった。


「あ、その。仁愛の部屋は、もう準備しておいたから。ベッドも、机も椅子もある。棚も開けてあるから、好きな本を入れられる。テレビも新しいものを用意しておいた」

「え、そんな! そこまでしていただくなんて――」

「いや、いいんだよ。これは君に対してできる、最低限のおもてなしだと思ってる。僕が勝手にやったことなんだから、受け取ってほしいな。それに、もし仮に、おさんが部屋にきた時、仁愛の部屋が殺風景だったら、機嫌を損ねてしまうかもしれないからね」


 む~、とうなり、不満そうな仁愛が言葉を紡ぐ。


「じゃあ、私なりのお礼も受け取ってください」

「仁愛なりの?」

「はい。明日から毎日、和樹さんのお弁当を作ります。愛妻弁当です!」


 突然の提案に、思わず和樹のハンドル操作が乱れたが、すぐに立て直した。


「うわひゃぁああ、怖い!」


 仁愛がアシストグリップを握り、悲鳴をあげる。


「あ、危ないじゃないですか!」

「だってそんな、急にそんなことを言われたら、あせるでしょ!?」

「そうですか? だって、ど……同棲どうせいになるんですから、ラブラブ感は表に出した方がいいじゃないですか」

「まあ、それは、そうだけど」

「これでも料理、得意なんですよ? それとも、お弁当は嫌ですか?」

「嫌なわけないさ。むしろうれしいよ」

「じゃあなんでそんなに動揺するんですか?」

「それは、その、お弁当を持って出勤って、初めてだから……」

「あ、そうだったんですね」


 仁愛が和樹の顔を見ると、和樹は真っ赤になっていた。

 その顔を見て、仁愛は視線を戻すと、和樹のことを考察してみた。

 今、日本で最も広く知られているのは、昔から地道に商路を広げてきたファーストアイ・ホールディングスだ。しかし、日本で最も勢いがあるのは、新興勢力であるアルオン・グループである。アルオンは自社で展開するコンビニ事業とショッピングモールを主軸に、小売業にとどまらず、銀行、アパレル、飲食など、様々な業界へ積極的に参入し、ファーストアイとはあらゆる面でしのぎを削っている。


 そんな大企業の、社長の次男であり、アルオン本社の専務取締役を勤めている、橘和樹。二十四歳。髪はくせっ毛だが、綺麗きれいにまとめていて逆に清潔感すら感じる。身長が148センチの仁愛よりも、二十センチ以上は高い。それを考えると少し、むっとする仁愛。


 痩せ型で、整った顔立ち。たおやかな表情と語り口。

 カッコよくて仕事ができてお金持ちなのに温厚な性格で、心配りもできる。


 これでモテないわけがない。

 これでモテないわけがない。

 これでモテないわけがない。


 本来なら和樹に関するデータもあったはずだが、そもそも政略結婚のターゲットが和樹の兄である栄貴だったので、和樹に関してはあまり情報がなく、あのパーティーから今日に至るまでの印象しか判断材料がなかった。


 それでもモテないわけがない!


 仁愛はぎゅっと拳を握り、ちらりと和樹の横顔を見る。先ほどは愛妻弁当という単語で動揺していたけれど、今はやや余裕のある表情で運転を楽しんでいるように見えた。


「和樹さんは、車の運転が好きなんですか?」

「ああ、うん。大好きだよ。首都圏に住んでいると、自動車なんて必要ないけどね。たまに、ふらっと山梨方面へドライブしにいくよ」

「へぇ~! なんで山梨なんですか?」

「うーん、僕はね、山が好きなんだ」

「えっ!?」


 仁愛はてっきり和樹がインドア派だと思っていたので、これは予想外の回答だった。


「生活が落ち着いたら、仁愛も一緒に行こうよ」

「え、あ、うう」


 予想外の攻撃に、たじろぐ仁愛。


「どうしたの?」

「ああ、いやそのあの、私、高所恐怖症なので……高いところは、ちょっと……」

「ふっ、あははははは……はうっ!」


 和樹の左脇腹に、仁愛の手刀がめり込んだ。

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