アパートの前に置いてあった仁愛の荷物は、あまりにも少なすぎた。
旅行用であろう、大きめのキャリーケースが一つ。それと段ボール箱が三つ。
これだけしかないのだ。
「女性の荷物って、普通はもっと多くないか?」
和樹は疑問に思いつつ、これらをぱぱっと軽トラの荷台に載せると、バンドで固定し、ブルーシートをかける。ものの十数分、軽い作業だった。
「ほ、本当に……これだけ?」
汗一つかかずに荷物の積み込みを終えた和樹は、あまりにも不可解で首を
やがて、遠くから足音が聞こえてくると、仁愛が和樹の元に戻ってきた。
「はぁ、はぁ、すいません、荷物の積み込み、手伝ってもらっちゃって」
額に玉のような汗を浮かばせる仁愛。
五月下旬の東京は、もう走れば汗が出るくらいの気温だ。
「ああ、いいよ仁愛。もう終わったから」
「えっ!? あ、ありがとうございます!」
仁愛は全ての作業を和樹にさせてしまったことに、申し訳なさを覚えていた。
「いや、それより、これだけ?」
「はい?」
「荷物だよ。キャリーケース一つと段ボール三箱って、少なくない?」
「あー、確かに。普通の女性よりは少ないかもしれませんね」
「圧倒的に少なかったけど!?」
「そうですか?」
けろっとして言う仁愛に、
「ま、まあいっか。じゃ、行こうか」
「はいっ!」
和樹が運転席に乗り、仁愛は助手席に座る。
そして車は一路、和樹の部屋へと向かった。
仁愛のアパートは狭い裏路地にある。そこを和樹は上手に、壁を
実のところ、仁愛は内心、めちゃくちゃ、とびっきり、緊張していた。
右隣で車を運転している、出会って一ヶ月も経っていない男性と、今日から同じ屋根の下で暮らす。誰でも経験がないことは怖いし、不安に思うのは当たり前だ。仁愛は唇をきゅっと締め、膝の上で両手をもぞもぞとさせて、やや
「仁愛」
和樹が呼びかける。
「はひゃいっ!」
緊張のあまり、声が上ずった。
「あ、その。仁愛の部屋は、もう準備しておいたから。ベッドも、机も椅子もある。棚も開けてあるから、好きな本を入れられる。テレビも新しいものを用意しておいた」
「え、そんな! そこまでしていただくなんて――」
「いや、いいんだよ。これは君に対してできる、最低限のおもてなしだと思ってる。僕が勝手にやったことなんだから、受け取ってほしいな。それに、もし仮に、お
む~、と
「じゃあ、私なりのお礼も受け取ってください」
「仁愛なりの?」
「はい。明日から毎日、和樹さんのお弁当を作ります。愛妻弁当です!」
突然の提案に、思わず和樹のハンドル操作が乱れたが、すぐに立て直した。
「うわひゃぁああ、怖い!」
仁愛がアシストグリップを握り、悲鳴をあげる。
「あ、危ないじゃないですか!」
「だってそんな、急にそんなことを言われたら、あせるでしょ!?」
「そうですか? だって、ど……
「まあ、それは、そうだけど」
「これでも料理、得意なんですよ? それとも、お弁当は嫌ですか?」
「嫌なわけないさ。むしろ
「じゃあなんでそんなに動揺するんですか?」
「それは、その、お弁当を持って出勤って、初めてだから……」
「あ、そうだったんですね」
仁愛が和樹の顔を見ると、和樹は真っ赤になっていた。
その顔を見て、仁愛は視線を戻すと、和樹のことを考察してみた。
今、日本で最も広く知られているのは、昔から地道に商路を広げてきたファーストアイ・ホールディングスだ。しかし、日本で最も勢いがあるのは、新興勢力であるアルオン・グループである。アルオンは自社で展開するコンビニ事業とショッピングモールを主軸に、小売業にとどまらず、銀行、アパレル、飲食など、様々な業界へ積極的に参入し、ファーストアイとはあらゆる面でしのぎを削っている。
そんな大企業の、社長の次男であり、アルオン本社の専務取締役を勤めている、橘和樹。二十四歳。髪はくせっ毛だが、
痩せ型で、整った顔立ち。
カッコよくて仕事ができてお金持ちなのに温厚な性格で、心配りもできる。
これでモテないわけがない。
これでモテないわけがない。
これでモテないわけがない。
本来なら和樹に関するデータもあったはずだが、そもそも政略結婚のターゲットが和樹の兄である栄貴だったので、和樹に関してはあまり情報がなく、あのパーティーから今日に至るまでの印象しか判断材料がなかった。
それでもモテないわけがない!
仁愛はぎゅっと拳を握り、ちらりと和樹の横顔を見る。先ほどは愛妻弁当という単語で動揺していたけれど、今はやや余裕のある表情で運転を楽しんでいるように見えた。
「和樹さんは、車の運転が好きなんですか?」
「ああ、うん。大好きだよ。首都圏に住んでいると、自動車なんて必要ないけどね。たまに、ふらっと山梨方面へドライブしにいくよ」
「へぇ~! なんで山梨なんですか?」
「うーん、僕はね、山が好きなんだ」
「えっ!?」
仁愛はてっきり和樹がインドア派だと思っていたので、これは予想外の回答だった。
「生活が落ち着いたら、仁愛も一緒に行こうよ」
「え、あ、うう」
予想外の攻撃に、たじろぐ仁愛。
「どうしたの?」
「ああ、いやそのあの、私、高所恐怖症なので……高いところは、ちょっと……」
「ふっ、あははははは……はうっ!」
和樹の左脇腹に、仁愛の手刀がめり込んだ。