再び、車が激しく揺れた。
「なにするんだよっ! 危ないじゃないか!」
「私を馬鹿にして笑った和樹さんが悪いんです」
「違う、違うんだよ。誤解だよ。僕、登山はしないよ」
「はぇ? だって、山が好きって言ったじゃないですか!」
「うん、山は好きだよ。でもそれは下から眺めるのが好きっていうだけで、登山するわけじゃないんだよ」
「えっ!? 登らないんですか?」
「まあ登ってもいいけれど、どちらかというと山々に囲まれた温泉街で、のんびりとした時間を過ごすのが好きなんだよね」
「あ、いいですねそれ!」
仁愛がぱあぁ、っと笑顔を咲かせる。
「そうでしょ? そういうことだから、高所恐怖症だと聞いて、あー、山登りと勘違いをしてるんだなって思って、つい笑っちゃったんだ」
「そういうことなら、ちゃんと説明してくださいよ~!」
「えぇ、ええぇ!? 僕のせい?」
「和樹さんのせいです」
「言い切ったね」
ぷくっと、頬をふくらませる仁愛。
それを、和樹が左手の人差し指で突っついた。
「ぷふー!」
仁愛の口が破裂して、変な声が出た。
「な、なにするですか~っ!」
「さっきのお返し」
「ひどいです~」
「はは、お互い様だよ」
にこやかに笑う和樹。
また頬を膨らませる仁愛。
車は、順調に和樹のマンションへと向かっていた。
それから。
荷物の搬入は、あっさりと終わってしまった。
なにせキャリーケースと段ボール三つだけしかない。
和樹が部屋から駐車場まで一回往復するだけで、全ての荷物が運び込まれた。
「おつかれさまです、和樹さん」
和樹が用意していたスリッパを履いた仁愛がぺこん、と、お辞儀する。
仁愛のお辞儀は、独特だった。
軽い
なので、艶美な首筋がきれいに見えた。
「い、いいよそんな。大した運動じゃなかったし。それより、ここが仁愛の部屋だよ」
そう言って和樹が案内したのは、ダイニングから見て右手前のドアだった。
「わあ、ここですか!」
両手を合わせて、仁愛の顔がほころぶ。
仁愛は、感情をすぐ身体で表してしまう癖があった。
「それと、はいこれ」
和樹がポケットから鍵を取り出して、仁愛に差し出した。
「……なんですか、これ?」
「見ての通り、仁愛の部屋の鍵だけど――」
「ていっ!」
刹那。
仁愛が和樹の手を
「いてっ、な、なに?」
戸惑う和樹に、仁愛は両手を腰に当てて言い放った。
「いいですか和樹さん。妻が鍵を掛けられる部屋に住んでいる夫婦なんて、どこにいますか! そんなの絶対、幸せな家庭には見えません。いずれこの部屋には和樹さんのご両親や、私の父も来ることがあるかもしれません。あの人たちの洞察力を侮ってはいけません。偽装するなら、とことんやらなきゃダメです。あ、ある意味、その、寝室を一緒にするとか、くらい、やらなきゃ、駄目なん、ですよ! だから鍵なんて、
仁愛が真っ赤になりながら
「わ、わかった。仁愛の言うとおりだ。浅慮だった、ごめん」
「浅慮というか、その、ご配慮と気持ちは、有り難くいただきます。でも、私たちは普通の関係じゃないんですから、頑張ってラブラブな夫婦を演じましょう!」
「う、うん。そうだね」
拳を握って息巻く仁愛に、和樹は圧倒されっぱなしだった。
そして。
和樹はレンタカーだった軽トラックを返しに行くというので、仁愛は「気をつけて」と声を掛けて送り出し、和樹に指定された部屋に荷物を運ぶべく、ドアを開けて部屋の中を見た。
「…………」
絶句。
言葉が浮かばなかった。
縦長で奥に広く、およそ十二畳はあるだろう広いスペースに、和樹が言っていた家具がセンスよく並べられている。一番奥にセミダブルのベッドがあり、窓は広く、昼でも渋谷だけでなく、東京の絶景を楽しめた。
白一色の壁紙は質感がよく、二人がけのソファ、五十インチのテレビに、プレイステーション5まで完備されているので、あらゆるディスクの映画を見られる。
ソファとテレビの間には、おしゃれなテーブルがあり、また壁には仁愛よりも高い書架が三本並んでいた。その横には和樹が言っていた通り、木製のパソコンデスクの上に十七インチの最新型のノートパソコンが置いてあった。
天井までは四メートルくらいあり、LEDライトが十個ほど埋め込まれ、部屋の中を余すことなく照らしている。その上、空気洗浄機が二台、書架の反対側の壁際で動いていた。その横にはウォークインクローゼットまであり、収納も充分だ。
「ここだけで住めますね……」
思わず漏れる仁愛の、心の奥からの言葉。
もちろん、仁愛の実家はここよりも豪勢な部屋はいくらでもあるし、和樹にしてもそうだ。しかし、これまで仁愛は六畳一間、築四十年超えで1Kの物件に住んでいたのだ。
和樹からあてがわれた部屋が、この広さ、圧倒的開放感、窓の外の絶景、そして様々な心遣いに、
「……よし!」
仁愛は腕まくりをして、持ち込んできた荷物をリビングから部屋に移すと、荷ほどきを始めた。