荷物の整理は、和樹が帰ってくる前に終わってしまった。
仁愛が一番気になっていた下着類の収納だが、ウォークインクローゼットの中に下着収納ボックスが三つも詰まれてあったので、そこまで悩む必要はなかった。
この女性用下着ボックスも和樹が準備してくれたのかな、それとも元からあったのかな、などと考えていると、なにやら複雑な気分になってくる。そしてなにより悲しかったのは、その一段目を埋められないくらい、下着の量が少ないことだった。
仁愛は本が大好きだが、以前のアパートでは本棚を置く場所などなかったので、タブレット端末を購入し、これまでぜんぶ電子書籍で購入してきた。故に、せっかく三本もある書架だったが、今は入れるものが一冊もない。仁愛の荷物が少なかったのは、ひとえに部屋の狭さが原因だ。かねて紙の書籍がほしいという念願は、ここでようやく
仁愛が持ち込んできたのは主に衣類と化粧品、仕事で使うノートパソコンくらいで、皿やコップ、浴槽で使うものは買うつもりだった。前回、この部屋を見せてもらった時に、この建物の一階がショッピングモールになっていた事を目にしたことから、必要な物はここで買えばいいと考えたのだ。
いくら社長令嬢とはいえ現状では平社員待遇なので、それほど懐が暖かくはない。高級志向のファーストアイに対抗し、アルオンは安値安定でここまで成長した。そのアルオンのショッピングモールで安いものを買い集めればいいや、と思っていた。
そうこうしているうちに、玄関の方から物音がした。
仁愛は立ち上がり、ぱたぱたとスリッパの音を立てて、玄関に向かう。
そこには丁度、靴を脱いでいる和樹がいた。
「おかえりなさい、和樹さん。お疲れ様です!」
仁愛が笑顔で和樹に声をかける。
その時。
和樹は、はっとして仁愛に顔を向け、固まった。
「あの、私、なにか変なこと、言いましたか?」
仁愛が不安そうに、和樹と視線を交わした。
「あ、いや、その……帰ってきておかえりって言われたの、初めてだから……ちょっと動揺した」
「あ、ああ、そうなんですか」
「おかえり、かあ。いいものだね。全然、気づかなかったよ」
「あ……」
そう言われて、仁愛はやや視線を落とし、頬を染める。
「うん? どうしたの?」
しかし和樹はそんな仁愛の気も知らず、首を
「いえ、なんだか、あの、新婚さんみたいだなあっ、て思って!」
軽くむっとした仁愛が大きな声を上げ、攻めに転じる。
今度は和樹が、顔を赤くする番だった。
「そ、そっか。でも、本当にいいなあって思ったんだから、しかたない、よね」
「てっ、てっ、照れるじゃないですか~っ!」
手をぶんぶんと振って抗議する仁愛。
オーバーリアクション全開だった。
「そう、かな。気をつけるよ」
「いや、気をつけなくていいです」
「どっち!?」
仁愛に振り回される和樹だったが、とりあえず車の鍵を玄関脇のフックにかけると、室内に入ってリビングに来た。
「あれ、荷物はもう片付いたの?」
和樹が仁愛に尋ねる。
「いやあ、それはすぐ終わったんですけど……」
仁愛が和樹に近寄り、元気なく
「どうしたの?」
「その、あ、あんなに広くて
「は?」
家賃と聞いて、和樹は驚いた。
「そんなの取らないよ! だって僕らは三略結婚だけど、いちおう夫婦なんだし!」
「いえ、それは申し訳ありません! 私だって働いてるんですから、少しは払わせてください!」
ぬう、と
む~、と譲らない仁愛。
「……とりあえず、お茶でも飲む?」
「そうしましょう♪」
二人は、ぱっと離れて、それぞれ動き出した。
和樹はキッチンの奥の冷蔵庫に向かい、仁愛は台拭きを持ってダイニングテーブルを
仁愛と和樹が背筋を伸ばし、対面で椅子に座る。
一見、商談にも見える絵面だった。
仁愛がお茶を二つのコップに注ぐと、二人は目と目を合わせた。
「ねえ仁愛さん、この部屋に家賃なんてないんだ。だから仁愛さんから家賃を頂くわけにはいかないんだ」
「ええっ!? これだけの部屋で、家賃がないってどういうことですか?」
和樹はお茶を飲んで、静かに話した。
「恥ずかしい話なんだけど、このタワーマンションは
「はいっ!?」
仁愛は思わず、声をあげてしまった。
「だから、仁愛さんから家賃をとるわけにはいかないってことだよ」
「ふむ~……それでは、生活費の一部を出させてくださいっ!」
「それは、光熱費とかってこと?」
「はい!」
「いらないと言ったら?」
「絶対に言わせません。だって私もここで暮らすんですから。で、光熱費はいくらかかってるんですか?」
「……さあ?」
「さあ!?」
「だって口座引き落としにしてるから、わからないんだ」
「それにしても、口座にいくらかないと、電気もガスも水道も止まっちゃいますよ?」
「それはないよ。だって億程度は入ってるから……うお!」
ごん!
仁愛がテーブルに額を打ちつけていた。
「お、億?」
そのままの体勢で、和樹に問う仁愛。
「うん。でも、仁愛だってあのファーストアイの令嬢なんだから、それくらいは持ってるでしょ?」
「持ってるわけないじゃないですか。立場的に私は平社員ですし、あのアパートだって家賃十五万くらいでしたし。光熱費払って食費を引いたら、ぎりぎりでしたよ」
「あ、そういえば、そうだったね」
アルオンの人間である和樹だが、仁愛の情報を持っているのは長男の栄貴と父親くらいで、和樹まで情報が下りてきていなかった。
故に、仁愛のアパートがどのような状況なのかも知らなかったし、仁愛の金銭感覚も理解できなかった。