第5条 プライバシーについて
1.甲(和樹)、乙(仁愛)は、互いにプライバシーを侵害しないこと。
2.甲乙は、互いの部屋に許可なしで入ってはならない。
3.疑問に思ったことは、その側が会議の開催を宣言し、即座に解決すること。
4.3.にて決定された変更事項が契約書に記載されていた場合、その都度、改訂すること。
契約書の第五条第三項が仁愛の脳裏に浮かぶ。
「疑問に思ったこと……ですか」
仁愛は早速、会議を開き、疑惑を和樹に伝えるべきだろうかと悩んだ。
しかし、仁愛は頭を振って、その考えを
なにかを判断するには、まだ早すぎる。
和樹と知り合って日が浅いのだから、わからないことだらけなのは当たり前だし、現時点での和樹の性格を考えれば、なにかを隠していたとしても仁愛に伝えるはずだが、今の関係値の低さを鑑みれば、和樹はまだ仁愛に言うべきではないと判断しているに違いない。
それは
洗い物を全て終えると、仁愛は手をタオルで拭いてエプロンを脱ぎ、それをドラム式洗濯機の中に入れ、ぱたぱたとリビングに向かった。テレビに映されていたのは、東欧アゼルバイジャン共和国の、
「こういうのがお好きですか?」
ソファに腰を埋める和樹に問いかける仁愛。
和樹は仁愛に、柔らかな笑顔を向ける。
「うん。こことは真逆の環境だからね。いろいろと勉強になるし、なんとなく落ち着くんだ」
「へえ~……隣、いいですか?」
「え、あ、うん」
歯切れの悪い返事に首を
どんなに離れようとしても、腰骨が当たってしまうくらいの近さだ。
二人がけの恋人専用、ラブソファーだった。
腰に和樹を感じると顔が熱くなる仁愛。
(ひゃあああああ~~~~)
男性とここまで密着したことがなかった仁愛は、両膝をくっつけ、その上に手を置いて顔を下げた。
「仁愛。パスタ、
和樹の甘い声が、吐息を感じるような距離から、仁愛の耳を
「いいいいいいえ、いいんです。それより、明日は月曜日ですけど、和樹さんもお仕事ですか?」
「あ、うん。七時にはここを出ようと思ってる」
「そうですか。私は七時半に出ますから、それまでにお弁当、作っておきますね」
「それは
和樹が仁愛に顔を向けると、より密着度が上がる。疑惑はあるけれど、ここまでくっついても嫌だと思わないのが、仁愛にとっては不思議だった。どうやら自分は、男性恐怖症というわけではないらしい。あまりにも出会いに恵まれてこなかったので、実はそうなのではないかと心配していた。
「和樹さんと私の収入を考えると、いろいろと甘えてしまうことになっちゃうと思うんです。だったらその分、私は部屋を
「か、身体……」
「どうしてそこだけ切り抜きました!?」
「いいい、いや、ごめん!」
「いえ、別に怒っているわけでは――」
「仁愛は本当に優しくてかわいくて、働きものだね」
「ふぁっ!? か、かか、かわいいっ!?」
突然、胸に打ち込まれた言葉の矢に、頭から湯気が立ち上るんじゃないかと思うほど熱くなる仁愛。
「あ、失礼だったかな」
「いえ……かわいいって言われて、嫌な女性は、いないと、思います」
「それなら、よかった」
「和樹さんって……おんなったらしですか?」
その言葉に、思わずソファから起きて噴き出す和樹。
「な、え? そんなことないよ?」
「そうですか。それならいいです」
「どうしてそんなことを?」
「だって和樹さんって、さらっと女の子にかわいいとか言えちゃうので」
「ああ、ごめん。僕、割と思ったことをそのまま口にしちゃうところがあるから。直さないとね」
「じゃあ私をかわいいと思ってくれたのですか!?」
「うん」
「それは、嬉しい、です」
ほっぺたに両手を当てて照れる仁愛。
「これはもう、お付き合いするしかありませんね」
「えっと、三略結婚とはいえ、いちおう、もう夫婦なんだけどね」
「わかってます。高度な冗談です」
「高度すぎて
一瞬、二人の間に流れる、暖かな間。
その空気に、声を
それから映画を見ようということになり、仁愛は娯楽部屋で名作「タイタニック」を鑑賞した。何度も観た映画だったが、やはり同じ場面で号泣し、和樹もつられて泣いていた。この娯楽部屋に置かれていた鑑賞スペースもラブソファーだったが、仁愛は映画に没頭していたので、リビングのソファよりは緊張せずに映画を楽しめた。
照明を落とせば、正面に大画面で高精細な映像が流れる。音響にもこだわっており、完全防音になっているので、衝撃音が大音量で仁愛の身体を突き抜ける。このこだわりは、さながら小さな映画館を生み出していた。
リビングに戻った時はもう夕方になっており、存分に泣いた仁愛の顔は、くしゃくしゃだった。
その時、和樹が気づいた。
「あれ、仁愛って化粧してないね。家だから?」
「いえ、私はいつも基礎化粧品をつけるだけで、それ以上は特になにもしてないです」
「へえ……そんなに綺麗な肌なのに?」
「そ、そうですか?」
ぼっ、と、頬が染まる仁愛。
ほとんどすっぴんなのだが、その肌を褒められたら、やはり照れる。
「女性の化粧品って、たくさん種類があるからね」
「そうですね。ただ、私の場合は、その、それだけ揃えるお金が……」
「ああ、そういうこと」
和樹は、仁愛の表情で全てを察した。