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第七話

 女性用化粧品は、とにかくお金がかかる上に消耗品である。

 平社員の仁愛が、それなりのものを全てを揃えるには、少し頑張らないければならない。

 東京に住んでいなければなんということはないのだが、なにせ家賃光熱費が高いので、自分磨きに使うお金など、ほとんどなかった。


「よし! じゃあこれからブランドエリアがある三階で、仁愛の化粧品を買おう」

「うぇっ!? そそ、そんな、悪いです! 女性用化粧品って、すごく高いんですよ!?」


 和樹の提案に、仁愛が狼狽ろうばいする。


「全然構わない。何千万円もするわけじゃないでしょ?」

「それは、そう、ですが……」

「いいかい仁愛、これは仁愛のためだけじゃないんだ。これから仁愛は僕の妻として様々な場所に行くことになる。その時、最上級の化粧品を使いこなせていないと、君だけじゃなく僕の株も下がることになる。だから仁愛の化粧品は僕への投資、僕の買い物でもあるんだ」


 それはずるい言い方だ、と仁愛は思う。

 しかし、理には適っている。

 仁愛だって立派な成人女性なので、化粧に興味がないわけではない。

 やり方もきちんと習ってきたし、使いこなすことだってできる。

 ただ、それらを買うお金がなかっただけだ。実家が大金持ちである仁愛にとって、この〝お金がない〟という状況を知れたのは、大きな人生経験になるだろう。


「……わかりました。では、そこは和樹さんのご意見に従います」

「それともう一つ、買いたいものがあるんだ」

「え?」


 和樹は少し照れて頬をきながらつぶやいた。


「僕らの共同財布がほしいかな、って」

「共同財布!?」

「うん。その中にある程度、お金を入れておいて、それを自由に使えるようにするための財布を買っておきたいんだ」

「どうして、そういうものを?」

「例えば日常の買い物とか、急にお金が必要になった時に、そこから出してもらえればなって」

「なるほど。一定額をその財布に入れておいて、お互いに補填ほてんする形ですね?」

「うん、それが理想じゃないかな」

「賛成です!」


 仁愛はこくこくこく、と、頷く。しかし内心では、きっと和樹がほとんど補填しまうんだろうな、とも思う。しかしそれは仁愛にとって本意ではない。だから、食事や日用品の買い物をした後、すぐに補填しようと心の中で勝手に決めていた。


「それじゃ、買い物に行こうか」

「はい!」


 こうして和樹と仁愛は、互いに着替えて外に出た。


 そして。

 二人は三階にあるブランドエリアに向かった。

 さすがに和樹の顔は知り渡っていたらしく、フロアマネージャーの名札をつけた女性が和樹に声を掛けてきた。仁愛は、久しぶりにこのような場所にやって来たので、少し落ち着かなかった。

 香水の匂いが鼻を突き、きらびやかな宝石が目を攻撃してくる。高級な布の香りも混じって、もう仁愛の鼻は爆発しそうだった。

 仁愛は感覚が鋭すぎるのだ。


「仁愛、こっちへ」

「ふぁい~~……」


 もう既に目が回りそうだった仁愛の手を、和樹が取って歩き出す。

 それからはもう、言われるがままの人形状態だった。化粧品コーナーに連れて行かれ、仁愛の肌質にあうであろう化粧品を次々と並べられていく。


 ベースメイク、スキンケア、アイメイク、リップ、チークなど一式と、それらを使うための道具まで揃えられ、それぞれ粉やら液体やら色々と試されて、手慣れた店員の手によって仁愛にメイクが施されていく。

 いかがでしょうか、と鏡を向けられた時、まるで他人ではないかと勘違いするほど顔が変わっていた。


 ピンと伸びた睫毛まつげ

 チークによって染まった頬。

 さくらんぼのようにぷるぷるとして輝く唇。


 単純にすごい、と思わされた。


「ねえねえ和樹さん、こんなメイクどうです?」


 振り返って和樹に顔を向けると、和樹の顔が固まった。

 和樹はもともと仁愛のことをかわいいとは思っていた。しかしこうやってしっかりメイクをした仁愛は、元々の可憐かれんさに一層磨きがかかっており、色気も倍増していた。


「和樹さん? 気に入りません?」

「あ、いや、すごく素敵だよ。文句なしだ。店員さん、今使ったものを全部もらうよ」

「え、えええっ!?」


 今、仁愛が試させてもらったものは、どれもこれも一品で何万円もするものばかりだ。仁愛は次々と出される度にその化粧品の値段を見て、試すのはありだけれど買うのはなしだな、と思っていた。

 ところがそんな品を、和樹はあっさりと買ってしまった。


(ちょっと……化粧水二本で、前に住んでいたところの家賃を超えるんですが……)


 あまりの出来事に、仁愛は冷や汗が出そうだった。


「か、か、和樹さん、ちょっと、いくらなんでもそんな――」

「僕が気に入ったんだからいいんだよ。そのメイクに素敵なドレスをあわせたら、どんなパーティーだろうと、自信を持って君を紹介できる」

「そ、う、ですか?」

「そうさ」

「うう……では、お言葉に甘えます。ありがとうございます!」

「こちらこそ、受け入れてくれてありがとう」


 仁愛と和樹が、互いに笑顔で頭を下げた。

 化粧品代は、きっと総額で数十万円はする。

 馬子にも衣装というけれど、衣装代が高すぎだ。

 仁愛はきちんとした馬子にならなくては、と、気を入れていた。

 その後は、二人で共同の財布を買った。


 ……シャネルの赤い長財布。


 おそらくこのフロアだけで、百万円は飛んでいた。


「ねえ和樹さん、長財布で赤いのがいいとは言いましたけど、なにもブランドものを選ばなくても……」

「え、ああ。でも安い物はすぐ壊れるから」


 あっさり百万円使ってしまう和樹のこの金銭感覚だけは、絶対に矯正しよう。

 仁愛は和樹に対して、強くそう思った。

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