それから半月後。
いよいよ仁愛と和樹の結婚式が、現実的に動き始めた。
挙式は六月二十八日に決定した。
今が五月十日なので、本来ならば式場は予約で埋まっていた。しかしアルオン・グループが株を持つ都内の結婚式場に和樹の父が交渉した結果、不思議なことに、この日、キャンセルが出たという。
本当に不思議な話である。
仁愛と和樹は結婚式そのものに興味がなかったのも、この電撃挙式に寄与した。仁愛はもともと装飾品やブランド品、イベントに全く関心がなく、結婚式なんかしなくてもいいのではないかと言い出したほどだ。
だが、橘家と一条家という大きな縁談において「結婚式をしない」という選択肢はなかった。
特に嫁を取る側である橘家の
なにせ日本が誇る二大企業、アルオン・グループとファーストアイ・ホールディングスの一族が繋がるのだから、経済界ではちょっとしたニュースになるだろう。
そしてこの結婚式こそ、仁愛と和樹にとって眼前に迫る最も大きな戦いだった。
「ふは~、終わりましたね~」
「こ、こんなに書かないといけないとは……」
リビングのテーブルに突っ伏す仁愛と、床で仰向けになっている和樹。
その周りには大量の〝結婚式の招待状〟がばら
「それにしても、やっぱり結婚式は苦手です。何回か招かれたことがありますが、こんなことをやって誰が幸せになるんですか?」
仁愛がげんなり、といった感じでぼやく。
「それを女性である君の口から聞くことになるとは、意外だよ」
和樹も、久しぶりの毛筆で、かなり神経をすり減らしていた。
返信ハガキそのものは式場が用意してくれたが、宛名書きはそうはいかない。
二人が揃って休みのこの日に、手分けして作業を行っていた。
「普通はさ、結婚式ってドレスを着られるとか、主役になるからとかで、女性の方が楽しみにするものじゃないの?」
「私はドレスなんかどうでもいいです~。人生脇役でいいです~」
死んだ魚のような瞳で、テーブルにほっぺたをくっつけている仁愛。
「まあ、じ、人生は主役でいようね」
「はい~……でも、一つだけ今回のプランで気になることがあります」
「うん?」
仁愛は〝結婚式の流れ〟が書かれている紙を掴んで掲げた。
「披露宴のお色直しの後、キャンドルサービスがあるじゃないですか。これ、やりたくないんですが」
「え、どうして?」
むく、と起きて、仁愛が持っていた紙を手に取る。
「今回の招待客の中に一人、私を敵視してくる人がいて。会社関係なので呼ばないわけにはいかないんですけど、絶対、なにかしらの妨害してくると思うんです」
「ふうん、それは興味深いね。誰?」
「雨之宮隆二、二十八歳。ファーストアイ本社の開発部長です。ほら、私、前回の人事で来月から常務になるじゃないですか。そのポストを狙っていた人です」
「へえ。その若さで部長とは、優秀だね」
「確かに仕事はできます。でも私の調べでは、どうも胡散臭いんですよね~」
「胡散臭い?」
「はい。頭はいいんですけれど、どうもよすぎる傾向にあります。前部長はミスを犯して降格させられましたが、どうも雨之宮さんが一枚噛んでいたらしくて」
「なるほどね。
「そうです。油断なりません。出世のためならなんでもやるタイプの人なので、ドレスに火を
「大丈夫。絶対に僕がそんなことはさせない!」
仁愛の手を、和樹ががしっ、と握った。
「か、和樹さん……」
和樹の、その予想外の行動に、仁愛は胸を高鳴らせた。
「でも、そういう意味ではこちらにも一人、厄介なのがいる」
「え?」
和樹は招待状の中から一通、手にして仁愛の前に置いた。
「誰ですか?」
「渡辺美羽。僕と同じ歳で、幼馴染みなんだ。今はアルオン・グループ系列のコンビニ事業である〝株式会社セリーズ〟の営業部長だ」
「わたなべ、みう、さん?」
「うん。実は今回の偽装結婚なんだけど、仁愛と出会っていなかったら、仕方なく美羽としようかと思ってたんだ」
「え、ええ、えええ、ええええ~~~~!?」
仁愛が、そのまん丸の目を見開く。
「もし兄が誰かと結婚したら、次は僕だ。父が本気になったら抗えない。きっと知らない誰かと、強引に結婚させられるだろう。だからその前に偽装結婚を、と計画していたんだ。でも美羽は口が軽いし、ブランド志向だし、昔から〝和樹と結婚して
「それはまた大胆というか、欲望に素直な人ですね……」
「確かに僕はアルオンの重役だけど、美羽にとってはそこだけが僕の価値なんだと思う。だから嫌だな、と思ってた」
「大丈夫です! 和樹さんはもう私の旦那様です。そんな子に和樹さんは渡しません!」
和樹が掴んでいた手に、仁愛が毛片方の手を重ねる。
「仁愛」
「和樹さん」
艶っぽい空気が、二人を包む。
はっ、と気づいた二人は、同時に手を離して背中を向けた。
それから。
二人で招待状をまとめて外出し、一緒にポストへ投函すると、ようやく二人とも笑顔になった。時刻はもう十三時になっていたので、今日くらいはと、和樹の提案でレストランに向かうことにした。
「でも、キャンドルサービスはやっぱり怖いです」
「いいじゃないか。この結婚式で向こうから宣戦布告してくるなら、こちらも堂々と手を打てる」
「もしかして……和樹さん、一計、案じていますか?」
お、と思わず声を漏らし、立ち止まって仁愛を見つめる和樹。
「お察しの通り。ここは兵法三十六計の十三計〝打草驚蛇〟だ。その雨之宮さんと美羽だけじゃない。この際だから、草に隠れた蛇を全部、引きずり出そうじゃないか」
「なるほど……ではその打草が、結婚式になるわけですね」
「さすがは仁愛。よく知ってるね」
「和樹さんこそ。やっぱり兵法を知っていたんですね」
「あはは、むしろ、ばれたことに驚きだよ」
「私もよく利用しますので」
二人は声をあげて笑い、周囲の注目を集めてしまった。