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第三章 人を致して人に致されず

第一話

 それから半月後。


 いよいよ仁愛と和樹の結婚式が、現実的に動き始めた。

 挙式は六月二十八日に決定した。


 今が五月十日なので、本来ならば式場は予約で埋まっていた。しかしアルオン・グループが株を持つ都内の結婚式場に和樹の父が交渉した結果、不思議なことに、この日、キャンセルが出たという。

 本当に不思議な話である。


 仁愛と和樹は結婚式そのものに興味がなかったのも、この電撃挙式に寄与した。仁愛はもともと装飾品やブランド品、イベントに全く関心がなく、結婚式なんかしなくてもいいのではないかと言い出したほどだ。


 だが、橘家と一条家という大きな縁談において「結婚式をしない」という選択肢はなかった。

 特に嫁を取る側である橘家の体裁ていさいを考えれば、かなり豪勢なものにするのは容易に想像できた。

 なにせ日本が誇る二大企業、アルオン・グループとファーストアイ・ホールディングスの一族が繋がるのだから、経済界ではちょっとしたニュースになるだろう。

 そしてこの結婚式こそ、仁愛と和樹にとって眼前に迫る最も大きな戦いだった。


「ふは~、終わりましたね~」

「こ、こんなに書かないといけないとは……」


 リビングのテーブルに突っ伏す仁愛と、床で仰向けになっている和樹。

 その周りには大量の〝結婚式の招待状〟がばらかれていた。


「それにしても、やっぱり結婚式は苦手です。何回か招かれたことがありますが、こんなことをやって誰が幸せになるんですか?」


 仁愛がげんなり、といった感じでぼやく。


「それを女性である君の口から聞くことになるとは、意外だよ」


 和樹も、久しぶりの毛筆で、かなり神経をすり減らしていた。

 返信ハガキそのものは式場が用意してくれたが、宛名書きはそうはいかない。

 二人が揃って休みのこの日に、手分けして作業を行っていた。


「普通はさ、結婚式ってドレスを着られるとか、主役になるからとかで、女性の方が楽しみにするものじゃないの?」

「私はドレスなんかどうでもいいです~。人生脇役でいいです~」


 死んだ魚のような瞳で、テーブルにほっぺたをくっつけている仁愛。


「まあ、じ、人生は主役でいようね」

「はい~……でも、一つだけ今回のプランで気になることがあります」

「うん?」


 仁愛は〝結婚式の流れ〟が書かれている紙を掴んで掲げた。


「披露宴のお色直しの後、キャンドルサービスがあるじゃないですか。これ、やりたくないんですが」

「え、どうして?」


 むく、と起きて、仁愛が持っていた紙を手に取る。


「今回の招待客の中に一人、私を敵視してくる人がいて。会社関係なので呼ばないわけにはいかないんですけど、絶対、なにかしらの妨害してくると思うんです」

「ふうん、それは興味深いね。誰?」

「雨之宮隆二、二十八歳。ファーストアイ本社の開発部長です。ほら、私、前回の人事で来月から常務になるじゃないですか。そのポストを狙っていた人です」

「へえ。その若さで部長とは、優秀だね」

「確かに仕事はできます。でも私の調べでは、どうも胡散臭いんですよね~」

「胡散臭い?」

「はい。頭はいいんですけれど、どうもよすぎる傾向にあります。前部長はミスを犯して降格させられましたが、どうも雨之宮さんが一枚噛んでいたらしくて」

「なるほどね。梟雄きようゆうってところかな」

「そうです。油断なりません。出世のためならなんでもやるタイプの人なので、ドレスに火をけられて〝仁愛の丸焼き・雨之宮風〟ができあがらないか、不安なのです……」

「大丈夫。絶対に僕がそんなことはさせない!」


 仁愛の手を、和樹ががしっ、と握った。


「か、和樹さん……」


 和樹の、その予想外の行動に、仁愛は胸を高鳴らせた。


「でも、そういう意味ではこちらにも一人、厄介なのがいる」

「え?」


 和樹は招待状の中から一通、手にして仁愛の前に置いた。


「誰ですか?」

「渡辺美羽。僕と同じ歳で、幼馴染みなんだ。今はアルオン・グループ系列のコンビニ事業である〝株式会社セリーズ〟の営業部長だ」

「わたなべ、みう、さん?」

「うん。実は今回の偽装結婚なんだけど、仁愛と出会っていなかったら、仕方なく美羽としようかと思ってたんだ」

「え、ええ、えええ、ええええ~~~~!?」


 仁愛が、そのまん丸の目を見開く。


「もし兄が誰かと結婚したら、次は僕だ。父が本気になったら抗えない。きっと知らない誰かと、強引に結婚させられるだろう。だからその前に偽装結婚を、と計画していたんだ。でも美羽は口が軽いし、ブランド志向だし、昔から〝和樹と結婚してたま輿こしに乗る〟って方々で言ってたし。別の意味で怖いんだよなあ」

「それはまた大胆というか、欲望に素直な人ですね……」

「確かに僕はアルオンの重役だけど、美羽にとってはそこだけが僕の価値なんだと思う。だから嫌だな、と思ってた」

「大丈夫です! 和樹さんはもう私の旦那様です。そんな子に和樹さんは渡しません!」


 和樹が掴んでいた手に、仁愛が毛片方の手を重ねる。


「仁愛」

「和樹さん」


 艶っぽい空気が、二人を包む。

 はっ、と気づいた二人は、同時に手を離して背中を向けた。


 それから。

 二人で招待状をまとめて外出し、一緒にポストへ投函すると、ようやく二人とも笑顔になった。時刻はもう十三時になっていたので、今日くらいはと、和樹の提案でレストランに向かうことにした。


「でも、キャンドルサービスはやっぱり怖いです」

「いいじゃないか。この結婚式で向こうから宣戦布告してくるなら、こちらも堂々と手を打てる」

「もしかして……和樹さん、一計、案じていますか?」


 お、と思わず声を漏らし、立ち止まって仁愛を見つめる和樹。


「お察しの通り。ここは兵法三十六計の十三計〝打草驚蛇〟だ。その雨之宮さんと美羽だけじゃない。この際だから、草に隠れた蛇を全部、引きずり出そうじゃないか」

「なるほど……ではその打草が、結婚式になるわけですね」

「さすがは仁愛。よく知ってるね」

「和樹さんこそ。やっぱり兵法を知っていたんですね」

「あはは、むしろ、ばれたことに驚きだよ」

「私もよく利用しますので」


 二人は声をあげて笑い、周囲の注目を集めてしまった。

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