いつもは仁愛と和樹の笑い声で満ちている部屋が、今は夜明け前の湖のようにしん、と静まりかえっていた。
ダイニングのテーブルに置かれた紅茶が、どんどん熱を奪われていく。
そんな雰囲気に風を送り込んだのは、和樹だった。
「今から三年前。僕は父が過労で倒れて入院した病院で、なんとなしに行った裏庭に、彼女は立っていた。患者衣のまま椎の木を見上げて、仁愛のようにボーイッシュな髪を揺らして、枝葉を見上げていたんだ。僕はその美しさに、釘付けになった。それが、寿々菜凛月との出会いだった」
「すずな、りつ、さん?」
きゅっ、と、仁愛の胸が締めつけられる。
過去の話なのだから、自分で望んだことなのだからと心の中で言い聞かせながら、和樹の話に耳を傾けた。
「僕は彼女を知りたくて声を掛けた。最初はすごく迷惑そうな顔をしていたけれど、一時間くらい話をして、少しだけ打ち解けた。寿々菜凛月、508号室。それだけ聞いてその日は終わったけれど、毎日、お見舞いに行くようになった。凛月は映画やアニメ、漫画が大好きで、観てみたい、読んでみたいタイトルがたくさんあるっていうから、かたっぱしからネットで取り寄せて、毎日、凛月に届けた。凛月は喜んで受け取ってくれて、読み終わったものは僕が引き取った」
「あ……そうやってできたのが、あの、趣味部屋……」
「そう。あの部屋にあるものは、ほとんどその時のものなんだ。だからある意味、僕の趣味部屋っていうわけじゃない」
「じゃあ、あのフィギュアは?」
「凛月が病室に飾っていたんだ。僕、本当はあまりアニメとか詳しくないから、あの時は
「そこまで、してあげてたんですね」
「うん。そのうち僕は凛月を本気で好きなんだって気づいた。それまで、女性にここまでしたことがなかったから、
「それは、仕方ないことだと思います」
「あんなに女性を好きだと思ったのは初めてだった。だから告白したけど、二度、断られた」
「え、断られちゃったんですか?」
「残念ながら。でも三度目で怒られた。そして凛月は、僕のことは好きだけど、わたしのことは好きにならないでほしいって言ったんだ」
「な、なんで、です?」
「彼女は……凛月は骨肉腫だった。近いうちに右足を切断する手術を受けるって」
「え!?」
骨肉腫。
それは骨の悪性腫瘍で、
十代から二十代に多く、成長痛と勘違いされてしまうこともあるという。
「そ、それで、和樹さんはなんて言ったんですか!?」
「それがどうした? その程度で離れるとでも思ったの? だったら僕が、なくなる君の足になるって言った。凛月は泣きじゃくって、僕の胸を叩いてきた」
「うう……」
和樹の深い愛情に、ぐっ、と、仁愛の胸を打つ。
「それから僕らは恋人同士になった。僕と凛月が出会った時、椎の木の下にいたのは、もうすぐ自分の足で、こうして木を見上げられないんだと落ち込んでいたらしい。そこになにも知らない僕が現れたんだ。あれこれ難癖つけて追い払おうとしたら、その全てを僕が叶えていったから、変人なんだなって思って、僕を好きになってくれたらしい」
視線をテーブルに落とす和樹。
思い出したくないことを、絞り出すように言う和樹の姿は、仁愛から見て痛々しかった。
でも、知っておきたい。
和樹の奥底にあるものを、共有したい。
その思いが勝っていた。
「手術はまもなく行われた。無事に成功して、凛月は右膝上十センチから下を失った」
「そ、それは、つらいことですが、成功してよかったです!」
「僕もほっとしたよ。それから外出できるようになって、僕と凛月は写真や動画をたくさん撮った」
和樹がテーブルに手を置き、力を込めて立ち上がり、鍵を握る。
「仁愛、こっちへ」
「はい」
そのまま和樹は、仁愛がずっと謎だと思っていた部屋の前に向かうと、持っていた鍵で解錠し、扉を開けて中に入った。
仁愛もトレイをテーブルに置き、和樹に続いて中に入る。
和樹がライトをつけると、部屋の全容が明らかになった。
そこは仁愛の予想とは違い、ひどく殺風景な部屋だった。
ベッドにはマットレスすらない。
窓は遮光カーテンが引かれ、床は
すごい美人で、最高の笑顔を向けていた。
「この人が、凛月さん……」
「うん」
仁愛は後ろに手を組んで、写真を覗いた。
そこには今よりも幸せそうで、元気な和樹と、凛月の二人が写っていた。
椎の木の下で。
病院の入り口で。
街中で。
レストランで。
いろいろな表情を浮かべて、生き生きとした凛月の姿が並んでいた。
「二人とも、すごく幸せそうです」
「本当に幸せだった。凛月は素直でかわいくて、片足なんかなくたって関係ないくらい、魅力的で、素敵な女性だった」
「だった……って、あ!」
何故、和樹は過去形で語るのか。
いち早く察した仁愛は、思わず後ずさり、両手で口を
「さすがに仁愛は鋭いね。そう、退院してここに来る直前の検査で、