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第六話

「そ、そんな」


 和樹が項垂れ、拳を固く握りしめた。


凛月りつがんは、よりにもよって肺に転移していた。この時点で余命……六ヶ月……」

「うう……」


 仁愛はその時の二人の心境に思いを馳せ、涙をあふれさせた。そして写真をよく見てみると、奥の方にニット帽を被った凛月と、作り笑いをしている和樹の写真が何枚かあるのに気づいた。それらに写っている凛月は、徐々に痩せていき、一番奥のものは写真の半分が、おそらく凛月の手で遮られていた。


「凛月は日に日にやつれていって、抗がん剤の副作用で髪が抜けた姿を写真に撮られるのを嫌がった。それでも僕は、今の姿だって綺麗だって伝えて、なんとか撮らせてもらってた。僕は、凛月と笑い合った日々を、余さずこの胸に焼き付けたかった。どんな姿になろうと凛月を愛していた。できることなら、一緒に生きたかった……」


 いつもはあまり動じない和樹が、顔を伏せ、拳を握りしめている。

 その身体は、細かく震えていた。


「かずきさん……」


 仁愛は思わず、涙しながら和樹の背中に手を当てた。

 和樹は、凛月と一緒に病魔と闘った。

 きっとそれは、こうして語られている内容の何倍も壮絶で、何十倍も辛かっただろう。そんな和樹の気持ちに寄り添いたいと、仁愛は強く思った。


「余命宣告されてから四ヶ月後……凛月は何度か昏睡こんすい状態になった。それから僕は会社に休暇届を出して、ずっと凛月の病室にいた。久しぶりに調子がいいと言って、窓を開けてくれって言った。僕が窓を開けると、風が入ってきた。凛月は気持ちいい、って行った後、僕を見て、強い口調で言ったんだ」

「凛月さんは、なんと?」

「わたしのことは忘れて、かずくんはきちんと幸せになってね。今まで本当にありがとう。かずくんがいてくれたから、わたしの人生は幸せだった、って。それが凛月の、最期さいごの、言葉になった」

「うう、ううううううう……あああああ」


 仁愛は堪えきれず、声をあげて泣いた。


「仁愛が泣いてくれるの? 凛月のために?」

「あたりまえじゃ、ないですか。凛月さんは、気高くて、すば、素晴らしい女性です!」

「仁愛……」


 和樹は、力が入っていない微笑を見せる。

 きっと、和樹は寂しい時間今までずっと一人で過ごしてきたのだろう。

 ここで、凛月に思いを馳せて、何度も心の中で泣いていたはずだ。

 そして不思議と、凛月への嫉妬心は湧いてこなかった。

 それくらい、和樹と凛月の関係が仁愛にとって美しく思えたのだ。


「これが僕が結婚させられたくない理由だよ。僕が愛した凛月はもうこの世にいないけれど、僕の中には、いつだって凛月がいる。この命が尽きるまで凛月への愛は少しも変わらない。こんな男を、誰が――」



「ここにいます!」



 仁愛が、叫んだ。


「かずきさんの愛、りつさんの愛。私が、ぜんぶ、まるごと私がうけとめます! 一人の女性を愛して、愛し抜いて、愛し続けて、こんな三略結婚までして……かずきさん、すてきじゃないですかっ!」

「すてき?」


 涙を流しながら声をあげる仁愛に、和樹は目を丸くした。


「はい! りつさんだって、めちゃくちゃすてきな女性です! かずきさんにしあわせになってもらいたいって……自分がたいへんな時に、そんな……なかなか言えないですよ。そんな人に愛されたんだから、和樹さんが他のひとと結婚なんて考えられなくなったって、あたりまえです!」


 しゃくりあげながら、仁愛はまくしたてた。


「ぼく、は……」

「かずきさんは、いまのままでいいです! りつさんをおもいっきり愛してください。愛し続けてください。死ぬまで愛し抜いてください! そんな和樹さんのとなりに、できれば、私を、いさせてください」

「仁愛……君って人は、本当に……」


 仁愛の言葉が、和樹の心に染みる。

 それは和樹の奥底に眠っていた想いに届き、凍った心を優しく温めていく。


「ほんとうに、ほんとうに、ぼくとこのままで、いいの?」


 声をらした和樹が、仁愛に訊く。


「もちろんです。私のにんむは、せいりゃくけっこん、ですから」

「ああ……うん、そうだね……ありがとう」

「おれいなんか、いらないです。でも、話してくれて、ありがとうございます」

「この偽装契約結婚、相手が仁愛で本当によかった。この巡り合わせにも感謝しなきゃ」

「えへ。私も、一人のじょせいを、こんなに深く愛せる人と出会えて……嬉しいです」


 仁愛の視線が、和樹と混じり合う。

 どちらからともなく、二人が抱きしめ合う。

 その二人の口許くちもとは優しく緩んでいた。


「でも、そこまで大事な凛月さんの部屋が、ほこりまみれではかわいそうです。なので、今後は鍵を掛けないでください」

「えっ?」

「私、ここを掃除します」

「えっ!」


 和樹は仁愛の予想外な言動に、唖然あぜんとした。


「当然です。和樹さんの大切な人のお部屋ですから。それと趣味部屋の漫画とかも、こっちに移すというのはどうでしょう?」

「そっか……そうだね。それならもし凛月がここに来た時、退屈しないね」

「きっといますよ。今、この瞬間も」

「だとしたら僕、凛月の前で仁愛と抱き合って……最低の男になっちゃうかな」

「そうなりますので反省してください」

「ははっ」


 ようやく、和樹から笑い声が聞こえてきた。


「和樹さん。私は全てを受け入れます。凛月さんへの感謝も忘れません。だから、これからも一緒に戦わせていただけけますか?」


 その言葉で、和樹は仁愛を離す。

 泣きすぎて目が真っ赤だったが、しっかりと光がともっていた。


「僕のパートナーは、この世に仁愛しかいないってわかった。改めて、よろしく」


 和樹の言葉に、仁愛は予想外の行動に出る。


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