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第八話

 凛月りつの部屋を作る作業は、とても一日で終わるものではなかった。

 なにせ量が多い。その上、仁愛がお気に入りだったものもあるので、単純な選別作業というわけにはいかなかった。


 本棚は和樹がネットで注文し、すぐ届いた。

 当然、組み立てが必要だったので、仁愛では力が足りない。

 和樹が仕事を終えて帰宅し、夕食を終えた後に作業するしかなかった。


 凛月の部屋作りに加えて、結婚式の準備も並行しておこなわれたので、仁愛も和樹も会社を休む日が増えた。そこはなんとか有給休暇で賄えたが、仁愛たちの場合は籍を入れない三略結婚であるため、結婚休暇を取得することができない。


 これは仁愛のファーストアイも和樹のアルオンも同じ条件なのだが、就業規則には結婚式の日から、または婚姻届提出日から七日間、取得可能とあるのだが、問題は後者の方で、実際には婚姻届を提出しないのだから、規則に抵触する可能性が高い。


 仁愛も和樹もそこは相談し、結婚休暇は申請しない方向にした。そうなると当然、ハネムーンもなしになる。仁愛は全然平気だったが、和樹は嫁をハネムーンにも連れて行けないのかと親族から言われそうで、頭を悩ませていた。


 そこで仁愛は、もし和樹がハネムーンについて問い詰められたら、私がこう言っていた、と策を出してきた。その内容は間違いなく説得力を持っていたが、和樹にとっては口にできるかどうかわからないものだった。


 とにかく、そうこうしているうちに結婚式を翌日に控えた。

 仁愛と和樹にとっては、ある意味、桶狭間おけはざまの戦い、厳島いつくしまの戦い、川越夜戦かわごえよいくさに匹敵する、大奇襲作戦の前夜だ。

 明日の結婚式では、仁愛と和樹の親族が対面する。これはある意味、一条家のファーストアイ・ホールディングスと、橘家のアルオン・グループという、大企業のトップが顔を合わせるという、経済的大事件ともいえる場となる。そして、この結婚を苦々しく思っているものもいるはずで、そういうものを白日の下にさらけ出すための戦いでもあった。


 仁愛と和樹は前日、結婚式場に隣接しているホテルへ移り、そこで一夜を過ごした後、本番を迎えることになっていた。

 しかし。


「和樹さん……」

「ああ……」


 二人はあてがわれた部屋の間取りを見て、困惑していた。

 広さや装飾の問題ではなく、一部屋で、ダブルベッドというところが最大の問題だった。なにせ今回の結婚式は、式場側の都合をねじ曲げて、予定を強引にねじ込んだものだ。となると、招待客の宿泊までごっそり変わったので、ホテルの支配人から現状だと空き部屋がここしかない状況なのだと聞かされた。


 明日挙式するカップルなのだから部屋をわけられて困ることはあっても、一部屋にされて困ることはないだろう、という判断もあっただろう。それは至極しごく当然のことで、まして仁愛と和樹は表向き、同棲どうせいしているのだから、この状況を喜んでしかるべきだった。


 二人は「わーうれしいなー」「いいねー」など、支配人の前ではわざとらしく演技をしたものの、いざ部屋に入ってみると、脱力するほどラブラブカップルが泊まるような部屋だった。


「どうしましょうね、これ」

「どうしようもないね、これ」


 とりあえず中に入り、ソファに鞄を置く仁愛と和樹。

 さあ、早く入っておいで、と言わんばかりに存在感を放つ、純白のシーツに一枚の羽毛布団、そして桃色の枕が並んで載せられている、ダブルベッド。

 さすがに本番前で、どちらかが床やソファで寝るというのはまずい。

 それは兵法をよく知る仁愛も和樹も、理解していた。


 兵法三十六計の第四計に〝以逸待労〟というものがある。

 十分に体調を整え、疲れた敵を討つべし、という意味だ。特に今回の敵を両家親族などと想定すると、寝不足などの体調不良の状態で戦いに臨むのは無謀すぎる。

 なにせ相手は、日本中にチェーン店やショッピングモール、ネットバンク、レストランチェーン、ホームセンターなどなど、多角的な業界展開をしており、しのぎを削っている会社の社長や会長だ。いくら仁愛と和樹が有能であっても、まともにぶつかって勝てる相手ではない。


 そこで前日の今日、ここで最終作戦会議を行う予定だったのだが、どうにも目に入ってくるダブルベッドに、二人ともどぎまぎしていた。


「と、とにかく、やるべきことをやって、それから話し合いましょう」


 トマトのように真っ赤な仁愛が、和樹に言う。


「やるべきこと……」


 パプリカのように真っ赤な和樹が、仁愛に返す。


「ちょ、切り取るところがおかしいです!」

「あ、う、うん、ごめん」

「豪省してください」

「なにそれ?」

「猛省の上です。最上級の反省です!」

「そんな言葉あったっけ?」

「私が作りました!」

「オッケー、やるべきことをやろう」


 和樹は仁愛の言葉を受け流し、鞄からファイルケースを取り出す。


「これが僕の招待客リストね」

「あーっ! いま、馬鹿にしましたね!?」

「それと、新郎側の受付は大学時代の友人にお願いしてあるから」

「スルーも寂しいです……」


 しょんぼりする仁愛がかわいくて、和樹は声をあげて笑った。


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