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第九話

 それから。


 仁愛と和樹はノートパソコンを置いたテーブルを挟み、互いに明日に迫った結婚式の準備を行った。

 具体的には招待客リストの作成、受付を担当してくれる人を新郎新婦、各々二名ずつ。これはもう事前に声を掛け、計四名揃っている。その受付担当に渡す御礼金おれいきんも用意した。


 乾杯の挨拶は仁愛の父に、スピーチは和樹の父に頼んである。両家の顔を立てなくては、変な軋轢あつれきを生みかねないので、ここは慎重に決めた。


 そして結婚式を仕切ってくれる司会や、スタッフへの挨拶。これはもう既に済ませてから、こちらのホテルに移ってきたので問題ない。


 あとは招待客リスト順に挨拶文をメールで送信した。LINEなどを使った方が通じやすいが、全員のLINEアドレスを知っているわけではないので、ここは古風だがメールで代用した。

 そして双方の親への挨拶だが、双方ともにいらないというので、その意見をそのまま受け入れた。結婚式直前に面倒ごとを避けたかった仁愛と和樹にとっては、願ってもない展開だった。


 新婦が使うジュエリー関係は、既に式場に届いているという。これは支配人しか開けられない厳重なものだったので、相当高価なものだと予想できた。ドレスやこれら装飾品の選定は、仁愛の意向で全て式場側に任せてある。採寸だけはしたが、仁愛はウェディングドレスを見て「どれもよく燃えそう」という突拍子もないことを言い、どれでもいいです、とそっぽを向いてしまった。和樹も、仁愛を変に着飾らせるより、その方が仁愛らしくていいかもしれないと思い、受け入れた。


 より自然に。

 より隙がなく。

 仁愛は仁愛らしく。

 和樹は和樹らしく。

 そうしなければ、あの老獪ろうかいな親族の目を欺けない。

 これは二人とも同意見だった。


 そして肝心の結婚式の費用だが、全額、橘家が出すことに決定した。

 一条家としてもそれでは納得できないと一悶着ひともんちやくあったが、仁愛の姓を一条のままでよいという最大の譲歩を橘家が交渉のカードとして切ってきたことで、一条家はなにも言えなくなってしまった。


 何故なら、もし和樹と仁愛に子供が生まれたとすると、その子供には一条の名字を与えるという選択肢が残されるが、ここで橘家がごねて仁愛が橘の姓で嫁いだら、ファーストアイ・ホールディングスを創業者一族で固めたくても、橘を名乗る人間が継ぐことになってしまう。そうなれば、表向きはアルオン・グループの縁者がファーストアイを飲み込んだ形となる。それは一条家としては本意ではなかった。


 橘家も一条家も、競合他社がいることで業界が広がるという認識では一致していたし、なによりアルオンの創業者である和樹の父は元ファーストアイの幹部なので、その面でも和樹の結婚式は、橘家が出す方が筋が通ると押しに押し、一条家はそれを飲まざるをえなかった。


 こうして結婚式の費用を全額負担することになった橘家だが、その分、内容に関して口を出す権利を得た。実は仁愛も和樹も、このような結果になるのではないかということを読んでいた。その上で、この結婚式費用問題は、勝手に解決すると思っていたし、どちらも出さないとなれば全額、和樹が出すという予定だったので、なにも問題はなかった。


「とはいえ、親族の他に僕らに対して邪念を持つ人間が、確実に二人存在する。彼らがなにを仕掛けてくるかはわからないから、注意はしておかないといけない」

「以前言っていた、うちの雨之宮開発部長と、アルオンの株式会社セリーズ営業部長の渡辺美羽ですよね!」

「うん。ていうか、美羽はもう完全に敵認定なんだね」

「すいませんが、完全に倒すべき敵です。しかしこちらから仕掛けるわけにはいきませんかから。虎視眈々こしたんたんです!」

「お、おおぅ……」


 ぐっ、と、拳を握る仁愛。

 しかし、仁愛自身も何故、ここまで会ったこともない美羽に敵愾心てきがいしんを抱いているのか、その原因はよくわからなかった。


「でも、それなら僕だって、そちらの雨之宮を看過できないな」

「とても怖いです」

「へえ、驚いた。仁愛って怖いもの知らずに見えるんだけど」

「それは失礼ですよ~。私だって男性は怖いです」

「力ずくで襲われたら?」

「遠・中距離からなら掌底をカウンターで顎に、近距離、ゼロ距離なら締め落としてからの鎖骨折りです」

「せ、精神的な嫌がらせを受けたら?」

「全力で証拠を挙げてから訴えます。でも、それだけだと溜飲りゆういんが下がらないので、会社のキーボードにマヨネーズをかけます」

「どっちにしても怖がってないじゃないか」


 しかも、嫌がらせの報復が地味に困るものだった。


「とにかく! その二人以外にも、会社の幹部は警戒すべきです!」


 仁愛のその言葉に、すっ、と、和樹の表情が落ちた。


「確かに、仁愛の言うとおりだ。特に僕らの両親は、これまで社会で培ってきた経験値と、底知れない知識がある。もし今回の結婚が偽装だとバレたら、どんなペナルティを下されるか……」

「むむ……」


 仁愛は考える時の癖である、顎に右手を当てて天井を向く仕草を見せた。


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