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第十一話

「あ、和樹さん」


 そわそわと部屋を歩いていた仁愛が物音で気づき、和樹に顔を向ける。

 危うく鼻血が出そうになって、鼻を手で覆った。

 和樹はホテルが用意したバスローブだけという格好で、湯上がりの色気倍増現象も相まって、とんでもなく格好良く、そして男性的魅力を放っていた。


「おまたせ、仁愛。次、どうぞ。僕はもう歯を磨いたから、このまま寝るね」

「え、あ、はは、はい!」


 和樹の甘い声にとろけそうになりながら、上ずった返事をする。

 手にはいつでも風呂に行けるように、下着と着替えがある。

 今着ているワンピースは、洗濯物として持ち帰るつもりだった。


「では、いってきます」

「部屋は暗くしておくけど、心配しないで」

「しんぱい?」

「うん」


 仁愛は首を傾げ、とりあえず風呂に行く。

 服と下着を脱ぎ、浴室に入ると、湿気混じりの空気に身体を包まれた。

 男性の香りだ。


「これ、和樹さんの……」


 そう思うと身体がぶるっと震えて、熱くなる。

 ぶんぶんと顔を振り、シャワーの温度を調整して、頭から被った。

 どうかしている。仁愛はそう思った。

 確かに今の自分は平静ではないな、と、顔を洗う。


 しかしこの〝混水摸魚〟の状況において、どんな手が打てるのか。

 頭から湯を浴びながら、仁愛は一つの兵法に行き着いた。


「だったら〝空城計〟しかないですね。となると、この場合は……」


 仁愛は胸に手を当てて、決意を固めた。

 この計略を用いて和樹の心を裸にする。

 和樹が自分をどう思っているのかを引きずり出す。


 なにもかもわからない状況で、無理矢理むりやり犯されるのだけは嫌だった。

 結果的に同じことでも、その過程に目を向けたい。仁愛の表情は、きりりと引き締まっていた。


 そして。

 バスローブに身を包み、上気した頬をそのままに、着替えを鞄に片付けると、スマートフォンを手に取り、少し操作した後に明かりを消し、ダブルベッドに身体を滑らせる。

 スマートフォンをベッドの棚に置いて、和樹に目を向ける。

 和樹は背中を向け、ベッドの隅で寝息を立てていた。


「和樹さん、起きてますね」


 びくっ、と、和樹の身体が跳ねた。

 仁愛は和樹のたぬき寝入りなど、あっさり見抜いていた。


「あ、うん、実は。眠ろうと思ったんだけど、なかなかね」

「わかります。私もです。明日のこともあって緊張してますし、それ以上に、いま、この状況で、即座の安眠はむずかしいです」

「仁愛も、そうなんだ」

「当たり前ですよ。落ち着かないです」

「そっか、そうだよね」

「私は和樹さんと違って初めてなんですから。心臓の音が痛いです」

「な、なん――」


 なんで初めてではないことがわかったのか。

 和樹はそう言おうとして、口をつぐんだ。


「わかりますよ。これまで和樹さんは、自分が未経験であるという表現をしてきませんでした。裏を返せば、もう経験しているということです」

「……さすが」

「でも、その相手が一人とは限りません。実は和樹さんが、女の子をとっかえひっかえしている人だという可能性もあります」

「なっ!?」


 和樹が、思わず半身を起こして仁愛に視線を向ける。

 薄明かりの中、少しはだけたバスローブから小さな膨らみを覗かせていている、仁愛の姿があった。


「和樹さんは、私のことをどう思いますか?」


 湯上がりで温かい仁愛の身体から放つ女性の香気が、和樹を包む。


「どう、思う、って?」

「言葉のままです。好きですか、嫌いですか?」

「その二択なら、間違いなく好きだよ」

「和樹さんが経験したのは、凛月さんだけですか?」

「はい」


 一瞬、躊躇ちゆうちよしたが、仁愛は鋭い。

 嘘など通用しないと悟り、素直になることにした。


「ちゃんとこっちを向いてください、和樹さん」

「う、うん」


 そう促され、身体を回して仁愛の側に向ける。

 仁愛はしっかりと、和樹の目を見据えていた。


「わ、私とは、そ、そういうことを、したいですか?」


 甘い声、つややかな唇、そして直球の質問が、和樹の身体を反応させた。


「したくないといえば嘘になる。男だからじゃなくて、君が素敵で魅力的だから」

「うふ。ありがとうございます。私も、和樹さんに興味があります」


 仁愛は掛け布団を手にして唇まで上げると、視線を和樹から天井に移した。



「私、いま、下着をつけていません」

『!?』



 さらっと仁愛から投下された爆弾が、和樹の理性を直撃した。


「和樹さんはとても優秀であたまがよくて、素敵な人です。でも女性については勉強が足りません」

「それは、確かに。反論できないな」

「女性だって性欲はあるんです。経験したことがなくたって、この人とならしたいって、思うことがあるんです。だから、私、いま、すごく……れてます」

「えっ!」


 強烈なカミングアウト。

 和樹は、仁愛から様々なことを学んできたが、今夜のそれはレベルが違った。

 当然、和樹の男が反応する。

 いや、仁愛がベッドに入ってから、ずっと反応しっぱなしだった。


「もしここで和樹さんが私を犯しても、恨む気持ちは湧いてこないと思います。嬉しさ半分、辛さ半分かな、って。ここまで好きになってしまった和樹さんのことを簡単に嫌うことなんてできませんし、偽装とはいえ明日は結婚式です。結婚してなくたって男女の仲になっている人はたくさんいます。でも私は、和樹さんとそういう仲になるのは、まだ早いと思ってます」


 蕩々とうとうと語る仁愛の声は、少し震えていた。


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