私は食い入るように鏡の中に映し出される映像を見つめた。
今、なんて言った? モアには兄しかいない?
戸惑っているうちに鏡の中の映像は移り変わり、今度は金髪で緑の目の男の子が映し出される。
これは、レオ兄さん? いや、違う。
嫌な予感がした。
「ミハエルお兄さまー!」
モアが走ってくる。
「お兄さま、モアとお人形遊びしよ!」
金髪の少年はモアの頭をくしゃりと撫でる。
「ごめん、モア。俺はレオ兄さんと剣の稽古をしなくちゃいけないから」
そう言って去っていく少年。
顔から血の気が引いていく。心臓が大きく
鳴った。
「そんな……」
トボトボとうなだれて歩くモア。
「やっぱりモア、お兄さまよりお姉さまがいい」
モアはその足で両親の元へと向かった。
「お父様、お母様ー!」
「何だい、モア」
「あのね、モアはお姉さまがほしいの」
両親は顔を見合わせる。
そしてくすりと笑うとモアの頭を撫でた。
「それは無理だよ。妹ならともかく、お姉ちゃんとなると」
モアは、あの地下室へと降りていく。
「ふんだ、お父様もお母様もいじわるなんだから! モア知ってるもん、何でも願いを叶えてくれる悪魔さんが居るって」
地下室の古びた机の引き出しを開ける。そこには怪しげな魔導書と、指輪がひとつ。
やがてモアは晩餐にするために台所に置いてあったのであろう、死んだばかりの3匹の七面鳥を持ってくると、その血で魔法陣を書き始めた。
「悪魔さん悪魔さん、願いを叶えて!」
*
「以上が真相じゃ」
ニヤニヤと鏡の悪魔は笑う。
「私が本当は男だった……本当に!?」
こくり、とうなずくモア。その瞳からは、ポロポロと涙が溢れ出ている。
「まさか、こんなことになるとは思わなかったの。てっきり、どこかよそからお姉さまを連れてきてくれるのかと思ってたの」
泣きじゃくるモア
「まさか、私が突然鏡の前で前世の記憶を思い出したのも」
「ああ、女の身でありながら男のような言動をとる理由付けになるからそうしたのじゃ。性別を変えて記憶を誤魔化すことは出来ても、性格まで変えるとなると手間じゃからな」
鏡の悪魔の説明に、私は唖然とするしかない。
ヒイロが眉をひそめる。
「でも待て。性別を変えるだけでも大変なのに、人々の記憶も操作されてたとなると、かなりの魔力を必要とするはず。七面鳥三羽で足りるはずが無い」
鏡の悪魔は肩をすくめた。
「本来なら悪魔を呼び出したり願いを叶えてもらうのには多くの代償が必要だ。じゃが妾は優しいからな。普段はこの子の影に潜み、そこから毎日魔力供給を受ける契約にした。いわば分割払いじゃな。魔力ローンじゃ」
鏡の悪魔によると、小さい頃から魔力を吸われ続けていたモアは、足りない魔力を補うため地中や大気中の魔力を吸収する体質となったのだという。
また常に近くにいる鏡の悪魔の魔力の影響も受けることで、膨大な魔力を常に溜め込む体質となったという。
モアの魔力が異常に強いのはそのせいだったのだ。
「ひどい話ね。お姉さま、こんな女、お姉さまの妹に相応しくないわ! 私のほうがよっぽど……」
シュシュがモアを指さす。私は思わず言った。
「黙れ」
その剣幕に、シュシュは少しだけ怯んだ。たがすぐに気を取り直すと、俺にこんな提案をしてきた。
「そうだ。鏡の悪魔に、お姉さまをもう一度男の子に戻してもらえばいいのよ。そうすれば私もお姉さまと結婚できるわ!」
私をまた、男に戻してもらう――?
私は腕組みをしてニヤニヤと笑みを浮かべる鏡の悪魔を見つめた
「そんなこと、できるのか」
「ああ、できる。だが元に戻すとなると、前以上の代償が必要となるだろう。国民にも広くミア姫は女だと浸透しているし、今まで会った全ての人の記憶を書き換えることにもなる。おそらく――」
鏡の悪魔の山羊のような瞳が三日月のように細くなる。
「人が死ぬ」
すると鏡の悪魔に向かってモアはこう叫んだ。
「モアの命を使って!」
モアが鏡の悪魔に詰め寄る。銀色の髪が揺れ、絹糸のように輝く。
「もし、お姉さまが男に戻りたいというのなら、モアの命を使ってほしいの」
「モア......!?」
「だって、元々お姉さまが女の子になってしまったのはモアのせいなんだから。そのせいで、他の人が死ぬなんて耐えられない!」
私が呆気にとられていると、シュシュがくすくすと小さな声で笑った。
「ですって、お姉さま! これで邪魔者もいなくなるし、お姉さまはもっともっと強くなって私と結婚できるし、丁度いいわ」
男に戻れる?
私が? 男に戻って、生まれる前から望んでいたように強い勇者に……。
モアの命を犠牲にしてまで?
「いや、違う」
分かり切ったことだ。何を迷うことがある?
「私は、男に戻らなくていい」
私は、鏡の悪魔を、シュシュを、そしてモアの方を見て宣言した。
「なっ、どうして? どうしてよ!」
シュシュが詰め寄る。私はしがみつくシュシュの腕を振りほどいた。
「私がなりたいのは、大切な人を守ることのできる強い勇者だ。もう二度と大切な人を悲しませない、そう誓ってこの世に生まれてきた。だから……モアの命を犠牲にして男になっても意味がないんだよ」
「お姉さま……!」
モアが抱き着いてくる。
「ごめんなさい……お姉さま。モアのせいで……!」
モアの柔らかな髪を撫でる。
「いいや、モアのせいじゃないさ。それに私は、今の自分、結構好きなんだ。だってそうでしょ。男の姿で強いより、美少女なのに強いって方がカッコいいじゃん。私はこの姿のまま、勇者を目指すよ」
そう言って笑うと、モアは泣きじゃくりながらうんうん、とうなずいた。
男だろうと女だろうと、自分は自分だ。
それよりも大事なのは、モアを、大切な人を守るってことなんだ。