目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第69話

 私はモアを抱きしめた。


 柔らかなぬくもり。私はモアが大好きなのだと改めて思う。


 モアを犠牲にして男に戻るなんて、私らしくない。だってモアの事が大好きな自分こそが自分らしいんだから


 私は男らしくなりたいんじゃない。自分らしく生きられればそれでいいのだ。


「お姉さま~! ぐすんぐすん」


 泣きじゃくるモアを、私はきつく抱きしめた。


「モア~♡」


 だが、その様子を見ていた鏡の悪魔がため息をつく。


「その……盛り上がってるところ悪いのじゃが」


 鏡の悪魔が指さしたのは、背後にある巨大な鏡だ。


「妾の召喚がなされなかったが、満月の日に強い魔力をため込んだ鏡。何やら良くないことが起こりそうじゃ」


 にやりと牙を見せて笑う悪魔。


「え?」


 満月が鏡を照らす。

 ゆらり、と鏡が夜の湖面のように不気味に揺れた。


 心臓が鳴る。

 嫌な予感がした。

 その瞬間――黒い巨大な影がぬらり、と鏡から這い出てきたのであった。


「なっ、なによこいつ! きゃあ!」


 黒く太い前足がシュシュの体をとらえる。

 鏡から這い出てくる黒い蹄、太い前足。


「シュシュ!?」


「嫌っ! 離せ……離しなさいよ!」


 やがてその黒い物体の姿が露わとなった。

 歪な肉の塊に覆われた全身は黒く、足は6本、頭には雄牛の角。

 白目の無い真っ黒な目は虚空を映し、こちらを気にする様子もなくただシュシュの体をギリギリと締め上げている。


「や……やめっ……ああっ!」


 宙に浮いたシュシュの白い太股がビクビクと痙攣する。


「ふむ。こいつは牛鬼じゃな。知性はあまりないが、力は強い。特に今日は満月じゃし、鏡から魔力を得て力を増しておるようじゃな」


 鏡の悪魔は興味深そうに言う。


 初めは抵抗していたシュシュは殆ど動かなくなり、顔色も青白く死人のようだ。まさか、死んだんじゃねーだろうな!


「シュシュ!」


 私は牛鬼の腕に斧で一撃を食らわせた。しかし、太く硬い腕はびくともしない。


「お、おい。あいつを助けるのか!?」


 ゼットが私の袖を引っ張る。

 確かにシュシュは子供たちを誘拐しモアを攫った大罪人だ。だけど――。


 私は少し考えた後にうなずいた。


「ああ。罪の償いは牢屋でしてもらう」


 ゼットはその答えに頷くと、剣を構えた。


「そうか。……でやっ!」


 ゼットによって振り下ろされる剣。スッパリと綺麗な切り口で牛鬼の腕は切り落とされた。


 床に落ちるシュシュの体を、私は急いで抱きかかえた。

 どうやら意識を失っているだけのようだが、顔色はまるで死人のようだ。


「――クソッ!」


 シュシュの体を地面に横たえ、私は牛鬼に向かき合った。


 牛鬼は白い蒸気のような息を吐きながらこちらへ太い腕を振り下ろしてくる。


「くっ」


 私は横に飛び、かろうじてそれを避けた。


 太い腕がダンジョンの壁に当たり、その振動でガラガラと天井が崩れ始める。するとヒイロが叫んだ。


「ここは私たちに任せて。あんた達は早くここから逃げるんだ」


「そんな、お前らを置いて……」


 アオイが静かな口調で首を振った。


「いえ、私たちなら大丈夫です。お姉さま、自分の妹分を信じてください。それよりお姉さまは早く、そいつを警察に」


 アオイは紫色の組紐を構える。その瞳は真剣そのものだ。


「あ、ああ!」


 私とモア、シュシュを背負ったゼットは、崩れ始める部屋から出た。


 去り際に、私は二人の方を振り返った。


 アオイの放った組紐が、巨大な牛鬼の動きを止める。


 ヒイロが刀を構える。瞳が紅々と光り、刀からほとばしる火炎を映す。


「秘剣・紅蓮暗黒剣!!」


 燃え盛る炎とともに放たれる強烈な一撃。

巨大な火柱が立つ。苦悶の表情を浮かべた牛鬼の顔が引き裂かれ、辺りは炎とともに真っ白な光に包まれた。





「あの二人、大丈夫かな」


 ゼットが心配そうな瞳をする。

 私は先ほど見た光景を脳裏に思い浮かべながら答えた。


「大丈夫だよ、あれは勝ったさ」


 私の答えに、鏡の悪魔も同意する。


「じゃな。あの二人見かけによらずやりおる。あの威力じゃ跡形もなくなっているじゃろう」


 そんな事を話していると、突然地面が揺れた。


「何だ!?」


立ち止まった俺たち。すると急に鏡の悪魔の顔色が変わった。


「――こいつは! まずい、岩陰に逃げるんじゃ!」


 咄嗟に岩陰に隠れる私たち。

すると先程まで私たちがいた場所に、巨大な炎が降り注いだ。


「なっ......!?」


 私は驚きのあまり目を見開いた。

 そこに居たのは、私が冒険者試験の時に会った、あのドラゴンであった。


 ドラゴンと私の目が合う。


「なんだよ、あの時のドラゴンじゃないか。おーい、私だ……」


 しかし、ドラゴンはこちらを睨みつけたかと思うと、思い切り息を吸い込み、火を噴いたのであった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?