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第17話 泥沼にはまる

 いきなり「話をする機会」なんて言われて戸惑う僕に構うことなく、ルークは馬車に乗り込んで来ようとする。先日の彼とは全然違う、礼儀知らずな行動だ。そこまで必死になるなんて、すごく意外な感じ……。


 って感心してる場合じゃない!

 さすがに近くで、しかも二人きりで話なんてしたら僕が本物の“エレノア”じゃないって気づかれるよ! マズイマズイマズイ!

 僕は扉の縁にかけられたルークの指を引きはがそうとする。ルークはもちろん抵抗する。しばらくせめぎ合っていると、ふとルークの力が緩んだ。彼の目は僕の手に向けられている。


「エレノア……? 少し見ない間に、ずいぶん手が荒れたみたいだね……?」


 うわああああ、しまった!

 屋敷の雑用を手伝う僕の手は、すべすべした姉上の手とは全然違うんだ!


 怪訝そうな顔をしたルークの胸を僕は思い切り押した。その瞬間に僕の髪から光輝くものがこぼれて、体勢を崩したルークと一緒に落ちる。あれは姉上から渡された黄金の髪飾りだ。どうも上手く刺さってなかったみたい。

 地面に顔を向けてルークが髪飾りを拾い上げる。


「……これは、ドネロン伯爵の……」


 そうして馬車の中の僕を振り仰ぎ、叫んだ。


「ああ、エレノア! あのときボクに言ったことは本当だったんだね? まさか、既に!」


 姉上。

 何が「普段通りに過ごすように」ですか。

 ルークとの関係に特筆すべきものがないって嘘じゃないですか。

 あの髪飾りはどういうシロモノなんですか。

 ドネロン伯爵と何があったんですか。

 僕は、僕は、この状況で、どう行動したらいいんですか!


 焦るあまり完全な無表情になった僕に向かって、ルークは髪飾りを手にしたまま訴える。


「エレノア、聞いてほしい。ボクがジェフリー卿からの婚約話を受けたのは、君がモート家の教師をしていると聞いたからなんだ」


 ……は?


「ボクはどうしても君に会いたかった。あの日からボクを避け続けている君と、もう一度話をする機会を得たかったんだ。だから、ボクは」

「どういうこと?」

「え? エ……レ、ノ……?」


 ルークの表情が困惑へと変わる。そうだね、今の僕はぜんぜん“エレノア”の演技ができてない。おそらくすっごい顔でルークを見てるはずだ。ちゃんとしなきゃって分かってる。女装に気付かれるわけにはいかないってことも。


 分かってるけど、さ!


「サラと婚約した理由は、何だって? もう一度言って」

「理由は……君がサラ嬢の教師をしているからだ。もしもボクがサラ嬢の婚約者になれば、サラ嬢の教師をしている君と会える機会が生まれると思った」

「なんだよ、それ!」


 貴族の結婚なんて家同士の駆け引きだ。純粋に相手を思って決まる話なんてほとんどない。そんなことは僕だって十分に知ってる。

 だけど。

 だけど僕は、大好きなサラに幸せになってほしかったんだ。


 ルークとならサラはきっと幸せになれると思った。家柄も人柄も悪くなさそうだし、もしかしたらサラの……初恋の人、かもしれないわけだし。


 だけど、今のルークの言い分はなんだよ? 姉上エレノアと会える機会が生まれるしれないから婚約した、だって? サラとの結婚を決めたのはそんな理由? たった何回か姉上と会うためだけに、今後の長いサラの人生を利用したのか!


「ふざけるな! そんなことのためにサラを巻き込むなよ!」

「もちろん結婚したあとはサラ嬢と心通わせたいと思っている。だけど、その前にどうしても――」

「なにをしてるの!」


 ルークの言葉を、女性の高い声がさえぎった。

 木立の向こうから、サラがこちらへ走って来ていた。


「いつまで待っても馬車が来ないし、変だと思ったら、こんなところで!」


 馬車の横に立つサラは肩で息をしながら、落胆した様子のルークと、馬車の中にいる僕との間で首を往復させる。

 そうしてきゅっと唇を噛み、ルークの手から髪飾りを取って、凍えそうなほど冷たい目線で“エレノアぼく”を見た。


「……帰って」


 突然の言葉を僕はうまく飲み込めない。


 サラは今「帰って」って言った?

 ええ? どうして?

 だって今週は“エレノアぼく”がモート家に来る週だ。ほら、こうして馬車だって用意してたじゃないか。だから来たのに。どうして? どうして?


 意味がよく分からないまま見つめ続ける僕を、サラが睨みつける。


「私に見えない場所でルーク様を誘惑するなんて。エレノア様は最低ですね」

「なっ!」

「サラ嬢、違う!」


 僕とルークが同時に口を開くけど、サラの態度は軟化しない。


「エレノア様がそんな方だと思いませんでした」

「誤解ですわ! 話を聞いてくださいませ!」

「言い訳はいりません。もちろん、これ以上の淑女教育も不要です。今後もうちへお越しになったとき、エレノア様がまたルーク様を誘惑するかもしれませんものね」

「わたくしは、そんなこと!」

「契約の期間より短くなってしまったけど、報酬は約束どおりにしてもらえるよう父には話しておきます。今回のエレノア様の行動も口外はしませんからご安心ください。だって『婚約者を寝取られそうになったから、来てもらうのをやめた』なんて。私がみじめすぎます」

「サラさん!」

「――今まで、ありがとうございました!」


 サラが手の中の物を投げる。それは僕の肩口を通りすぎ、馬車の壁に当たって、床に転がった。さっき落とした金色の髪飾りだ。

 唖然とする僕に向かって、サラが優雅に頭を下げる。


「それでは失礼しますエレノア様。もう二度と、私の前に姿を見せないでくださいね」

「待って!」


 僕は馬車から飛び降りようとする。だけどその前に馬車の扉が閉められた。サラが強い表情で御者さんに何かを言い、馬車が動いて景色が流れていく。うつむいたルークと、なぜか泣きそうなサラが消えていく。

 扉は内側から開かない。僕は御者さんを呼び出すためのベル紐に飛びついて、何度も何度も下に引く。


「止まって! 止まって!」


 だけどベルをいくら鳴らしても、僕がどんなに叫んでも、御者さんは反応してくれなかった。


 馬車は玄関の前を通りすぎてぐるりとまわる。

 先ほどの木立にルークとサラの姿はない。まるで夢だったみたいだけど、止まらない馬車が夢じゃないって示してる。

 今さっき来たばかりの道を戻る僕は、あまりの展開の速さに頭が追いつかないまま、馬車の床にしゃがみこんだ。


 どうして?

 どうして、こんなことになったんだよ!


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