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余話:あの日の会話

「……もう少しちゃんと面倒を見ないと、今年も咲かないかもしれない。よし。明日からはもっと頑張ろう!」


 道具一式を抱えたグレアムが己に気合を入れて庭園を出たところで、一人の女性が「あっ」と声を上げた。


「坊ちゃんだ! こんばんは!」


 立っていたのはグレアムの母に仕えていたメイドだ。ホウキを持っているので、どこかの掃除でもしていたのだろうか。


「こんなとこでどうしたんです?」


 そう言いながらメイドは、底抜けに明るい顔でグレアムに近づいてきた。

 母が亡くなった際、このメイドがわんわん声をあげて泣いていた姿をグレアムもよく覚えている。数か月が経ち、彼女もこうして笑えるようになったようだ。良かったな、と思いながらグレアムは腕に抱えたものを少し上げて見せる。


「花の手入れだよ」

「あー、そっかー。庭師の皆さんもいなくなっちゃいましたもんねー。道具も大半がなくなっちゃったから、お花を咲かせるのも大変でしょ?」

「うーん……まあ……」

「ですよねー!」


 グレアムが濁した言葉を、メイドは肯定だととらえたようだ。


「そうだ。アタシの実家は農家なんですよ。ウチのおっとおに『何か道具を貸して』って頼んでみましょうか!」

「いや、いいよ。畑仕事の道具なんだから、そっちで使ってもらって」

「遠慮しなくても大丈夫ですよ! もしウチで何も出せなくたって、村のみんなにも声を掛けたら、きっと何かくれるはずです!」

「気持ちだけもらっておくよ、ありがとう」

「そうですか?」


 メイドは少し残念そうに言って、ぽん、と手を叩く。どうやら持っていたことを忘れていたらしいホウキがメイドの手から落ちて石畳で鈍い音を立てた。思わすそちらを見たグレアムだが、メイドは気にした様子がなかった。


「じゃあせめて、坊ちゃんの持ってる道具をアタシが片付けておきますね!」

「い、いいよ。僕が持って行くから!」

「遠慮しないでくださいって。それに坊ちゃんだってお腹空いたんじゃないですか? さっき厨房の人から聞いたんですけど、そろそろお食事の時間になるみたいですよ!」


 聞いたタイミングでグレアムの腹が「ぐー」と鳴る。


「ほらほら、坊ちゃんのお腹は『空いてる』って言ってますよ! あとはアタシに任せてください!」


 グレアムの手から半ば無理やり園芸道具を取ったメイドは、自身の落としたホウキも拾い上げると、よたよたと道を歩いていく。


「大丈夫かな……」


 不安に思いながらもグレアムが玄関の中へ入ると、ちょうどエレノアが二階から降りてきたところだった。

 姉はグレアムを見て、優美な眉をきゅっと寄せる。


「服が汚れていますわ」

「え? あ、ごめん」


 明かりに照らされると、外にいたときよりもいっそう土が目立った。園芸道具を抱えていた腕は特に顕著で、灰色の袖はほぼ茶色くなっている。


「パートリッジ本邸の使用人はだいぶ減っていますのよ。洗濯もままならなくなっているのですから、お前も庭師の真似事などおやめなさい」

「でも。僕は、『暁の王女』を咲かせたいんだ」

「無駄ですわ。現にお前一人の力では、花を咲かせられなかったでしょう?」

「確かに今回は駄目だったけど、次はきっと大丈夫だよ」

「大丈夫ですって? お前は本当に能天気ね。今回が駄目だったのなら、次も無駄に決まっていますわ。だって我が家の状況はこれからどんどん悪くなるのですもの」


 エレノアの言葉が、グレアムの胸にぐさりと刺さった。

 確かにこの姉が言うことは正しい。

 『暁の王女』が開花しなかった要因はいくつか考えられた。それは見よう見まねでおこなったグレアムの剪定がうまくいかなかったせいもあるだろうし、栄養が必要な時期に十分な肥料を用意できなかったのも大きいに違いない。更に今後は本邸の人手も減り、財産も減るのが目に見えている。グレアムだって『暁の王女』にばかりかまけてはいられなくなるだろう。咲かせたい気持ちはあるけれど、本当に上手くいくのか。正直に言えばグレアムだって先が不安になっている。そこを突かれてしまっては返す言葉もない。


 黙ってしまったグレアムを冷たい目で見下ろし、エレノアは手にした扇で口元を覆う。


「あの成金の娘にあげるためか何かはしりませんが、お前がどんなに頑張ろうとも『暁の王女』は咲きません。諦めなさい」


 それでも「諦める」とは口に出せなかった。うつむいたグレアムがきゅっと唇を噛むと、エレノアは深く息を吐く。


「……もうすぐ夕食の時間になりましてよ。食卓につきたいのなら、土にまみれた服を替えてくることね」


 そう言い残し、階段をおりたエレノアは華やかな香りを残して去っていく。しんとした廊下の中でグレアムは顔を上げた。窓の向こうでは、少しずつ手が行きわたらなくなっている庭園が西日に照らされていた。

 やがて姉の残した香りが消えるころ、グレアムはぽつりと呟く。


「分かってるよ、姉上。だけど僕はできる限り、『暁の王女』を咲かせる努力をしたいんだ……」


 十歳のあのときが最後だった。サラとはもう二年も会ってない。ときおりやってくるジェフリーの口からサラの動向が聞けたこともない。

 それでも『暁の王女』さえあればサラとの関係が切れずにいられるような、そんな気がグレアムはしていたのだった。


 そのグレアム視界の端で、庭園の道を歩いていたメイドが派手に転ぶ。彼女が持っていた道具が辺りに散乱した。


「う。やっぱり大丈夫じゃなかった」


 呟いたグレアムは扉へ駆け寄り、取っ手を引く。静かだった建物の中に、風が木々のざわめきを連れて来る。


「おおい、大丈夫か?」


 大声で叫び、グレアムは道を走り出した。

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