「以津真天」とは
江戸時代の画家、鳥山石燕の妖怪画集
「今昔が図百鬼」に描かれた
不気味な鳥の姿をした怪異。
「太平記」によれば
建武元年、西暦で言えば1334年の秋、
都に疫病が流行り、多くの死者が出た際、
毎晩のように紫宸殿の上に怪しいものが現れ
「いつまで…いつまで…」
と不気味に鳴き、人々を怯えさせたという。
鵺退治で有名な武士、源頼政によって
弓矢で射られ退治された怪鳥は
頭部は人間に似ていたが曲がった嘴があり
その中にはノコギリのような歯が生えそろい
胴体は蛇に似ていて、
両足の爪は剣のように鋭く
翼を広げると
何と4.8mもあったそうだ。
名前の由来となった
「いつまで…いつまで…」
という鳴き声は
疫病で亡くなった人々の遺体を
「供養もせず、
いつまで放置する気なのか」
と時の為政者を責めている
と言われているが
その解釈が生まれたのは
昭和以降の妖怪関連の文献かららしい。