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第4話:人の記憶の中にしかいない『私』

「もしかして、レインくんも関係ある感じ? と」


「……」


 作り笑いを浮かべながら問いかけた私の表情に一瞬驚きを顕にした彼だが、すぐに苦い表情で再び俯いた。


「みんな、そうなんだよね……私の大切な人はみんな『私の知らない私』を通して私を見る」


 そして、目の前の彼も同じ。今の私ではなく『過去の私』を守ろうとしてくれた。


 私には、ある年齢から以前の記憶がない。


 所謂『記憶喪失』というやつだが、よくある『ここはどこ? 私は誰?』みたいな生易しい記憶障がいではなく、文字通り『生きてきた記憶』を完全に失くしてしまった。


 友達、家族どころか言葉やトイレの仕方さえも。


 エリシアもそんな『過去の私』を知る一人で、今でこそ口にしないが記憶を失った私に対してとても親身にお世話してくれたらしい。


 らしい、というのも当時の記憶は朧げで、どこからエリシアが関わってくれていたのかもわからない。私にとってはある意味『私』と言う始まりからエリシアという存在は共にあった。


 でも私は、いつもその『その思い』に居心地の悪さを感じていた。


 この人達は一体『誰』を見ているのか……それは、私じゃない。


 少なくとも『今の私』ではない……私はそんな過去を知らないのだから。


 急速に沈んでいく自分の感情を感じていると、彼はおもむろに立ち上がり私の前に立つと勢いよく両肩を掴んできた。


「——へ?」


 ビクッと肩を震わせた私の顔を覗き込む彼は真剣な瞳で私を見据える。


「関係ない……昔も、今も——俺の記憶にあるおまえは目の前のおまえだ!!  ルゥシィ!」


「ルゥシィ……そっか、そんなに仲、よかったんだ。ごめんね? 忘れちゃってて」


 彼が私の名前を親友や家族同様、慣れ親しんだ愛称で呼び、私は自嘲するようにその真剣な彼の瞳から目線をそらした。


「たとえ忘れていても、俺は覚えている。おまえに助けられたから俺は——」


「だから、誰よ……それ! 私は知らない!! 勝手に恩なんて感じられても私は知らないの!!お父さんも、お母さんも……エリシアも、私が『私』を、どんなに可愛く取り繕っても、誰も今の『私』を見てくれない!」


「……っ」


「最後にはこの天職だもん……全然可愛くない、可愛くないよ【暗殺者】なんて!! 私って何? なんなの!?」


 押さえ込んでいた物を吐き出すように、彼にぶつけてしまった。


 完全な八つ当たり。最低な、『私』。


 やり場のない気持ちが、俯いた私の瞼から溢れて床にポタポタと落ちていく。


「俺の兄貴も……戦闘系だった」


「え?」


 ぽつりと呟きこぼした彼の言葉に、私は目を丸くして顔をあげた。


「戦闘系の……しかも、アレックスと同じ勇者だ」


「アレックスくんと、同じ?」


 【勇者】、戦闘系最上位と言われるその天職は、同時にこの国において侮蔑の対象。


 最も屈辱的な称号であるとされている。


 そして今の私にはその称号の意味と辛さが嫌というほどよくわかった。


「俺の家族はそれが原因で壊れた……兄貴が突然姿を消し、母は病に倒れ、親父も姿をくらました」


 彼の口から語られる重い事実に、言葉を失う。同時に両親の顔が頭の中に強く浮かんできた。


「レインくんの、お母さんは……」


「ずっと寝たきりだったが、去年、死んだ」


「——っ、ごめん、私」


 なんて重たい物を一人で背負っているんだろう。


 私の悩みなんて彼の気持ちに比べたらただのワガママみたい、と浮かび上がる感情に、だが割り切れない自分の状況への悲観も同時に押し寄せる。


「気にしなくていい、俺はずっと探し続けているんだ……兄貴を」


「お兄さんを、ずっと?」


「ああ、そして見当もついている……おそらく兄貴はあの塔、政府機関の塔に居ると」


「政府の、塔——いっ!?」


「ルゥシィ?」


 突然、殴られたような痛みが頭を襲い、わけのわからない感情が胸をかき乱す。



 ————首のない獣、私……じゃない私? 黒髪の女の子。



 酷く乱れた断片的な映像が脳内を駆け巡り、ノイズの激しい少女の声が耳の奥に語りかける。


「大丈夫か?」


「ああ、うん……ごめん、なんか目眩がしちゃって」



 ——無駄、何もかも無駄、何を取り繕ってもあなたは、ワタシ。



「……」


「あんな目にあったんだ、無理もない。今日はこのままゆっくり——」


「待って、私は大丈夫だから……もう少し、聞かせて? お兄さんと、レインくんの話」



 ——あなたには、できない。ワタシにしか、できない。ワタシの『居場所』を返して。



「——っぅ」


 耳の奥をつんざくような声、その度脳裏に映し出されるのは『漆黒の少女』。


 まるで見たことがない、暗闇の様な少女の姿。でも、なぜだろう、私は彼女を知っている。

 会ったことは、多分ない、でも断言できる。


 彼女は——。


「本当に大丈夫なのか?」


 彼の声に意識の底に引き込まれ沈みかけた自我が浮上する。

 ハッと我に返った私は、なんでもない様に取り繕い、話の続きを促した。


「う、うん、平気……それで、どうしてお兄さんがあの塔に?」


「俺は、兄貴を探すために色々な人間に聞き込み、そして気がついた。いないんだ、どこを探しても『腕輪』をつけた人間が」


「そう、かな? 私は何人か見たこと——」


「そう、俺も見たことはある。はな。毎年十数人の戦闘系が開花式でする……だが、少なすぎるんだ、明らかに」


「考えすぎ、じゃないかな? みんな人目につかないように仕事していたり、私も誰かに会いたいとは思えないし」


 少なくとも私は、出たくない。あんな『視線』に晒されながら生きるなんて耐えられない。


 私の言葉に彼はただ黙って俯いていた。


 頭痛が僅かに和らいできた私は、彼の入れてくれたお茶にそっと手を伸ばす。


 ゆっくりと乾いた唇を湿らせる様に口に含んだお茶。爽やかなハーブ特有の香りが再び私の心にちょっとだけ余裕を取り戻してくれる。


「俺は、見たんだ……戦闘系の天職、特に【剣士】みたいな攻撃色の強い奴が、白装束に武装した、見たこともない奴らに連行されていくのを」


「それって、あの『塔』に? ——っ、また」



 ——あなたでは、倒せない。それは、ワタシの、敵……ワタシの敵、ワタシの居場所。



 ズキンと後頭部に突き刺さる痛みと声。


(うるさい!黙って!!あなたなんか私はしらないっ!!勝手に『私』を主張しないでっ!)


 ——……。


 煩わしい声を黙らせる様に心の中で叫ぶ。私はそんな葛藤を彼に悟らせないように、奥歯を噛み締めて表情を取り繕った。


「あの塔には何かがある、きっと兄貴もあそこに連れ去られたに違いないんだ」


「……だとして、もしそうだとして、どうするの? お兄さんを見つけて、例えばここに連れて帰ってこれたとして、どうするの? どうやって、生きていくの?」


 無意識に指先が震える。先ほどからの嫌な声のせいか自分の心が波立っているのがわかる。


 これは、彼に言うべき言葉じゃない、私の不安だ。


「……俺は」


「ごめん! 私、レインくんにそんな事言うつもりじゃ」


 ハッとした私は、自分が口走った言葉を思い返して思い切り頭を下げた。


「いや、いいんだ……ルゥシィの言うことは間違っていない」


 彼はどこか悟ったような表情でゆっくりかぶりを振ると、口元に僅かな笑みをたたえて私を見つめた。


「俺は、兄貴と一緒にこの『国』を出る……この『閉ざされた国』を出て、俺たちの居場所を探しに行きたいんだ」


「……レインくん」


 馬鹿げている、そんな言葉が頭に浮かんだ。


 それほど彼の言っている言葉はこの国に生きる私達にとって、荒唐無稽な発想だった。


 私達は例外なくこの国で生まれ、一生をこの国で過ごす。


 世界に他の国々があるのは一応知識として知ってはいる。


 だけどそれは、本当の意味で知っているとは言えない。


 私達にこの国から出る自由などないし、そんな考えを持ったこともない。


 『国を出る』それは、物語で例えるなら見たこともない全く別の『異世界』に飛び込むような感覚だった。


「ルゥシィ、俺と……俺たちと一緒にこの国を出ないか?」


 彼の言葉は子供のワガママよりも酷い物だった。


 政府の機関からお兄さんを連れ出して、見たこともない『異世界』に飛び出そうと言う。


 どこまでも稚拙で、無謀。


 まだ子どもと言われても否定しきれない私たちが描くには、ある意味お似合いな絵空事。


 でも、不思議と、それを否定したいとも思えなかった。


「……うん」


 気がつけば頭に響く声と違和感は消えていて、澄んだ藍色の瞳を向ける彼の言葉に縋り付くように私は頷き返していた。


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