燦々と眩い日光が降り注ぐ昼下がりの街中。
「あの、おーもありまもうもはいまひはぁ(どうもありがとうございました)」
私は今、聞き込みの為に致し方なく『クレープ』をはもはもしている。
断じて遊びではない、不可抗力だ。甘い、幸せ、美味しい。不可抗力だ。
なぜ、絶賛逃走中の私がこんな街中で幸せを口の中いっぱいに広げながら『クレープ』をハモハモしているのかと言うと。
昨日の夜、レインくんから語られた言葉に頷いたのはいいものの、私自身まだ実感が持てていなかった為に、現実をこの目で確かめたい。
と、彼に止められながらも半ば強引に調査と称して街の中へと繰り出していた。
ちなみに現在の私は、彼のお下がりである子供っぽいトレーナにズボンとキャップを被った『男の子』スタイルで変装している。
胸はどうしたのかって? そこは聞かないのがマナーだよ。
とにかく、私は『今の自分』から見える景色を見て、これからの道を決めたいと思ったのだ、逃走中の身には贅沢な思考だと重々理解しつつも私はワガママを通した。
彼には一先ず、いつも通り『学園』に登校してもらっている。
今日は昨日の開花式で天職を得た『非戦闘系』の生徒達が将来的に専攻する分野別に分かれてのオリエンテーションだったはず……もう、私には関係のない話だけど。
「ねえ、ボク? どうして『戦闘系』の人達がどこにいるか、なんて聞いて回っていたのかな?」
甘いクレープを頬張りながら遠くを見つめていた私に、クレープ屋の美人なお姉さんがにっこりと話しかけてきた。
どことなくお姉さんの舐め回すような視線と息遣いに身震いしながらも、私は口に残ったクレープを飲み込んでお姉さんに向き直った。
「わた——ぼ、僕の……お姉ちゃんが、戦闘系になって……家に帰ってこなくなったから」
わずかに彼の境遇を自分の立場と重ねて、心の中に罪悪感を抱きながらも私は静かに応えた。
「そう……辛かったわね? 出来ればお姉さんの全身を使って嫌な思いも全部まとめて溶かしてあげたいところなのだけど——そうも言ってられないわよね」
お姉さんは、よくわからないが深堀するべきではない言葉をさらりと口にしながら一瞬身をよじるが、すぐに真剣な面持ちで私を見据えた。
「私は、ただお姉ちゃんが無事か知りたくて……大人の人達に聞いてたんです」
そこへ声をかけてくれたお姉さんの行為に甘え、クレープをご馳走になっていたりする。
「……誰も教えてくれなかった? と言うより君と関わろうとしない、かな?」
「——はい、お姉さんは何か知って」
含みのあるニュアンスで語りかけるお姉さんの言葉に何かを感じた私は、深く被ったキャップの奥から視線を向けた。
「悪いことは言わない、手を引きなさい? それが
最後どこかアダルトな雰囲気の声色を発したお姉さんにゾワリと肌を粟立たせてしまったが、私はひとまずお礼を言ってその場を後にした。
□■
結局大した情報も得られぬまま、昨日の逃走劇が嘘の用にいつも通りの日常を過ごしている街並みを見ながら、トボトボと気の抜けた思いで歩いていると。
「ぁ、いけない! いつもの癖で家の方に来ちゃった」
視線の先に映るのは、今最も会いたい人のいる帰りたい場所。
ただ、その様相はいつもと違っていた。
「やっぱり、沢山見張りの人がいる。私の事、探しているんだ……どうして、そんなに、ここまでしなくちゃいけないことのなの? 戦闘系の人間は、ただそれだけで、そんなに危険だって言うの? 私は、私なのに」
込み上げてくる切ない感情を、今はぐっと堪え、慣れ親しんだ家に背を向けた、瞬間。
「——ルゥシィ?」
「お、かあさん」
振り向きざま、その視界に映り込んだのは、私を見て硬直する母の姿だった。
母は、その瞳を激しく揺らし、今まで見た事もない表情で立ち竦んでいた。
私は、とにかく事情を理解してもらおうと必死に言葉を発した。
「お母さん! 心配かけて本当にごめんなさい、でもね私——」
「ここに! ここにいるわ!! 誰か!?」
母は私の言葉を聞き終えるよりも早く、私の存在を伝えるべく声を上げていた。
「——ぇ、なんで」
まるで危険な生き物でも見るように、私を怯えた目で見ながら後ずさる母の姿に、私はただ唖然と立ち竦むことしか出来なかった。
「いたぞ!! 手配中の少女を発見した、絶対に逃すな!!」
母の声を聞いた見張りの人たちが、いつの日か教科書で見た〈魔装銃〉と思しき武器を携えて私の元へと走ってくる。
私は、無条件に溢れ出る涙を拭うまもなく、揺り動かされる感情に呑まれる前に、見張りへと叫び声を上げる母の横を走り抜けていた。
——お母さん……お母さん、なんで?
霞む視界を必死に拭いながら、背後から追いかけてくる複数の足音を振り払うように必死に走った。
無意識に取り出したデバイスを握りしめ、気がつけば呼び出しのベルを発信し続けていた。
声が、聞きたかった。
そうしなければ、今にも崩れ去ってしまいそうなこの心を、保てそうになかったから。
『どうした?』
「レインくん、お母さんが——私どうしたら、もう誰もいない、私にはもう誰も」
『俺がいる、だから落ち着け』
力強く握りしめた通信デバイス越し。
今、この国で自分という存在を受け入れてくれる、恐らくたった一人の声が私の耳を通して心に響き渡る。
「レイン、くん、ごめん。私、家の近くで見つかって、走って逃げてる」
複数の足音が次第に近づいてくる。
擦り切れそうな心が、楽になろう、諦めてしまおうと弱音を吐き、思いを挫けさせる。
——私、何で逃げているんだっけ? これ以上誰かに迷惑をかけるくらいなら、いっそ捕まった方が。
「もう、私」
ダメかもしれない、そう言いかけたところでデバイス越しに彼が叫んだ。
『お前は、俺の前からいなくなるな!!』
「——ぇ」
『いいか、絶対に諦めるなよ』
「レインくん? レインくん」
会話は一方的に途切れた。
だが、確かに彼の声、その思いが、折れかけていた心を立ち上がらせてくれた。
私は、必死に歯を食い縛り、余計な感情の一切を切り捨て力強く地面を蹴る。
遠のいて行く背後の気配。
だが、見計ったように前方の脇道から増援が現れて私の前に立ちはだかる。
「いたぞ! 挟み撃ちにしろっ」
私は咄嗟に方向を変えて狭い路地へと身体を滑り込ませ、追手は反応仕切れず路地の前で体勢を崩した。
何とか逃れる事が出来そうだと、安堵しかけた瞬間。
視界の先にある光景を見て私は愕然とした。
「そんな——行き止まり」
そこは四方を建物に囲まれた袋小路、高い塀は完全に私の行く手を遮った。
背後から狭い路地に入り込んで来た追手は直ぐに周囲を取り囲むと、手にしていた魔装銃を構えて銃口を一斉にこちらへと向けた。
じりじりと歩み寄る白い制服と顔をヘルメットで覆った集団に私は恐怖を覚えて後ずさるが、ついにはその背中が壁に触れてしまった。
「大人しく投降しなさい!! 従わない場合、
追手の一人が叫んだその言葉に、私は一瞬耳を疑った。
「しゃ、さつ? ぇ? わ、わたしが何をしたって言うんですか!? 私はただ怖くて」
「君は〈危険指定対象〉だと判断が降った。今、我が国にとって君の存在が『罪』だ」
「そ、んな」
告げられた言葉の意味が全く理解出来ない。
この人達は、何を言っているのだろうか、母は一体どうしてしまったというのか。
——私が危険? 危険って何が? 罪? 生きていちゃいけないって事? 私がおかしいのかな、これは……夢?
無理解に私の思考は困惑し、愕然と力の抜けてしまった体はそのまま膝から崩れ落ちた。
ジリジリと距離を詰める銃口。
絶望の淵でただ無条件に涙を流すことしか出来ない私の様子を伺う武装した大人達。
「様子がおかしい。これ以上の接触は危険とみなす——私の合図で手足を撃ってこれ以上の行動を不能にする」
中央に居た一人が命令を発した。
同時に全員が魔装銃の照準を私へと合わせ、引き金に指をかける。
——おかしいな。
本当は、今頃エリシアと将来の話や卒業後の他愛もない話で盛り上がってたはずなのに。
進路が決まったら、アレックスくんに告白しよう、なんて、普通に学生として当たり前の……。
何、これ。
ねぇ、誰か教えてよ?
私、死ぬの?
こんな場所で、銃に、撃たれて?
意味が、わからないよ。
……お願いだからっ! 助けてよ、神様——。