銃口に睨まれるという、普通の学生でしかなかった私にとって、そんな光景は絶望でしかない。
死にたくは、ないな。
唯一信じていた肉親にすら見捨てられ、世界でたった一人になってしまった様なこんな状況でも生きたいと願ってしまう私は、生き汚いのだろうか。
それとも、いっそのこと理不尽でも『死』を受け入れたほうが楽に——。
「ルゥシィ‼︎」
深い闇のなかに身を投げ出そうとしていた私の心に一筋の光が差し込む。
その声が響いた瞬間、私は大きく目を見開いた。
どこから登ったのか、どうやってここへたどり着いたのか。
袋小路を囲む高い塀の淵から叫び声をあげる彼は、躊躇なく飛び降りた。
あまり格好のいい着地ではなかった、足の骨が折れたかもしれない、四メートル近い高さから飛び降りたのだから当然だ。
それでも彼は、私をその背で庇いながら立ち上がった。
所々制服が擦り切れ、泥で汚れていて、一体どんな道を通ってきたのだろうか。
ただ、彼はそんなことも顧みず、必死に私を探して来てくれた。
私は、『普通ではない私』を認めるのが怖かった。
それが現実となって目の前に突きつけられていることを恐れていた、でも、彼は、そんな私を守ろうとしてくれている。
彼のふらつく背中を見つめながら私の胸の内に熱い何かが広がっていくのがわかる。
「誰だ君は⁉︎ 危ないからそこを退きなさい」
「断る、俺にはこいつが必要だ」
「邪魔をすると言うなら、君も同罪になるがいいのか?」
「ああ、構わない」
「——っ」
彼の顔は見えない、けれど、その背中に恐れや迷いは感じられなかった。
「俺の天職は【大司教】だ」
「——なんだと」
彼の天職を聞いた大人達にわずかなどよめきが起こった。
「俺は貴重なのだろう? 今、ここでこいつを見逃せば俺は投降してやる。こいつを殺すなら、俺はこいつを庇って死ぬ」
「レインくん! ダメ! この人達にはそんなこと言っても——」
交渉は、おそらく通用しない。
私には彼らがどう応えるのか、何故だかわかってしまう。
「残念だが君の思想も危険だ、君は秩序に背いた」
限りなく『戦闘系』でありながらもその特徴から『非戦闘系』とみなされている天職がある。
「——っち」
「私たち〈レゴラ〉は秩序そのものだ、全ては平和と揺るがない秩序のため、君たちにはここで死んでもらう」
〈世界政府直轄機関レゴラ〉彼らの天職は全て【兵隊】で構成されている。
【兵隊】は一度下された命令を、その特性上必ず遂行する、
その天職を得たものは半ば強制的にこの〈レゴラ〉へと入隊させられる。
「よく考えろよ!? 彼女のどこが危険なんだ‼︎ お前達も、この国もどうかしているっ!!」
「本来はそんな思想を持たないように教育を施されているはずだが、稀に君たちのような危険な思想を持ったものが現れる。だから、私たちはここにいて正義を成すわけだ」
そんな彼らが絶対的に優先するのは〈世界政府〉の定めた法であり秩序。
そして彼らにはその法と秩序を犯す者を罰する権利が与えられている。
「全員構え、彼らの思想は危険であり、秩序に反する。よって生死を問わず無力化する」
この国では犯罪がおきない、争いも、人々が揉めることもない。
それはなぜか、単純に『許されない』からだ。
——あなたでは、勝てない……ワタシの居場所……ワタシを返して。
またしても、あの声が頭の奥に雑音を伴いながら不快な音として響き渡った。
だけど、今の私にはその声が、『私』が必要なのだと不思議と理解できてしまった。
「——ちっ、俺がおとりになる! お前は、逃げろ!!」
こんな状況でも私を守ろうとしてくれている彼に、隊長らしき男の命令で全員が一斉に狙いをすまし、引き金に指をかける。
「レインくん、お願いが……あるの」
この人を死なせたくない、だから私は、もう『私』であることをやめようと思った。
「こんな時になんだ!! 早く逃げ——っ」
静かに彼を見据えていた私の表情を見た彼は何かを感じ、息を呑んで押し黙った。
「レインくん、もしね、私が」
チカチカと眩しい光が頭の中で瞬きする、その度に流れ込んでくる『私』の記憶。
見たこともない幼い親友の泣き顔、どこかよそよそしい両親の姿、そして一見冷たそうに見える切れ長の瞳に群青の髪をした、強がりで弱虫な幼い少年の横顔。
「私が今から何をしても、これからどうなっても、私を嫌いにならないでいてくれる?」
それは多分、叶わないお願い。
だけど、彼は必死に笑いかける私の顔を真っ直ぐに見つめて頷いた。
「当然だろ」
「——ありがとう、レインくん」
銃口を向け構える【兵隊】達を静かに睥睨しながら一歩前へと私は進み出る。
油断なくその照準を『私』の一点に集中させた【兵隊】達は引き金においた指を躊躇なく絞る。
「君は何としてもここで死んでもらう‼︎ 全員、撃——」
「可愛い女の子に向かって、死ねなんて——ありえない」
□■
俺は、幼い頃に見たその後ろ姿を未だに覚えている。
『レインくん』
いつの日か、淡い記憶の彼方で微笑む桃色の髪をした幼い少女。
「——ありがとう、レインくん」
伸びた背丈。変わらない髪色。昔よりも大人びて、けれども今は苦く切ない笑顔で応える彼女。
俺の〈記憶〉を持たない『彼女』は、けれども
——また、俺は守られるのか、それしかできないのか。
俺は彼女を見つめている事しか出来ない。
それは
俺は何も変わっていないのだと拳を握りしめて、それでも、これから
次の瞬間、淡く薄い紅色の光が彼女の全身を包み込む。
いつかと同じ『彼女』の力。
ちらりと見えた彼女の瞳から光が消えて行くのがわかった。
「スキルだと!? 撃て、撃てっ!! こいつは、なんとしても殺——」
豹変した彼女の様相。
焦りを覚えた隊長格の男が支持を飛ばす。
しかし、銃を構えている奴らの手は彼女を前になぜか震えていた。
まるで、心のない人形の様な表情になった彼女がぽつりとこぼすように何かを呟いた。
「スキル、強制開花——スキル発動【
瞬間、その手元には虚空から現れた一振りの
昔、本で見たことがある……あれは刀と呼ばれる剣の一種だ。
目を見開いて、明らかに動揺する隊長格の男は部下から魔装銃を奪い取ると、その銃口を彼女へと向け、引き金を引いた。
「ぅわぁあああああ!!」
彼女の圧にあてられたその男は狂ったように叫びごえを上げながら魔装銃を連射、放たれた魔弾が正確に彼女へと着弾する。
刹那、彼女の姿が一瞬ブレた。
次に彼女の姿を捉えた時には、魔装銃を持った奴らの懐に潜り込んで、怪しげな光を放つ刀身を振り抜いていた。
彼女が手にした刀の鋒から血が滴るのが見え、瞬間——全員の両腕が地面へと落ちた。
「っあぁぁあ!?」
一瞬何が起きたのか理解できない様子の男達は滴る血と『無くなっている物』に気が付き、声にならない絶叫を上げた。
その様子を凍てつくような眼差しで睥睨する彼女は、相手の首筋にゆっくりと刃先をあてる。
「ダメだ‼︎」
咄嗟に彼女の元へと走り寄った俺は、息をするように命を摘み取ろうとする彼女の華奢な身体を無理やり抱き、不思議なほど無抵抗なままの彼女を連れて無我夢中でその場を離れた。
別に奴らを庇ったわけじゃない、死の瞬間を見ることへ恐怖を感じた訳でもない。
俺は、ルゥシィを守りたい。ただそう思ったんだ。