歩くたびに身体の芯へと響き渡る鈍痛。
間違いなく折れているであろう足を引きずり、その痛みに思わず口元が歪む。
塀から飛び降りた時だろう。
彼女には格好の悪い所を見られてしまった。
鈍い痛みに耐えながら彼女を抱え、何とか自宅まで帰り着いた俺は、ゆっくりと玄関の扉を開く。
意識を失っている少女に細心の注意を配りながら、そっと扉の隙間に身体を滑り込ませる。
人目を避けるため適当な所で夜を待ったせいで、辺りはすっかり暗闇に染まっていた。
自宅に異変がないことを確認した俺はひとまず安堵する。
意識を失ったままの彼女を抱えて、今は使用していない部屋にある少々ほこりを被った革張りのソファーに寝かせた。
「悪いな、今日はここで勘弁してくれ」
反応のない彼女の様子に、胸を刺すような感覚を覚えながらポケットから取り出した端末〝ステータスパス〟を見つめる。
《レイン・エバンス》
《天職:大司教》
《スキル:未取得》
《魔適性:光》
「スキルは、まだ使えないか——『癒しの力』には期待できそうも無いな」
ルゥシィが使用していた『強制開花』というのは、今まで聞いたこともない方法だった。
通常スキルを修得するには、それなりの期間天職に特化した訓練が必要であり学園卒業後はその訓練を行うため専門分野に進学する。
何かの拍子に俺も、と期待してみたが、どうやら足の骨折は自力で治すしか無いらしい。
「これで二度目だ、おまえに助けられるのは……情けない話だが、昔に戻ったみたいで嬉しく——何言ってんだ、俺は」
気を失っている彼女を横目に益体のない思考が巡り、どうかしていると思い直して頭を振った。
古びた書斎にホコリを被った机。
小難しい資料が山となって乱雑に放置されている今は使われていない物悲しさを漂わせる部屋。
「この部屋に入るのは、父さんが失踪して以来か」
胸の奥に足とは別種の鈍い痛みを感じながら室内を見渡す。
ポケットに入れていた小さな鍵を一つ取り出すと、机に設置されている棚の三段目、その鍵穴へと慎重に差し込んだ。
「やっぱり、ここの鍵か」
父が失踪する前「何かあったら使え」と手渡された。
父が姿を消したあの日から今日まで中身を確認する勇気がなく、ずっと自分の机に放り込んだままだった『鍵』の使い道。
カチリと小気味のいい音が響く、ゆっくりと手を掛けた引き出しの中から現れたものに思わず目を丸くした。
「——これは、魔装銃? 何かあったらって、俺が何かに巻き込まれる前提だったのかよ」
ずっしりと重量のある『魔装銃』を取り出す。
奥からは更にもう一丁の魔装銃と使い込まれたホルスター、そして術式の施された魔弾、父の名前が記されたカードキーが出てきた。
それ以外には何も無い。
何かを期待していたわけでもないが、おそらくこの家に帰るのは最後になるだろうと思い確認しただけ……それだけだった。
「最後まで、何も教えてくれないのかよ」
自然に握りしめていた拳からふっと力を抜く、背後の彼女が眠っている前、魔装銃の一丁と父の名前が入ったカードキーをローテーブルの上に置いた。
兄が行方不明になった後、思い詰めたような表情で出て行った父もそれ以来帰らなくなった、そして残された母は……。
思い出す記憶は重く苦しいものだ。
ただ、どうしてか目の前の彼女を眺めていると胸の内で凝り固まっていた感情がスッと軽くなるような気がして、思わず笑みが溢れていた。
「ルゥシィ、俺は……お前に救われたんだ」
「……」
彼女は反応を返さない。
当然だ、意識を失っているのだから。
そんな状況でもなければこんな事は言えない。
「今度は、俺がルゥシィを助ける——せめて、お前だけは」
***
重たい扉が閉まるような音がした。
私の頬を冷たい一筋の感覚が伝っていく、私の身体はまだ言う事を聞いてくれそうにない。
まるで狭く暗い箱の中に閉じ込められているようだ。
瞼が開かない。
心でいくら叫んでも声が出ない。
彼が立ち去るその瞬間まで、『聞いている』事しか出来なかった。
——レインくん。
心から搾り出すように叫んだ。
そんな思いが通じたかのように微かに瞼が震え、
「——っつぅ」
ゆっくりと開いた視界に見知らぬ天井が映る。
暖色のランプが一本だけ吊るされた、まるで倉庫みたいな天井。
「……ぇ、いん、くん、レインくん⁉︎」
目覚めた意識に馴染んできた身体を私は無理やり起こした。
「——っ! つぅ、頭、割れそう」
身体の至る所に刺すような痛み。
「ここは、どこ」
見渡す限り扉も窓もない、閉鎖された空間。
ふいにテーブルの上へ置かれていた物騒な品に視線が留まる。
「何でここにあの人たちが持っていた『銃』が? つぅっ、頭の痛みが強くなって——あれから私……なにも、思い出せない。レインくんは、どこ」
この狭い空間に私以外の人間が隠れるスペースはない。
彼はどこにいるのか、会って話したい。
彼の姿を思い浮かべ、同時に胸が締め付けられるように痛んだ。
「レインくんの家? だよね、きっと……部屋にいるのかな」
とにかくここで悩んでいても始まらない、まずは本人に会って、と痛む身体を起こして立ち上がる。
テーブルに置かれた『銃』その脇に置かれていたカードと一枚のメモ用紙が目に入った。
「手紙? レインくんだ——」
『ルゥシィへ』そう書かれた紙を手に急いで目を通す。
『目覚めたら、知らない場所にいて驚いたことだろう。
ここは父が趣味で作った家の地下、秘密の部屋みたいなものだ。
出る時は天井のハッチを捻れば外に出られる。
ここなら、もし連中が家を捜索に来ても見つかる心配はない。
食糧や水は備蓄してあるし、トイレもあるからほとぼりがさめるまではここに身を隠すといい。
非常に言いづらいのだが、俺は『あの時』のお前に恐怖を抱いてしまった。
助けてもらって本当に申し訳ないと思っているが、これ以上一緒にいる事が出来ない。
約束を守れなかった事悪く思う。
俺は、知り合いに頼んで身を潜めて生活する事にした。
だから、その家にはもう二度と帰らない。
最後にこんな形になってすまないと思っている。
この『魔装銃』と父さんのカードキーは餞別だ。
父さんは政府でも特殊な機関で働いていたようで、秘密裏に国を出るルートがあるようだ。
その方法が記されている手記を見つけたので一緒に添えておく。
カードキーはその際に必要なものらしい。
お前は、この国から脱出しろ。
明後日に開催される同期の卒業式なら警備も手薄になっているはずだからその隙に、お前の力があれば出来るはずだ。
最後まで力に慣れなくてすまない、元気でな。
レイン・エバンス』
「……嘘つき」
嘘をつく人は、好きじゃない。
だけど、こんなに『優しい嘘』を私は嫌いになれない。
無意識に溢れる涙を袖で拭い、置かれていた『魔装銃』を私は手に取った。
レインくんが『何を』するつもりなのか、どこへ行ったのかはわからない。
でも一つだけ確かな事は、もし本当にこの国を出て自由に生きる事が出来るのなら、その時は——絶対に二人でだ。
「明後日の卒業式。お願いだから、無茶しないで」