静かに目を閉じて、深呼吸をする。
そして、自分の中にあるもう一つの自分……あの時の感覚を思い出しながら。
「スキル、解放‼︎」
静まりかえったリビングに響いた声は何の変化ももたらす事なく虚しさだけが残った。
「ダメだぁ全然出来ない!! 今から先この力を上手く使えないと……諦めちゃダメ、練習あるのみ‼︎」
それから何度か自分なりの感覚で挑戦しては見るものの、全く上手くいかない。
——台詞が違う? あの時、なんかグワっと熱くなって、気がついたらスキルの名前を。
「ぁ、スキルの名前‼︎ 名前、なんだっけ」
あの時は、無我夢中だったのでなんとなく意識はあるのだけれど、記憶が曖昧ではっきりとは思い出せない。
「あの時の感覚を再現……私の中の『私』、応えてよね」
静かにまぶたを下ろし、記憶の糸を手繰るようにゆっくりと時間を巻き戻して行く。
——逃げ込んだ路地、銃と包囲、レインくんの驚いたような表情。
深い記憶の海へと意識が潜って行くように、少しずつ。
——過去の記憶? 事件? 首のない獣、お父さん、泣いている男の子。
意識は沈んで行く。深く、更に深く。
——夜の散歩、泣いている母、知らない部屋、眩しい明かり。
この記憶は——? 私は、一体何を忘れているの?
『黒い獣は私が殺した。邪魔だったから』
——ぇ? でもあれは、お父さんが止めて、事故で、あれ、私
『私を、捕まえにきた政府の人間、〈レゴラ〉の兵隊』
——そういえば、どうやって。
『私が斬った、腕を落とした〈腕輪〉の制御は腕を落とせば解かれる』
——私が、斬った? あの人達の腕を?
『私が腕を斬り落とした』
「私が⁉︎ わたし————うっ、ゴホ、ゲホ」
鮮明に蘇ってくる記憶と手に残る感触。
私は思わず口元を押さえ、うずくまる。
「わ、わたしが? あの人たちの——腕を、うぅ」
ついに堪えきれずその場で嘔吐してしまい、茫然とへたり込んだ。
「あれも? 私がやった、あの事件も私が」
幼い日の記憶。
父の叫ぶ声、泣きじゃくる男の子、大きな漆黒の獣、転がる首。
「事故なんかじゃない。私が、私の力で……殺したっ」
何故、忘れていたのだろうか。
何故疑問に思う事なく、日々を過ごす事が出来たのだろうか。
それからだ、夜中に泣き叫ぶ私を父がおぶっては夜の散歩に出かけていたのは。
父はどこに行っていたのだろう、何故、事情を知らない筈の母は泣いていたのだろう。
「私は、これと、こんな事と向き合わなきゃいけないの?」
何を勘違いしていたのだろう、肝心な所を見ないで、何故納得できていたのだろう。
私は、向き合わなければ、私は受け入れなければならない。
「——無理、だよ」
なぜならば、私は〈暗殺者〉なのだから。
***
薄闇の中を音もなく疾走する。
とにかく今できること、と半ばあてもなく自分の心から逃げるように無我夢中で夜の街を走り続けた。
皮膚をかすめる風が痛い、狭まる視界は目を開いているのがやっとだ。
一体どのくらいの速度で走っているのだろうか、今までの私では絶対にあり得ない動き。
明らかに身体の中で何か変化が起きているのがわかる。
天職とはなんだろう、何故そんな力が私たちには備わっているのか、この平和な世界で、戦う必要も、相手もいないのに。
自問自答に答えを見失い、一人たどり着いた『あの路地』で呆然と立ち尽くす。
今はどこへ行ったらいいのかも、何をするべきなのかも分からない。
ただ私は、私自身を受け入れなければならない気がしていた。
ふと足元へ視線が向く、そこにはおびただしい血痕が至る所に残っていた。
「————っ、やっぱり、私が」
腰から砕けるように座り込み、両手で顔を覆う。
それでも押さえきれない涙が指の隙間からこぼれ落ちてゆく。
「どうして? 私はただ普通に、普通に生きたいだけ」
こんな力は必要ない、誰にも求められない、誰にも必要とされない、こんな力。
行き場のない感情を次第に黒い影が覆っていく、私は膝を抱え闇に身を委ねるように現実を受け入れきれなくなった心を手放しかけた。
——瞬間。
『るぅしぃ、おれの兄さんを助けるの、てつだってくれよ‼︎』
突然頭の中に響いた声。
それは、幼い群青の髪色をした少年の無垢で真っ直ぐな叫び声だった。
「——レインくん?」
『おれの兄さんは、悪い奴らにあのでっかいたてものへ連れていかれたんだ‼︎ おれ、兄さんみたいに強くないから、手伝って欲しいんだ』
——そうだね、約束したんだよね。
いつも一人で寂しい目をした男の子。
喧嘩も弱くて、すぐに泣かされて。
気になって声をかけたら走って逃げちゃうような、いじっぱり。
私もムキになって、追いかけて。
すぐに家へ閉じこもっちゃう彼を強引に引っ張り出して、一緒にいじめっ子と戦いに行った。
彼はやっぱりダメダメで、結局私が全員を相手する羽目になって。
「助っ人になってくれ」って、女の子に真剣な顔してあんなお願いするんだもん、思わず怒っちゃった。
だけど、やっぱり放って置けなくて、二人でたくさん話し合った。
たくさん計画をたてて、『あの日』実行した。
——そして、私は。
彼のやろうとしている事、私のやるべき事、わかっている。
「守ろう、あの日叶えられなかった約束を」
ぐっと袖口で弱い自分と、涙を拭い去る。
力強く立ち上がる。私は地面を強く蹴りその場を駆け出した。
「まずは、お父さんに会う! きっと、何か知ってる!!」