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第10話:親友

 見慣れたはずの家。


 随分と遠い場所に感じる自分の家を見て、あの日最後に交わした父と母の穏やかな笑顔がひどく懐かしく思えた。


「やっぱりまだ見張りがいる、どうしよう」


 私は現在、昼間に会った母との苦い思いを胸に引きずったまま、だけど、今の自分に出来る事を最大限にやろうと決意し、長年過ごした家を物陰からひっそり見つめていた。


「レインくんのお兄さんを助ける。彼も同じ気持ちのはず、いつまでも逃げてはいられない——なら、こっちから」


 政府の内部で働いている父なら国の中心部、あの大きな塔への入り方もわかるはず。


 彼は、あの塔に腕輪をつけた人が入るのを見たと言っていた。


 手紙にあんな『わかりやすい嘘』を書いたのも、卒業の式典に乗じて何かするつもりなのだろう。


 私は下唇を噛みしめ、家の周囲を巡回する兵隊を睨みつける。


 ——やってやる。


 相手の数は五人、家の正面に二人、裏口に一人、裏に回るための道にそれぞれ一人ずつ。


 普通なら、多分だけど一人ずつ戦って……裏口から入る、はず。

 でも、正面の二人が完全に油断している、今なら。


 ——正面から突っ込んだ方が早い!


 戦いなんてわからない、そんな方法知らないし、訓練なんてした事一度もない。


 ——なのに、なんでかな、あの人たちをどうしたらいいのか、どこを攻撃したらいいのか分かる自分が。


「大っ嫌い‼︎」


 私は、途中で拾った丁度良い長さの木材を握りしめる。

 勢いよく地を蹴って正面から姿勢を地面スレスレまで低く保ち疾走。


「ぁ————ゴッ」


 見張りの一人がこちらに気が付き声を上げようとする、その前に跳躍して一気に距離を詰め喉笛に手刀を突き込んだ。


 完全に喉を潰され声を失った見張りをフルスイングした木材で殴りつけて気絶させた。


 その様子を目の当たりにし、驚愕の表情で銃を構えようとするもう一人の見張りの喉元へ木材を投擲、首を打ち抜く。


「————っが⁉︎」


 声にならない声を上げながら後方へと吹き飛んだ見張りはそのまま意識を飛ばした。


 ——こんなのは、私じゃない。

 こんな酷いこと、私にできるはずがない。


 まるで染み込んだかのような洗練された動きをする自分の身体に嫌悪感を抱きながら、それでも沸々と湧き上がる高揚感にどうしようもないもどかしさを感じてしまう。


「とにかく、誰か来る前に」


 慣れ親しんだ玄関の扉がやけに重く、まるで別の世界に通じる扉のようにさえ感じた。


「何か物音が聞こえなかったか?」


「そうかしら? ちょっと見てきますね」


 取手に手を掛けようとした瞬間、扉一枚を隔てて聞こえてくる聴き慣れた声色。


 内側から扉が開けられる。


 そう思った直後、この身体は最も『最悪で最適』な行動をとってしまった。


「————んゔっ!?」


「る、ルゥシィ!? お前、一体、何を……」


 扉が開いた瞬間、身を滑り込ませた私は、最愛である筈の母の首へ背後から手を回し口元を押さえると、動脈を圧迫。


 意識を落とした。


「何よ、一体何なの、何で私にこんなことができるの」


 ぐったりと腕の中に横たわる母の姿を見て、私は我に返ると同時にこみ上げてくる大粒の涙で視界を濡らしながら父を見据えた。


「……」


「ねぇ、お父さん、私なんなの!? 何か知っているんでしょっ? 教えてよ」


 父はどこか物悲しい視線を向けると、ゆっくり母の元へ近寄り、立ち尽くす私を警戒する事も、怯えるでも無く、母の無事を確認。


 そのまま母を抱き上げソファーへと横たえた。


「ルゥシィ、すまない。私では、もうお前の力にはなれない」


「どういうこと? お父さんはなにを知っているの?」


「私は——」


 父はとても苦しそうに視線を落とし、ゆっくりと重たい口を開こうとした、その時。


「おい!! 誰にやられた!? 酷い怪我だ——」


「中は大丈夫か!? おい、応えろ!!」


 外にいた残りの見張りが予想よりも早く異変に気が付いたのか、玄関の前で騒いでいる声が聞こえてくる。


「逃げなさい、ルゥシィ!! 私にしてあげられるのはこれが精一杯だ」

「——おとうさん」


 その言葉に、思わずハッと父の顔を見上げた。

 その表情は悲しげで、でも、変わらない、いつもの父だった。


「すまない、どうか母さんを恨まないでやってくれ、母さんもずっと苦しんできたんだ」


「そんな、急にそんなこと言われたって、私」


「中にいるのか!? こじ開けるぞ!!」


 玄関で叫び声を上げる見張り、切迫した状況に思考が全く追いつかない。


「ルゥシィ! 裏口から、早く行きなさい!! 彼らは私がなんとか誤魔化す、早く」


「——っ」


 感情の整理も出来ないまま、慌てて裏口へと走った。


 父は振り返ることなく扉へと向いたまま、しかしその背中は、泣いているように見えた。


 裏口から飛び出した私は、そのまま夜の街を走り抜ける。


 背後から遠く聞こえてきた乾いた発砲音にびくりと立ち竦む。


「お父さんっ——」


 戻る事はしなかった、いや、出来なかった。


 私は力一杯に拳を握りしめ、深い夜の闇に姿を消した。




 ***




 あてもなくふらふらと夜道を歩く。


 何かに縋るようにたどり着いた場所は、いつも親友とくだらない話を長々と語り合った公園のベンチ。


 たいした遊具もない、気持ち程度の滑り台と砂場があるだけの小さな公園。


 学校の帰り道、暇な休日、遊ぶ前の待ち合わせ。


 なんでここになったのか、いつからここで会うようになったのかはもう覚えていないけど、この場所は私にとって大切な思い出。


「エリシア、元気かな」


 父はどうなったのだろうか、先ほど聞こえた音はなんだったのだろう。やっぱり私のせい、私が関わったから。


 静かな夜の公園で、一人ベンチの背にもたれながら虚に夜空を見つめていた。


 心なしか、街の方が騒がしく思えた。


 多分私の事で騒ぎが大きくなっているのかもしれない、こんな所で座っていたら直ぐに見つかってしまうだろう。


 もう、終わったのだ。私の日常はもう、終わった。


「レインくん、ごめん、やっぱり私、これ以上頑張れないかも」


 奮い立たせた心が現実に打ちひしがれ、その思いも手放してしまおうかと考えが過ぎったその時。


「こっちか!? 走り去る人影を見たというのは!!」


「探せ、必ず見つけ出せ!!」


 近くで声を荒げながら走り回る足音が響く、ここにいれば見つかってしまう。


 でも、立ち上がる気力がまるで湧かなかった。


 ——逃げなきゃ、でもどこへ? 

 私の居場所なんてもうどこにもないのに。


「おい、公園に人影が見えるぞ!! 行け、本人と確認でき次第射殺して構わない」


 迫る足音、徐々に近づいてくる『魔術光』の明かりが周囲を照らし、彼らの視界が私を捉える直前。


「——こっち」


 誰かが不意に私の腕を掴み、ベンチの背後にある茂みへと引き込んだ。


 その姿に私は目を見開き、鼓動が早鐘を打って高鳴る。


 愕然として、ただ涙を流す私を見つめ、ため息を一つ溢した人影は茂みの奥へと私を押し込んで言った。


「なんて顔してんの、おねぇちゃん? 可愛さ台無しだよ?」

「エリシア——」


 軽く片目を瞑ってベンチの前へと進み出たエリシアは駆け寄ってきた兵隊達に囲まれた。


「ん? 君は? 学生か。こんな所で何をしている? それよりもこの近くでルゥシフィル・リーベルシアという少女を見なかったか」


「ルゥシィ? あの子まだ捕まってないの? あたしは知らない、大して仲良くなかったし」


「……そうか、では質問を変えよう、君のような学生がこんな時間に一人で何をしている」


「ぇ? おじさん、乙女心をわかってないなぁ? 娘ができたら嫌われるよ? お年頃の女の子には色々あるの! 公園のベンチで考え事するのに理由が必要?」


 エリシアは一歩も引くことなく、背後に私を匿っている気配などおくびにも出さずに兵隊たちへと言ってのけた。


「——っち、早く帰る事だな」


 エリシアの堂々とした態度と気迫を見て、わずかにたじろいだ兵隊の一人は捨て台詞を吐いて踵を返した。


「まだ街に潜んでいるかも知れない、レイン・エバンスの家ももう一度探し直せ」


「はっ!!」


 兵隊達は駆け足でその場から離れ、元来た道を戻って行った。


 その後ろ姿にベェーっと舌を出して見送った彼女は茂みの奥で小さくなっている私の元へと近寄って膝を屈めた。


「大丈夫? ルゥシィ」

「う、うん……ありがとう、エリシア」


 どこか気まずい心境を抱きながらも、差し伸べられた手を取り、土や木屑をはたきながら立ち上がる。


「……」

「……」


 片腕を抱いて佇む私は、うまく彼女の顔を見ることが出来ずに俯いてしまい、エリシアもどこか居心地の悪そうな雰囲気を醸していた。


「ぁ、あの」

「ごめん‼︎」


 私が沈黙を破った瞬間、大きく頭を下げたエリシア。


「ぇ?」


「ルゥシィ、ほんとにごめんなさい‼︎ あたし『あの時』どうしたら良いかわからなくて。でもやっぱりルゥシィはあたしの大切なおねぇちゃんだから‼︎」


「エリシア」


 「あの後、謝ろうと思って探したけど全然いないし、なんか大騒ぎになってるし、もっと早く力になりたかった」


 普段の彼女からは想像も出来ない程、くしゃくしゃにした表情で飛びついてきたエリシアの背中に、そっと手を回す。


 久しぶりに感じる人肌の体温に思わず涙が込み上げる。


 よく見ると、エリシアの瞼は随分と腫れあがっていた。


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