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第14話:クレープ

「記憶が無くなってからのルゥシィは言葉も喋れなくて、まるで赤ちゃんみたいだった」


 ダイニングの椅子にそれぞれ腰掛け、エリシアは隣で私の背中を優しく撫でてくれている。


 正面に座る彼はどこか居心地が悪そうな空気の中で、躊躇うようにその口を開いた。


「俺は、お前の親父さんに会うことを止められていた」


「お父さんに? なんでっ」


「当然だろ、俺のせいで娘が危険な目にあったんだ。でも、どうしても謝りたくて一度だけ様子を見に行った」


 なんとなく、彼の言いたい事がわかってしまった。

 エリシアも今言っていた事だ……記憶がない、どころか『赤ちゃんみたい』と言うほどに人格が消失している。


 彼らの知る『私』と同じはずがない。



「別人、みたいだった?」

「……」


 彼は言葉なく肯定した。


 きっとそんな私を見て距離をとったのだろう。


 父は、私が彼と接触する事で、事故にまつわる記憶が蘇る事を恐れたのかもしれない、父にとっては記憶喪失という状態は逆に都合の良い結果だったのか。


「そ、それよりさ? これからどうするの? レインくんの事情はルゥシィから聞いたけど、正直あぶなくない? それより、国から脱出する方法を考えた方が——」


「気持ちはありがたいが、俺はどうしても兄を探し出したい。この数年間、俺はそれだけの為に生きてきた。命は惜しく無い」


「そんな、簡単に。死ぬみたいなこと……言わないでよ」


 話の流れを変えようと、前向きな方法を必死に考えて提案するエリシアであったが彼の固い意思に触れ、俯きながら言葉を溢す。


 確かに、今考えるべきはこれからどうして行くのか、いつまでも逃げ切れる訳では無い。


 ましてや相手は秩序のためなら簡単に人を殺そうとする。


 私が人に関われば関わるほど、先ほどのエリシアのように巻き込んでしまう。


 国を出る、逃げる事を前提に考えれば当然の結論な訳だけど、そもそも私たちは。


「ねぇ、ルゥシィ? この国の外ってどうなってるか知ってる?」


「「……」」


 知らないのだ。


 私たちは生まれてから一度もこの国『ウォルテン』から出た事が無い。


 それどころか、学校の授業においてもこの国が世界にとってどれほど有益な文明をもたらしたか『非戦闘天職』による魔術的研究が国をどれ程豊かにしたか、そう言った類の知識以外与えられていない。


 だから、私たちは外の世界を何も知らない。


 果たして、そんな人間が国を脱出して生きていけるのか。


 子供すぎる、無知すぎるのだ。


 せめて世界の常識や情報を教えてくれる人がいれば。


 その時ふと、ある人の言葉が頭を過ぎった。



『もし、君がこの先どうしてもお姉さんみたいな大人の力が必要になる時がきたら、その時は迷わずいらっしゃい?』



 瞬間、私は弾かれたようにその場で立ち上がる。


「いるかもしれない! 協力してくれそうな人!!」


 突然のことに目を丸くした二人の視線が釘付けになる。


「クレープ屋のおねぇさん!!」


「「——だれ?」」




 ***




「ねぇ、ルゥシィ? 本当にその人のところへ行くの?」


「同感だ、クレープ屋だろ? 申し訳ないが、意味がわからない」


 二人の胡乱な眼差しが先頭を行く私の背中へと痛々しく刺さる。


「まあまあ、そう言わずに、ね? 私を信じて」


 もっともな意見だ、実際に私も会っていなければ神経を疑う。


 だけど、あの人は。


「ちょっと変な人だったけど」


 ——ずっと『はぁはぁ』していたし。


「でも、あの人は私達の知っている大人とは違う気がするの! 勘だけど!!」


 今の私達ではどうせ手詰まりなのだ、この際どんな相手でも希望があるなら縋りたい。


 実際、私の正体を明かせば通報される可能性の方が高いけれど、ただ、そうはならない確信が今の私にはあった。


 それは、天職とその力に慣れ初めてきたからこそわかる感覚。


「ついた、ここだよ? クレープ屋さん」


「ぁ! 知ってるこのお店! 最近できたばっかりだけど美味しいって評判なんだよね」


 やはり女子、甘いもの好きのエリシアはお店を見るだけでテンションが上がる、わかるよ、その気持ち。


 店の明かりは既に消えていた。


 当然だろう、今は誰もが寝静まる真夜中。


 明らかに誰かを訪問する時間ではない。


「それで、どうやって入るの?」


 エリシアの問いかけに、首をひねる私は当然ノープラン。


 店は二階建てになっていて、恐らく上の階は居住スペースだろう。


 だとしたら、まずはチャイムを押してみて——。


「開いたぞ」


「ほんと? 良かった‼︎ って、何しているのかな!?」


 ふと視線を向ければ店の扉の鍵穴に何やら特殊な器具を当て怪しい動きをする彼、そして、目を輝かせながら眺める親友の姿。


「そこの二人!? 多分『重犯罪』だからね、それ!! だいたい、どこでそんな技術を」


「昔、父さんに教わったんだ。何かの時に覚えていて損は無いって」


「レインくんのお父さんっ!! 教育間違えていますよ!?」


「とりあえず入っちゃおうよ? その人がいたら謝れば良いんだし」


「エリシアっ!? もぅ、知らないよぉ……」


 彼の巧みな技術によって解錠された店の正面玄関をゆっくりと開き、恐る恐る店内へと足を踏み入れる。


 店の中は未だに甘い香りが充満していて、私達は緊張する空気の中、甘い誘惑に釣られながら店の奥にある扉の前へと立った。


「この先から、二階へ行けそうだな——俺が先に行く」


 『兵隊』から制服を奪って潜伏したり、店へ進入を強行したりと彼の行動は意外に大胆で、淡い記憶の中にある泣き虫だった頃の面影は微塵も感じられない。


 その背中を見つめていると、どこか胸の奥が熱く——なんだろう、この気持ち。


 彼がドアノブの取手に触れようとした瞬間、全身の肌をひりつかせるような感覚を覚えた私は咄嗟に声を発した。


「伏せて!!」


「——っ!?」


 扉に手を掛ける寸前、逆に勢いよく開け放たれた扉の奥から大小無数の刃物がこちらを目掛けて飛来した。


 私はエリシアと彼を掴み強引に床へと伏せさせ、ギリギリで回避。


 危なかった。


「良い反応じゃなぁい? こんな時間に、堂々と正面から乗り込んでくるなんて、おねぇさんビリビリしちゃう」


 扉の奥からゆらりと姿を現したのは、両手に刃物を携えたクレープ屋の美人なお姉さん。


 だがその様相は明らかに以前とは違っていた。


「こ、こんな時間にいきなり押しかけてすいません!! は、話を!どうか、話を聞いてもらえませんかっ!?」


 全身の感覚がこの人と戦ってはいけないと告げていた。


 もとよりそんなつもりは無いのだけれど、それでも本能が教えてくれる、この人には勝てない。


「あらぁ? 夜襲をかけにきたんじゃないのぉ? つまらなぁい……あなた、誰だったかしら?」


 怪しげな光をその淡い山吹色の瞳に宿す彼女は、長い赤毛を揺らし、豊満な胸を大胆に露出させ、その魅力的な身体を隠すには心許ないシャツを一枚だけ羽織り佇んでいた。


 その表情には一切の油断の色はなく、手にした刃物をこちらへと向けている。


「ぁ、ぇっと……事情があってあの時は男の子のふりを」


 私は必死に誤解を解こうと、着ていたパーカーのフードを深めに被り髪を隠して以前と同じように振る舞った。


「あらぁ? あの時の可愛いボクちゃんじゃなぁいっ!! 女の子だったの? 残念」


 私のことを思い出した彼女は手にしていた刃物をその場へ投げ捨て、ことらへと駆け寄り、その豊満な胸に抱き寄せる。


 吐息の掛かる距離に肌を粟立てる私の耳にそっと甘い声が響く。


「でもいいわ? おねぇさん、あなたみたいな可愛らしい女の子も好きよ?」


「ぁ、あっ、ひぅっ」


「遊びに来てくれたんでしょう? 今からイイコトしちゃぅ?」


 ねっとりとした声色で妖艶に耳元で囁きながら私の体の至る所に彼女の手が伸びてきた。


「っん!? ぃえ、私は、聞きたいこと——っ」


 だんだんと頭がぼーっとしてきた私の目を覚ますように咳払いをした彼は、真剣な表情を向けて言った。


「すまない、連れを離してもらえないか? こんな方法で侵入した事は謝る——ただ俺たちは」


「んー、ごめんねぇ? おねぇさん成長した男の子はあんまり興味ないのよねぇ? 特に君みたいなツンツンした感じの子はタイプじゃないのぉ」


「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない。とにかく話を聞いてよ」


 彼を見るなり、まるで興味がないと言った『おねぇさん』は、庇うように言葉を発したエリシアを値踏みするように見つめて言った。


「あなたはぁ、可愛いんだけど……少し大きすぎるのよねぇ? 色々と」


「なっ、ほっといてよ!」


 彼女は途端に冷ややかな視線を二人へと投げた後で退屈そうなため息を漏らすと、再びこちらへと顔を寄せる。


「それで? おねぇさんに何かお願いがあってきたの? 聞いてあげるから、また男の子の格好で——」


「わ、私は‼︎ ルゥシフィル・リーベルシアです! 私達に協力してもらえませんか!? それと、二人は私の大切な友達なので……傷付けないで、欲しいです」


 突然張り上げた私の声に目を丸くする三人。


 そして彼女は悪戯な笑みを浮かべながらその手を解くと、私を正面から見据えた。


「なるほどねぇ? あなたが今、世間を騒がせている逃亡者ちゃんなのね? それで? その困ったちゃん達に、なんでおねぇさんが協力すると思っちゃったのかなぁ?」


 柔らかな口調とは裏腹に、その雰囲気は一変。


 獰猛な獣に睨まれているような威圧感に私はゴクリと喉を鳴らす。


 私は、圧力に呑まれないよう瞳に力を込めて彼女を見返した。


「——最初は『もしかしたら』って言う勘と希望でした。けど、今は確信しています」


「……」


「お姉さんは戦闘系ですよね? でも腕輪をしていない、なぜですか?」


「ぇ——」

「どういうことだ」


 私の言葉に、二人は驚愕。


 彼女は特に動じることもなくじっとこちらを見据え、ふっと口元に軽く笑みを浮かべながら応えた。


「なんで、そう思うのかしら? 戦闘系じゃなくたって、ナイフ投げくらい練習すればできるわよ?」


「正直、理由はよくわかりません。ただ、殺気と言うか……雰囲気が、私と似ていると思って」


 根拠はない。


 だけど、初めて会った時から妙に感じていた違和感。


 そして扉から出てきた彼女を目の当たりにした時、理解した——間違いなくこの人は、こちら側の人間だと。


 お姉さんはしばらく私を見つめていたが、ふいに肩の力を抜いた。


「ふぅ、バレちゃったら仕方ないわねぇ? 正解よ、ルゥシフィルちゃん?」


 観念しましたと肩を竦め、片目を瞑って見せる。


「でも、なんで腕輪——あなたもルゥシィと同じように逃げて」


 エリシアは疑問を思わず口にする。


 お姉さんは一瞬、鋭く冷たい一瞥をエリシアへと向けたが、すぐにその表情を穏やかなものへと変えて応えた。


「半分は正解かしら? でも、あなた達にはきっとわからないわ? この子が抱えている苦悩……意味も分からず突然世界を奪われ、追われる事になった『私たち』の気持ちもね?」


 彼女は静かに言葉を綴りながら、そっと私の元へと歩みよると、手を引いて優しく抱き寄せた。


「————ぁ」


「よく、頑張ったわね? 心をこんなにすり減らして……『あの時』気が付いてあげられなくて、本当にごめんね」


 暖かかった。


 この数日、折れそうな心を必死に立たせ、神経を張り詰めて、張り詰めて。


 それが今、ぷつりと音を立てて切れる。


 まるで、母にすがり付く子供のように私は彼女の胸で、嗚咽を漏らしながら大粒の涙を流していた。


「実はおねぇさんも、ルゥシフィルちゃんを探していたのよ?」


「わ、私を? なんで」


「あなたを見つけたのは偶然だけどね? それが『おねぇさんたち』の使だから」


「使命? たち?」


「この国から出してあげるわ? あなたはもう逃げなくていい、これからは『天職』に振り回されることなく、あなただけの自由な意志を持って生きていける」


「ぇ——」

 この時私は、彼女の言葉に未来を見たような気がして。


 同時に彼の思いと決心を加速させていた事に気が付けなかった。

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