私達は現在、大量のクレープを口に詰め込んでいる。
それはもう、今後『クレープ』という単語を発せなくなりそうな程に。
「あなた達が来てくれて助かったわぁ? 今日はお客さん少なかったから、たぁくさん余ってるのぉ」
「あ、あごごもごいもぐ(ありがとうございます)……んはっ! でも、もう無理です!! もう入りません」
「あら? そんな事言わないでぇ? おねぇさん悲しくなっちゃう、だから、あぁーん」
「ぁ、ああぁぁーん」
厳密には私だけが拷問に近い『クレープ三昧』を受けているという方が正しい。
現に彼とエリシアは隅の方でひっそりとクレープをハモハモしながら目を合わせないようにしている。
クレープ屋さんのお姉さんこと『ロゼ・カーミラ』さんは、夜中に不法侵入してきた私達を受け入れてくれた。
一先ず落ち着いて話をしようと、私達のために暖かい飲み物、そして主に大量のクレープを準備してくれたのだ。
ロゼさんは国から脱出させてくれると言っていたが、彼女の事は今の所、名前以外わかっていない。
「ろ、ロゼさんは、一体何者ですか? 国を出るってことは外の——はも」
「まぁ、まぁ、とりあえず食べて落ち着いて? 知りたい事は教えてあげるから」
「わひゃひまひた(分かりました)、よろひふぅおねまいひまふ(よろしくお願いします)」
涙目の私に甘味をねじ込み、半ば強引に黙らされた。
ロゼさんは怖い、逆らってはいけない。
「ところで、あなた達はほんとにいいのかしらぁ? ただ巻き込まれただけなら早くお家にかえりなさい?」
ロゼさんは、その雰囲気に威圧的な空気を纏い、隅にいた二人へと一瞥を投げかけた。
エリシアはわずかに肩を跳ねさせ、彼はその視線に覚悟を決めたような瞳で応える。
「俺に帰る家はない。それにここまでの事をしでかしたんだ、もう手遅れだろう」
「あ、あたしだって……ルゥシィの親友はあたしだけ!! 放っておけるわけない」
「——エリシア」
怖いのだろう、僅かに手が震えている。
だけど必死で思ってくれる親友の姿に私は心から救われた。
「そう? おねぇさんの話を聞いちゃうと、もう二度と同じ生活には戻れないわよ? そんな覚悟があるのかしら?」
ロゼさんは、そんな二人を試すように笑みを浮かべながらプレッシャーをかける。
「俺の覚悟ならとっくに出来ている」
「二度と、戻れない——いいよ、あたしはもう、絶対にルゥシィから離れたりしない」
決意の固さを感じたのか、ロゼさんは意外そうな表情で二人の姿を見据えていた。
「案外タフねぇ? おねぇさん、エリシアちゃんも嫌いじゃないかもしれないなぁ?」
「あなたには好かれなくても結構よ! ルゥシィは、ずっと一人ぼっちだったあたしに居場所をくれた——家族って言ってくれた、あたしの大切なおねえちゃんだから」
エリシアはその表情に決意を宿し、力強く言葉を発した。
そして、暖かい色を宿したエメラルドグリーンの瞳を揺らしながら優しく私へ微笑みかける。
だが、彼女の瞳が見据えているのは『私』じゃない。
——幼い手を重ねる二人、公園、交わしあった言葉と約束。
砂嵐に覆われたような視界、不鮮明な映像。
映し出される景色は、知っているのに記憶にない風景。
私の知らない記憶、知らない思い出。
ぼやけた景色を見るようにエリシアへ笑顔を返す私を、彼だけが静かに見つめていたような気がする。
***
「少しは落ち着いたかしら? ルゥシフィルちゃんはともかく、あなた達も物好きねぇ? おねぇさんは嫌いじゃないけど?」
片目を瞑って微笑むロゼさん。
二人の覚悟を聞いてからは、最初の重たい空気が嘘のように接してくれている。
「まずは、おねぇさんの事から話さなきゃね? 私は『ある組織』のメンバーなの、簡単に言うとねぇ? ルゥシフィルちゃんみたいな境遇の子、まぁ彼女みたいに逃げちゃったケースは稀だけど? 同じような子達を解放してまわっているのよ」
ロゼさんの言葉に全員が目を見開いて反応するも、言葉を遮るように指を自らの口元にあてて見せた。
「でもね、ルゥシフィルちゃんみたいに戦闘系の子達をみんな解放出来るわけじゃない。手遅れの子達も沢山いるの、そうして私達は解放した子達に自由な意志と選択を与える」
「——選択」
ロゼさんの言葉を繰り返すように、彼は小さく呟いた。
「そう、そのまま誰にも追われる事なく、ひっそりと静かに暮らすか——この理不尽な世界と戦うか」
「世界と戦う?」
私はその言葉に戸惑いを覚えながらも、真剣な表情で語るロゼさんへと視線を向ける。
ロゼさんは笑顔で頷き返し、更に言葉を続けた。
「戦闘系の子達が、腕輪をはめられた後どこかに消えていくのは知っている?」
「あぁ、わかっている」
「……」
「ど、どこに連れて行かれるの?」
視線を落としどこか寂しげに応えた彼、そしてロゼさんの言葉に対して必死に動揺を抑えるエリシア。
「そうね、多分、君の考えている結果は途中経過に過ぎない、現実はもっと歪んでいるわ」
彼を少し遠い目で見据えたロゼさんは僅かに唇を噛んだ後、その口から真実をゆっくりと吐き出す。
「——戦場、今まさに世界で起きている、くだらない『戦争ごっこ』の駒として戦場へ送られるの」
その言葉に一瞬、その場にいた全員の思考が停止した。
「ぇ、どういうことですか!?」
「戦争だと?」
「な、何よ戦争って!? そんな話聞いたこともないしっ!! 現に何も起きてないじゃない」
「そうね、あなた達はまだ知らされていないわね? でもこの国の大人……ある一定の年齢を越えた人達はみんな知っているわよ?」
「——!?」
「そ、そんな事って」
「ちょっと待って‼︎ じゃあ、パパとママも知ってるってこと!?」
驚きに思わず声を上げる私達を見つめながら、しかし、ロゼさんは取り乱すことなく続けた。
「多分ね? この国がなぜ平和か、何の犯罪も起きないか、みんなが笑顔で暮らせるかわかる?」
「わ、わかりません!! なんで笑っていられるの、そんな事知っていて、なんで——」
「知っているからよ」
「ぇ?」
理解し難い事実、到底許容できない現実、話を聞いたら二度ともとの暮らしには戻れないと語ったロゼさんの言葉、その真意がようやく理解できた。
「自分たちの平和と幸せが、犠牲の上に成り立っていることを知っているからこの国は平和なのよ? 異常な程にね」
誰も言葉が出ない、許容できない言葉への問答をひたすら繰り返す。
信じていた者に裏切られた絶望、自分たちが何一つ知らなかったことに対する憤り。
「それだけじゃない、なぜか今君が着ている『制服』、それは『レゴラ』と言う政府機関で、一見治安を守っているように見えるけれど、本当の役割は、国のシステムに不満を持つものが現れないようにするための抑止力」
「——なんだそれ、俺たちは奴隷か? それなのに、なんで平然と暮らせるんだよ」
彼は衝動的に拳を壁へと打ち付けた。
私たちの様子を静かに見つめていたロゼさんは肩を竦め、
「人間の心理なんてそんなものよ? 自分は誰かよりマシ、誰かより豊か。今もどこかで犠牲になっている誰かに比べれば幾分か幸せ、自分よりも不幸な誰かがいるだけで人は幸福を実感できるものなの」
「そんなの、あんまりだよ」
私は掠れるような声で、無気力に呟く事しかできなかった。
同時に納得できないと、エリシアはロゼさんへ詰め寄る。
「それが本当だったとして、戦争ってなんなのよ!? 国を襲ったりする敵と戦うことが戦争じゃないの? 大昔に人間が手を取り合って『魔物』? なんだかよくわからないけど国を襲った敵を追い払ったから戦争は終わったって」
「あら、意外とその辺のことも教えているのね? まぁ肝心なことはねじ曲げているけれど」
詰め寄るエリシアを軽く受け流した彼女は、その頭に手を乗せポンポンと軽く叩く。
「なによ、肝心なことって」
「それは、そのうちわかるわ? 今知るべきは世界で起きている戦争についてでしょ?」
「教えてくれ、今世界はなぜ争っている」
確信をつくように彼は真剣な瞳をロゼさんに向け問いかけた。
ロゼさんは深く息を吐いて、怒りにも似た複雑な表情を浮かべながら応えた。
「争いなんて呼べるほど、正当なものじゃないわね? 戦争ごっこっていうのは比喩ではないの」
「どういう意味ですか?」
「ゲームをしているのよ、戦闘系の子達を駒に主要国家同士のあらゆる権利を賭けた、『平和的な殺し合い』をね?」