「大騒ぎになったようだね。」
背後からいきなり声をかけられて、水元はるみはハッとして振り返った。
場所は、いつぞやの受傷人骨の出土現場。A体、B体、C体と名付けられた彼らの骨はすでに慎重に持ち去られ、いまは大学の研究室に横たえられ様々な検査をされている。住宅地の真ん中にあり、いわば土地の所有者の好意によって発掘の猶予を与えられているはるみたち発掘調査チームに残された仕事は、当時のままの遺構 (ただの野外の殺人現場だが)を、崩れぬように保存し、そのままそっと埋め戻すことである。
現状保存の原則からすれば本来、してはいけないことなのだが、ここではかつて倒れていた3体の受傷人骨が倒れていた位置とかたちをなぞって、くっきりとチョーク・アウトラインが引かれていた。もちろんチョークではなく、白いテープが人型に貼られているのであるが。はるみはそのどこかモコモコとした3つの人型が、ミシュランのビバンダムに似ていると思った。
その現場で声をかけて来たのは、いつぞや記者団に混じってやって来ていた、緒方という初老のもと事件記者である。彼は今日もまたあのときと同じキャスケットを被り、にこにこと笑って立っていた。
「あ、これはご無沙汰しています。そのせつはたいへん参考になるご意見を賜りまして。」
はるみは、わざと緒方の名前を忘れたふりをした。
「お邪魔なら申し訳ない。実はあの受傷人骨のことが気になっていましてね。ニュースやインターネットでの情報を追い、そしてこの現場にも、誰もいない時間帯にちょくちょく足を運んでは、ずっと考え続けているのです。」
「いったい・・・何を?受傷人骨については、単にお互いのトラブルで、たまたま相討ちになって倒れただけ、という結論に落ち着いていると思いますけれど。」
「まあ、たしかにそう言われているね。もちろん1万年以上も前のことで、特にはっきりとした事件性もない。だから厳密に現場検証もされないし、検死もされない。」
その言葉に、はるみはわずかに気色ばんだ。それは、自分たち学術調査チームに対する遠回しな皮肉、ないしは批判に聞こえたからだ。彼女はとりあえず年長者に対する遠慮をかなぐり捨て、気分のままにこう言った。
「事件記者さんの考える形式ではないかもしれませんが。しかしこの犯行現場はしっかりと精査され、数多くの写真も撮られ、遺体はいわば剖検され、きちんと現状保存した上で元に戻すのですけれど。」
緒方は、にっこりと笑った。
「やっと本音が出てきたね。いや、以前会話したときから、貴女のその負けん気の強さについては、わかっていたんだ。記者の嗅覚という奴でね。私は特にそいつが売り物で、実は出入りしてた先の警察で、たまに警察官のフリをして被疑者への尋問なんかも手伝ったことがあるんだよ。何件も事件解決の裏に・・・あ、いや、これは決して表には出せない話だけれどね。」
おかしそうにフフフ、と笑い、言葉を継いだ。
「あのときあちこち現場を動き廻る仕草を見て、貴女が、実は彼らの間に何が起こったのかとても気にしていて、しかも既にある結論に達している、そんな気がしていたんだ。良かったら、私に話してみてはくれないか?」
実は、図星だった。
はるみは、この1万年前の殺人が、単なる古代人同士の喧嘩によるトラブルだとは思っていなかった。しかも2対1なのにたまたま相討ちとなり、全員がばたりと同時にその場に倒れたなんてこと、あるわけがない。これは、もっと周到に計画された謀殺だ。おそらく現場には、もう1人いた。その1人が、首尾よく3人の犠牲者を討ち取り、目的を果たして悠々と現場を立ち去ったのだ。それがどこの誰なのか、もはや知ることはできない。しかし、もう少し受傷人骨のことを調べ、埋め戻される前にもう少しこの現場を嗅ぎ回って、なにか新しい発見があれば・・・。
そう、そうなれば、私の仮説を証明できる!
ニコニコと笑いながら待っている緒方に、はるみは、ひとり胸に秘めまだ誰にも言ったことのないその仮説を話してみる気になった。彼女は、釘を刺すように、緒方に厳しくこう言い渡した。
「それならば、お話しします。でも緒方さん、オフレコという言葉はご存知ですね?あなたのかつての職業的良心に従い、私がこの仮説を証明し論文にまとめ、そしてそれにふさわしい評価と栄光とを手にするまでは、誰にもこのことを話さないと誓ってください。ついでに、私の説の宣伝を、あとできちんと手伝うこと。いいですね、約束ですよ!」
言い終わらぬうちに緒方は右手を軽く顔の高さに上げ、掌を見せながら、にこやかに宣誓をはじめた。完全に、はるみの要求を予期していた動きだった。このむかつくクソじじいめ。これから、日夜考え抜いたこのあたしの仮説開陳で、おまえのその訳知り顔を、横合いからバシッとひっぱたいてやる!
と、ここで気づいた。
名前を忘れた振りをしてたのに、いま緒方さんと言っちゃった!まあ、いいか。
そんなことを考えていると、宣誓をし終えたじじいが、茶化してまたむかつくことを言った。
「1万年ののちに明かされる、縄文ファッカーの知られざる真実・・・いざっ!」