モルモルポカリの丘のふもと、大きなカペチブヌの樹の下で、4人の男たちが睨み合っていました。だがとは孤立し、まさに絶体絶命。完全武装した3人の敵は、烈々たる殺気を漂わせつつ、じりじり間合いを詰めてきます。
だがとは、ついほんの昨日まで、いや、もっと正確にいえば先ほどちゃちまに神さまを託されるまでは無二の親友といってよかった3人の敵にそなえ、かすかに腰を落とし、いつ誰が飛びかかってきてもまず体を躱せるよう、全注意力を集中しました。追い詰められた獣の、さいごの僅かな刻。逃れるすべはありません。しかし、それでも逃れようとするのです。闘おうとするのです。
それが、生きるということなのです。
だがとの視界いっぱいに散った3人の敵。しかし、その位置取りには特徴がありました。中央と右はまるで腰ひもで繋がれているかのように相互に連動しあい、ほぼ同期した見事な動きで間をつめてきます。しかし左側のひとり・・・大人しく温和な性格の、ととすという、だがとたちよりやや若い少年・・・は、違っていました。右側ふたりの先輩格は、殺帛の気合いを発散しつつ、ただこちらをまっすぐ睨みすえていますが、ととすはどこか腰が引け、おっかなびっくりです。
それが年少者ゆえの経験不足、それに起因する弱気の虫であることをだがとは一瞥で悟りました。彼には、まだ昨日までの仲間、狩猟や採集についてのノウハウを惜しみなく教え込んでくれた尊敬すべき先輩であるだがとを討ち取る心の準備が、まだできていないのです。
ととすは、他のふたりより正確に3歩遅れて、ついてきます。すなわち、だがとを包囲する包囲陣は、本来の美麗な半円を描かず、どこか歪んだ河原石のような形をして、押し包もうとしてくるのです。
古代人である彼らに、そこまで優秀な鳥瞰想像能力や幾何学的な空間把握力があったとは、到底思えません。しかし、天性の優秀な狩人であるだがとには、その陣形にはひとつだけ長めの空隙が生じており、そしてそこが唯一の突破口であり、ただ唯一の、自分が生きる希望であることを、本能的に察知していました。
しかし、だがとと同様に優れた手練れの狩人である右側のふたりは、どうやらその弱点に気付いたようです。もしかしたら、恐怖のあまり無意識のうちに、だがとの視線が必要以上にその空隙へ注がれていたのかもしれません。彼らふたりは目配せし合い、そして、いったん体勢を整えるためか、ゆっくりと動きを止めました。
これから、動きの速度や互いの間隔を慎重に微調整し、やがて最後の死の吶喊が始まるのです。唯一の希望は潰され、だがとは、目の前がまっくらになったような気分がしました。もはや、打つ手なし。あとはただ、死ぬまで闘うだけだ。見苦しくジタバタして、3人のうち1人でも2人でもいいから返り討ちにしてやるだけだ。そう覚悟を決めました。
やがて、動きを止めた手練れの殺人者が、はっきりと顔を見合わせ・・・そして、その場で爆笑し始めました。
だがとのほうを指さし、顎が外れるのではないかと思えるくらいに口を開け、その場に立っていられないのではないかと思うくらい身をくねらせ、そして、大声を履き散らかして大笑いしました。
だがとがきょとんとして立ち尽くすと、彼らは言いました。
「いや、結婚おめでとう!これは、余興だよ。俺らのちゃちまを、うまいことやって奪っていったお前に対する、ちょっとした懲罰だ。」
「まさか、仲間のお前を殺したりするわけないだろう?でもちゃちまが取られたのは、ぶっちゃけ悔しいぜ。このくらいは、仕返しさせてもらって当然だ。」
言い終えて、また笑い始めました。
彼らはやはり、親友同士だったのです。仲間は結局いつになっても仲間でした。死の緊張が解け、ホッとしただがとは、不覚にも涙をこぼし、そしてさらにその場で・・・失禁し始めました。止めようとしてもとまりません。いちど弛緩した全身の筋肉が、全力でもとの緊張状態に戻るのを拒否しているのです。小水はだがとの内股に沿って流れ続け、足を伝って地面に吸い込まれていきます。悪ふざけをしていた仲間も、さすがに笑うのを止めました。
「こいつは・・・たまげた。勇者だがとも、チビることがあるんだな。ていうか、さっきちゃちまの神さまを脇に置いた時に言ったセリフ、マジ痺れたぜ!」
「部落いちの勇者だって、人間だ。さすがに、ちょいとやりすぎたかもしれんな。すまん、すまん、許せ。このことは、お前の花嫁には、一生涯ずっと秘密にしておくから!」
くそっ、許すも許さないも!
だがとは安堵し、こいつら、クソとんでもない悪友どもとの、切っても切れぬ紐帯を改めて感じました。自分は、生きている限り、こいつらと一緒なんだ。よし、許してやる。また明日もみんなで、ブヌヌの森まで狩りに行こうぜ!そしておっきな猪獲って、丸焼きにして、石刃でバサバサ捌いて、湯気のたつ脂ののった肉をちゃちまや部落の連中にたらふく食わせてやるんだ。
しかし、ふとそのとき、だがとは、ほんの少しだけ違和感を感じました。
左側を三歩遅れてついてきていた、ととすの姿が見えません。よく探すと、彼は他の2人の仲間のすぐ後ろの死角にいましたが、なんだか思い詰めたような顔で、前の2人の先輩格の背中に手を添え、さらに前へ行け、行ってだがとと肩でも組め、といわんばかりに、腕にグイと力を込め、前のほうへと押しやりました。
すると、ひとりの姿が、突然、だがとの視界からかき消すように消えてなくなりました。続いてもう1人も。パッと消え、あとにはひらひらと、彼らが踏んでいた草だか柴だかのかけらがヒラヒラ舞い、風に揺られて落ちて行きました。
間を塞ぐものがなくなり、だがとは、直接ととすと目を見合わせました。その目を見て、だがとは驚きました。
あの素直で大人しかったととすの目が、どこか、そう、まるで魚を咥えて飛び去る間際のオオタカのような、ネズミを丸呑みにしたときの蛇のような、捕殺者特有の殺意でギラギラと輝き、見たこともない怪しい光を帯びていたからです。