目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第8話

「フリップ・アップ・トラップです。跳ね上げ式の罠のことですよ。」


はるみは、まずズバリと結論を言った。


相手が記者なら、まずは要点から。できれば結論から。彼らはまずそれを知りたがり、次に詳細の補足説明を求める。なぜなら、それが彼らの報告の仕方、記事の書き方だから。取材対象がそのフォーマットに従って答えてくれると、彼らとしてはやりやすい。メモした内容を再構成し、まとめ直す手間が大幅に省ける。それだけ早く社に報告し、それだけ早くニュースにすることができ、そして、彼ら自身の株が大いにあがる。


そしてそれは、他ならぬはるみにとっても大きなメリットになる。つまり、ほぼ彼女の言った通りの内容が、あまり加工されずそのまま記事になる可能性が高い。すなわち、彼女こそがニュースを創り出すことになる。これは、はるみのような自意識の強いタイプの人間にとって、ひどく気分の良いことだった。


定形に則って、次にはるみは詳細の説明を加えた。

「ご存知ですか?もっとも原始的な仕掛け罠の形式で、しかし、とても効果的なものです。縄文時代ではこれまでほとんど報告されていない技術なのですが、実はこれは、南方系の種族、近くで言うと台湾の原住民たちなどが得意にしている狩りの手段なのです。」


ここで黙って、反応を待った。


緒方は笑いながらゆっくりと首を振り、わざとらしく両手を上げて、降参のポーズをした。

「いや全く存じ上げないね。台湾の原住民のことは知っている。その昔、高砂族たかさごぞくと言われていた人々のことだね。だが、彼らがそんな精緻な罠を使いこなすということは知らなかった。せいぜい、毒矢で相手を射て、で、犠牲となった人間の首を狩って、さいごにむしゃむしゃ食ってしまう・・・。」


ここですかさず、はるみが訂正を入れた。

「台湾の原住民は首狩りをしますが、人食いではありません。彼らが首を狩る理由は、食人のためではなく、もっと何か宗教的・呪術的なものなのです。そして彼らを、高砂族と称すのも間違っています。その呼び名は戦前、台湾を統治した日本の総督府が彼らにまとめて強いた総称で、彼らにとってはただ迷惑なものだったでしょう。彼らには、彼らの集落と、彼らの部族の名前があるばかりです。すなわちアミ族、タイヤル族など。」


「そうか。そうか・・・これはますます、我が身の不明を恥じなきゃいけないな。いや、我が娘のような年頃のお嬢さんに、教えられてばかりだ。」

緒方は言い、芝居がかった動作で慇懃に頭を下げた。


「ついでに申しますと、おそらく彼ら南方系の首狩り種族の血は、その後の日本人にも遺伝しています。」

はるみは、緒方に構わず淡々と付け加えた。

「武士が相手の首を取る。つい数百年前まで続いていたその風習は、まさしくこうした南方系種族の血が、日本民族に受け継がれていることの根拠のひとつです。」


「なるほど。」

「しかし今は、そうした大きな話はひとまず置いておきましょう。肝心なのは、おそらく縄文時代の中期には、おそらく黒潮などに乗った交流で、縄文人たちの間に、そうした南方系の仕掛け罠の技術が伝播でんぱしていた可能性があるということなのです。そして、そのおぞましい殺傷能力を悪用して、計画的な狩り、もっというと好ましくない相手や他部族への、ある意味ではレジャーともいえる組織的な人間狩りが行われていた可能性があるのです。これは・・・控えめに言って、とても重要な発見です。」

「考古学の常識を変えてしまうような?」

「はい。これが学術的に証明されれば、そうなると思います。」

「そしてその論文を草した若手研究者、水元はるみの名前は、日本の考古学会において、おそらく永遠のものとなる。」


はるみは黙った。その通りだった。

それこそが彼女の、唯一の目的なのだ。


でもこのじじい、いつの間に私のフルネームなんか調べたのかしら?




元事件記者は、さらに聞いた。

「ところで、そのフリップ・フラップとやらについてだが・・・。」

「フリップ・アップ・トラップ、です。フリップ・フラップは、たしか大昔・・のアーチストね。貴方がまだいくらか若かった頃の。」

「ああ、そうだった・・・そうだった。本当に勘違いした。」

緒方は頭をかきかき、笑った。はるみは取り合わず、冷静に説明を加えた。


「構造自体は、簡単なものです。山中などの獲物が通りそうな道筋の端っこにまず、下向きに大きな切れ込みを入れた杭を打ち、次に近くの大木などから、おそらくは強靭でしなやかな蔓などを引っ張ってきて、幾重にも丸くして足輪をつくり、その先を木の枝ないし石などで作ったクサビに結え付けて、先の杭の切れ込みに引っ掛けておくのです。」

「ほう?なるほど。蔦がピンと張った状態で、まるで斜めに地面に突き刺さる電線のような格好で視界を邪魔するわけか。鋭敏な野生動物が、そのようないかにも人工物っぽいトラップに、引っ掛かるものなのかな?」


「そこが台湾であろうと、日本列島であろうと、森の中に住まう住人たちは、あまねく自然物を利用した偽装の名手です。おそらく草木や地形や、それが織り成す影を巧みに利用し、野生動物たちと知恵比べをしていたのですよ。」

「なるほど。まあ説得力はあるね。ただそれだと、罠の強度的に、大型の獣は狩りにくいのではなかろうか?せいぜいがイタチやら狐やら・・・当時の日本列島の動物分布を知らないが、そうした小型の獣しか。」

「精緻に計算され、強度を意識して仕掛けられたフリップ・アップ・トラップは、必ず体重数十キロ程度、中型の獣くらいまでは狩ることができます。これまで、こうした仮説を唱える人が居なかったので、誰もそれを試さなかったのです。もう少し傍証を調べ、現場検証をし、理論を整理したら、私が必ずそれを実証実験で確かめてやります!」


「なるほど・・・君ならやれそうだね。よし、わかった。そしてそのフリップ・トラップで君は人間を引っ掛けた、そして?」

「フリップ・アップ・・・・トラップです。巧緻に工夫されたトラップは、おそらく獲物の踵を引っ掛けて足止めするだけでなく、思い切り上に跳ね上げて、宙吊りにすることだってできるでしょう。」

「なるほど・・・昔、なにかの映画で見たことのある情景だな。プレデターだったか。」

「オリジナルのプレデター第1作では、獲物を確保するのに網を使っていました。もう少しのちの続編では、アメリカ特殊部隊のプロが、さらに巧緻な仕掛けで待ち受けるような設定もあったと思いますが、この跳ね上げが再現されていたかどうかまで記憶してないわ。いずれにせよ、それは架空の設定にすぎません。私は必ず、実地にそれを証明してやります。」


「なるほど。それで?」

「私の仮説の場合、この、宙吊りにする、という部分が重要です。すでにフリップ・アップに引っ掛けた時点で、3体のうち2体に認められたアンクル部分の欠損について一定の説明を与えることができました。しかし、ただ普通に引っ掛けただけだと、激痛のあまり獲物が地上を動き回るのをひとまず止めれば、それ以上に踵は傷つきません。」


「なるほど。私の位置からでは欠損部分はよく見えなかったのだが、そうとう大きなものだったんだね?」

「ええ。なので私は、彼ら2人は、揃って仕掛けられていたこの罠に掛かって、同時に宙に釣り上げられたと考えています。そして、逆さまになってもがき、苦しみ、全体重が片足の踵に掛かって、そして骨まで欠損する。」

「それは痛そうだ。」

「地獄のような苦しみだったでしょうね。そして、さらに追い討ちです・・・時間が経過してくると、逆さ吊り状態の彼らの頭に、ゆっくりと血が降りてきます。」


「まるで、キリシタンに対する拷問じゃないか。」

「遠藤周作の小説ですよね。まさに、それです。あの作品では、血液が頭蓋内で鬱血するのを防ぐため、犠牲者のこめかみに小さな穴を開ける描写もありましたね。」

「なんと残酷な。死ぬより辛い苦痛だろう。」

「死ぬより辛い苦痛を、殉教者気取りどもに味わわせることが目的ですから。」

はるみは、少しうすら笑いを浮かべながら言った。


「実は研究室であの3体の検査をしている友人に、ひそかに確認してもらいました。たしかにA体とB体にだけ、頭蓋内にほのかな鬱血うっけつの痕跡があるそうです。ともかく、そうやって彼らはゆっくりと抵抗力を失っていきます。そして殺人者は、あとから悠々と、彼らの頭蓋に一撃をくれて、止めを刺せば良いのです。」

「なるほど。確かに説得力のある仮説だ。だが、残りの1体については?」

「おそらく、一撃目のフリップ・アップ・トラップには引っ掛からなかったのでしょう。彼らはたぶん、何かに追い立てられて・・・おそらくは集団による人間狩りに遭って・・・恐怖にかられ横一列になって走ってきました。そしてこの、巧妙にしつらえられた死のラインを一斉に踏み越え、2人が引っ掛かり、1人だけが突破したのです。しかし。」

「しかし?」

「彼はたぶん、そのまま駆け続け、自分1人だけ安全圏まで逃げ延びるという選択肢を選ぶことができなかったのでしょう。それが何であったのか。逡巡か、恐怖か、あるいは仲間を思う人間らしい心だったのか・・・私にはわかりません。しかしその、おそらくはほんの数分間のためらいが、彼にとっての致命傷になりました。」


「つまり?」

「つまり、彼は後ろを振り返り、宙に浮かんで逆さまにのたうちまわる仲間たちの惨めな姿を見て動揺し、なんとかこの罠を外そうと、おろおろしながら対策を講じようとしているうち、地上をそっと接近してきた殺人者の背後からの一撃で絶命してしまったのです。」

「なるほど。後方不注意か。だが状況を考えると無理もないな。」

「その通りです。」


「そして彼は・・・確かC体くんだったか。まだ若い彼は、残りの2人と少し距離を置いた場所にゆっくりと倒れた。倒れる間際に腕を組み、人間狩りという非道を行う襲撃者に対し、こん畜生とばかりに中指を立てて。」

緒方は、笑いながら自分の中指を突き立て、その下卑たポーズを真似てみせた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?