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序章 六話「踏み出す者」

 目の前には、ただ一言――


 『しばらくお待ちください』


 白い空間に、その文字が浮かび続けていた。


(長いな……)


 ルークがそう思いかけた頃、不意に壁の一部が扉に変わり、学園の教師と思しき男性が現れた。年齢は三十代後半、整えられた髭に、品のある魔導服を纏っている。


「これより、試験の合否を伝える前に、少し面談をしよう。……かけてくれ」


 男が指を鳴らすと、真っ白な椅子とテーブルが目の前に現れる。


(……家具まで白尽くしとは)


「学園長の趣味なんだ。許してやってくれ」


 内心を読まれたような一言に、ルークは思わず目を細めた。


「……いや、別に何も言ってないです」


 肩をすくめながらも、ルークは指示に従い席に着いた。


「さて。今回の試験を通して、何か思うことはあるかい?」


 投げかけられた問いに、ルークは答えに詰まった。


(……何か貢献できたか? 活躍したか?)


 思い返してみても、胸を張れる場面はなかった。これまでは、それなりに自信があった。鍛錬も積んだし、場数も踏んできた。だが――


 今回の試験では、何も通じなかった。


「……指揮官を、倒せなかった。俺の力じゃ、足りなかったんです」


 机の下で握りしめた拳に、知らず力がこもる。情けなさと悔しさが胸を焼いていた。


 それを察したのか、教師は柔らかく語り出す。


「君は《ソナー》を駆使して、戦況を読みながら的確に動いた。暴走したバルバトスを止めたのも、君だ。もし君がいなければ、あの試験はもっと酷い被害が出ていた」


「……」


「それに、覚えているかい? 最初に説明しただろう。最終試験では、君たちの“苦手”な空間へと転送される。君がいたのは、二年前に起きたテロ――この首都ヘンデルが襲撃された事件を再現したものだった」


 あの時の炎。悲鳴。瓦礫の下で、手を伸ばしてくる誰か。


 忘れようとしても、忘れられない。


 ルークの胸がじわりと締めつけられる。


「……二年前、俺はあの場にいた。仲間を、守れなかった。敵を、討てなかった。……今回も、同じだ」


 口にした瞬間、喉が焼けつくような苦さが走る。


(俺は、強くなったはずだった。努力して、鍛えて、過去の自分にケリをつけたつもりだった。でも――)


 現実は、違った。


「“師匠の剣”なら、あの指揮官を一撃で沈めていた。俺じゃ……まだ遠すぎる」


 そう呟いたルークに、教師は初めて、わずかに驚いた顔を見せた。


「そうか……君も、あの場に」


 重く沈んだ声。教師のまなざしが、どこか懐かしいものを見つめるように優しくなる。


 ルークは拳を握ったまま、ぽつりと続けた。


「努力じゃ埋まらない差が、あることを思い知らされました。結局、役に立てなかった……また、あの時みたいに……」


「そう思っているのか。なら、一つ教えておこう」


 教師は少し身を乗り出した。


「君が止めたバルバトス、彼は――不合格だ」


「……え?」


 ルークの表情が、明らかに変わった。


 あれほどの力を見せつけ、指揮官を討ったバルバトスが、不合格?


 信じられなかった。


「彼は、半魔の力で押し切った。だが、制御を欠いた。街の一部を破壊し、住民の巻き添えを出した」


 ――半魔。


 魔族と人間の間に生まれた者。特性を併せあわせ持つ一方で、社会からは忌避きひされがちな存在。生い立ちも、差別も、暴走のリスクも背負わされる。


「本人は、その事実を理解していなかった。だから、試験としては不合格なんだ。“犠牲を出して成す正義”は、この学園では認められない」


 教師の言葉が、ルークの胸に突き刺さる。


(……俺も、結果ばかりを見ていた。何を守るべきか――本質を、見失っていた)


 少しずつ、視界が開けていく気がした。


「俺……自分でも、ちゃんと動けていたかは分かりません。でも、誰かの助けになれたのなら――それだけで、報われます」


「君は、周囲の状況を読み、君にしかできない役割を果たした。あれは、“正解”のひとつだったよ。つまり――君は、合格だ」


「……!」


 短く告げられた言葉が、胸に落ちる。


 合格。


 自分の存在が認められた瞬間。胸の奥が熱くなり、ルークは立ち上がって深く頭を下げた。


「ありがとうございます……!」


 教師は優しく笑い、立ち上がると扉の方へ手を伸ばす。


「君がこの学園で何を学び、どう成長していくのか。楽しみにしているよ。――ようこそ、ルーク。王立アストレア学園へ」


 扉が開かれる。そこには、白い石畳と校門。そして、広がる新たな世界。



 ◆



 校門の前で、教師が最後の説明をする。


「入学式は二週間後の朝八時、体育館で行われる。時間厳守だ。式が始まる前には、指定の席に着いておくように」


「はい!」


 ルークは、まっすぐに頷いた。


 胸の中で、新たな誓いが芽生えていた。


(ここからが、本番だ。必ず、師匠を超える)


 剣を握る手に、静かな決意が宿る。


 王立アストレア学園への入学――それは、彼の旅の“始まり”にすぎなかった。


 新たな仲間。新たな試練。そして、運命。


 それらすべてが、ルークを待ち受けている。

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