「アストレア学園の裏の教育方針なんだよ」
ハルナは穏やかな声で語り出した。
「ここでは、実力だけを良しとしていない。……僕が一年生の頃、学園長から言われた言葉がある。“力に固執すると力に溺れる。正しき力は、正しき知識と心を持たねばならぬ。――それすなわち初心にして究極の心得、心技体である”」
静かに語られたその言葉は、ルークの胸に深く刻まれた。
(……確かに、そうだ)
ルークの脳裏に、いくつかの顔がよぎった。
入試で出会った白髪の男。
かつて共に戦った仲間。
リオの父、レグルス・ブラックリン――。
そして、自分自身もまた、道を誤る可能性を持っていることを、ルークは自覚していた。
「……まぁ、でもルークくんは大丈夫だよ」
ハルナはにっこりと微笑み、ルークの肩を叩いた。
「君の剣は、迷いこそあれど、とてもまっすぐだ。誰かを守ろうとする、優しい剣だよ」
「……ありがとうございます」
不意に褒められ、ルークは思わず照れくさそうに頭を掻く。
「じゃ、頑張ってねー!」
手を振って去っていくハルナの後ろ姿は、まさしく、頼れる先輩そのものだった。
(よし……気を引き締めていこう)
ルークも立ち上がり、午後の授業に備えて体育館へ向かう。
◆
授業開始直前。
ルークは体操着に着替え、体育館の扉を開けた。
そこには既に多くの生徒たちがストレッチをしたり談笑したりしている。その中に――見覚えのある顔を見つけた。
「あっ……!」
お互い、同時に声を上げる。
(……ミレーナ)
橙色のストレートヘアーに、鋭い赤い瞳。間違いない、今朝の魔法授業で絡んできたあの少女だ。
(これ、絶対めんどくさいことになるやつだ……)
そっと視線を逸らすが、ミレーナは怒ったような顔でずかずかと近づいてくる。
(おいおい、勘弁してくれ……)
ルークが内心で必死に祈ったそのとき、チャイムが鳴り、授業開始を告げた。
整列が始まり、間一髪で接触を免れる。
(……助かった)
心底ほっとしながら、列に加わると、やがて体育館の扉が開き、一人の中年男性がゆっくりと入ってきた。
「よぉし、集まってんな」
ざっくばらんな口調で、ホワイトボードに何かを書き始める。
「俺はロレンス。この総合剣術の担当だ。……が、基本的に何も教えねぇ。進行は三年の生徒に任せてるから、そっちに従え」
淡々と説明し、三つのルールを告げた。
一、死闘を禁ずる。
二、真剣の使用を禁ずる。
三、安全保障道具を必ず着用する。
「以上。質問は? ないな。よし、好きにやれ」
言い終えると、ロレンスはステージに上がり、ゴロンと寝転がる。
ざわつく一年生たち。
だが、二年生、三年生は慣れた様子だった。
(……これがハルナ先輩が言ってたやつか)
一年生がざわつく中、一人の三年生――紫髪でオールバックの大柄な男が、前に出て教壇代わりに立つ。
「俺は三年のセモルだ。ランキングは7位。教師代理を務めさせてもらおうと思うが異論ある奴いるか?」
ピリッと空気が引き締まる。
「すげぇ……ナンバーズだ!」
「直接指導ってマジか!」
セモルの存在と”ナンバーズ”という肩書に歓声が上がる。
シングルナンバーズ――ランキング一桁のトップ生徒たち。彼らは教師に近い権限すら持ち、特別な存在とされていた。
「異論なしか。なら進める。今日は試合形式で実力を測る。まずは同学年でペアを組め」
その指示が飛ぶと、あちこちで生徒たちが友人同士でペアを組み始め。
そして――
「ルーク! 私と組みなさい!」
「……あー、やっぱり」
背後から飛んできた声に、ルークは頭を抱えた。
振り向けば、案の定ミレーナが小馬鹿にしたような表情をルークに向けながら仁王立ちしていた。
「なにお前、俺のこと好きなの?」
「はぁ? どう考えても私が貴方を好きなわけないでしょ!」
顔を真っ赤にして怒鳴るミレーナ。
(……めんどくせぇ)
周囲を見渡すが、もう誰も空いていない。仕方がなく諦めて、ミレーナとペアを組むことに。
セモルが安全用のネックレスを配りながら指示を飛ばす。
「必ず装着しろ! そんで、一定間隔を取ったら試合開始だ!」
ルークとミレーナは互いにネックレスを装着し、距離を取って構える。
互いの視線が、ピリリと火花を散らす。
(……なんでこんなことに)
剣を握りながら、ルークは思った。だが、心は不思議と静かだった。