狂気に満たされた世界であろうとも太陽は沈み、闇に染まる天空を星が彩る。
木々の間から覗く星空は、この世界の人々をどのように照らしているのだろうか。
「準備をしていたら、いつの間にやら夜になってしまったな、全く……。お前の装備は俺の物を使えば良いというのに」
「助けられた上に依頼を受けてもらって、さらに装備まで用意されてしまえば僕の立つ瀬がありませんよ。ちょっと古いですけど、ちゃんと持ってるんですから!」
テーブルに呆れたように肘をついているガトリムに対し、レオンは胸を張って答える。
と言っても、レオンが用意した装備品は旅をするにはいささかお粗末だ。
ガトリムは、これから起きるであろう出来事を想像し、ため息を吐くのだった。
「長にも、長居はしないと言ってしまったんだがな」
「一晩くらいなら長居になりませんよ。今日は僕の家で休んでいってくださいね! 寝床は空いていますから!」
止める間もなく、レオンは隣の部屋へと消えていく。
手持無沙汰となったガトリムは椅子から立ち上がり、家の出入り口に歩み寄る。
どうやら集落の様子を見に行くことにしたようだ。
外に出た彼の目についたのは、集落の中央に置かれた大きなたき火。
火の上には大きな鍋が置かれ、老人たちが集まっているようだ。
「なるほど、皆で食事を作っているのか。これなら食料の調整も容易な上、交流が強制的に発生する。生存確認もできるわけだ」
どこか懐かしい感覚に胸を満たされたガトリムは、食事の準備をしている老人たちの元へのそりのそりと歩み寄っていく。
「失礼。よろしければ、俺も手伝わせていただけないだろうか?」
「んむ? おお、お前さんが長の言っていた戦士とやらか。若い手は大歓迎じゃぞ! 混ぜ合わせる作業などは、わしらの腰には億劫でのう!」
ワハハと笑い合う老人たちを見て、小さく微笑むガトリム。
彼は鍋にかけられた調理器具を使い、内を満たすスープをゆっくりとかき混ぜ始めた。
「皆はこの集落に住んで長いのか?」
「わしは三十年程度じゃったかのう……。お前さんはわしより遅く来たんじゃから、二十年くらいか?」
「恐らくな。まったく、無限に生きられるようになったことで、ここの奴らと知り合えたことは嬉しいが、こうも生きるのが大変な世界になってしまうとはな……」
椅子に座って会話をしていた老人たちが、やれやれとため息を吐き始める。
だが、彼らの表情に絶望の色は宿っていない。
今ある暮らしを楽しんでいるといったところだろうか。
「若いの、不死の世界には希望がないと諦めなさるなよ? 肉体だけでなく、魂までを狂気に堕とす必要はないのじゃから」
「希望……か。ここに来るまで、良い言葉として使うことを忘れていたな」
この体になってから、目的は一度たりとも忘れていない。
俺が壊れることなく歩き続けられているのは、その目的を抱き続けたから。
憎悪の炎にまみれた、復讐という名の希望を持ち続けていたからだ。
「うむ、そろそろ煮立ってくるころじゃな。若いの、最後にこの調味料を入れてくれ。それが無ければ、わしらの食事は——」
その時、森の入り口の方から激しい爆音が。
皆でその方向に顔を向けると、立ち昇る煙と、闇夜のはずなのに橙色へと変化していく空が見えた。
「な、なにが起きたんじゃ!?」
「分からん……! だが、隠れるなり逃げるなりしてくれ。嫌な気配が近寄ってくる……!」
じわりじわりと、生きても死んでもいない生物たちが森を進んでくる。
恐らく、この気配は傷屍人だろう。
おびただしい数の邪気が、かなりの勢いで膨れ上がっているようだ。
ガトリムは素早くレオンの家に移動し、自身の武器である戦斧をつかみ取る。
「ガトリムさん! 先ほど遠くから聞こえてきた爆発音は、一体……!?」
「傷屍人の襲撃だ。お前も逃げるか隠れるか——いや、老人たちの避難を手伝ってやってくれ。頼んだぞ」
返事を聞くことなく家の外に飛び出し、明るくなっていく空をガトリムは睨みつける。
傷屍人除けの印は発動していると言っていた。なぜ、奴らはこの集落に向かっている?
考えている暇はない。集落に奴らが近寄らないように立ちまわらなければ。
傷屍人たちは、まだ森の入り口付近に集まっているらしい。
こちらから急襲すれば、人々を逃がす時間稼ぎはできるだろう。
ガトリムは戦斧を肩に担ぎ、全速力で森の入り口へと向かうのだった。
●
「はあああ! うらぁああ!!」
木々は燃え落ち、倒れた木に押し潰され、苦しみにもだえながら肉を焼かれていく傷屍人。
燃え盛る森の中、ガトリムはおびただしい数の傷屍人を屠っていた。
既に戦いを始めてから数十分が経過しているが、いまだに彼らは森の奥へと向かおうとしている。
「おっと、ここから先は通行止めだ。何を差し出されても通り抜けさせる気はないぞ」
ガトリムの隙を突いて森を進もうとした傷屍人たちもいるが、両足を戦斧で両断され、動けなくなってしまう。
どうやら彼は、傷屍人たちの機動力を奪う形で時間稼ぎに専念しているようだ。
「ふぅ……。レオンたちは避難することができたか? さすがにこの数を相手取るのは苦痛なんだが」
ガトリムの視線の先では、いまだに傷屍人たちが体を揺らしている。
もう少し、気張る必要がありそうだ。
「それにしても、森に火をつけた傷屍人がいるはずなんだが……。まさか、誘導でもされたか?」
胸中に疑念を抱くものの、それはないと戦斧を振り回しながら否定する。
傷屍人たちは、痛苦のせいでまともな思考回路を失っている。
作戦を立てて行動することなどできるはずがない。
だが、いくつかの事象が疑念をさらに加速させていく。
嫌な予感が膨れ上がっていくのだ。
「コイツらの迷いのなさから察するに、傷屍人除けの印は消えたとみていい。狭い森とはいえ、適当に放った攻撃が直撃するか……?」
最初の攻撃は、傷屍人除けの印を壊すことが目的だったのではないか。攻撃を行った存在は、それが置かれている場所を知っていたのではないか。
他所の人物にできることではない。
集落にいた人々の内の誰か、もしくは過去に出ていった誰かが傷屍人を呼び寄せたのではないか。
「一旦集落に戻った方が良いかもしれんな。無事でいろよ、皆……!」
襲い来る傷屍人を吹き飛ばし、森の奥へと踵を返す。
ある程度の敵は動けないようにした。背後から襲われることはないはずだ。
ガトリムは戦斧を背負い、ほどけかけた包帯を巻き直しながら森を進む。
一方、集落付近——
「皆さん、焦らず急いでください! もう少しで避難場所の洞窟です!」
ガトリムに指示された通り、レオンは人々の避難誘導を行っていた。
足腰に負担を持つ老人が多いために避難は思うように進んでいないが、誰一人欠けることなく集落を離れることはできていた。
ガトリムが懸命に足止めをした効果が出ているのだろう。
彼が頑張っているんだ。僕たちも頑張らないと!
レオンがそう思った瞬間、集落の長が地面に腰を下ろしてしまった。
「レオン。あなたは私たちを置いて、一人で逃げなさい。あなただけだったら、きっとあの勇ましい若者が助けてくれるはずだから……」
「な、何を言うんですか。ガトリムさんが足止めをしてくれているのに、諦めるようなことを言わないでください! ほら、頑張って!」
弱音を吐く長に対し、レオンは大声を発しながら彼女の背を支える。
だが、彼女が立ち上がろうとする素振りは見せなかった。
「もう、良いのさ。本来、私たちはとっくに命を落としている存在。不老不死のおかげで、辛くも美しい日々を続けることができた。どうか私たちのために、若い精神を狂気に堕とさないでくれ」
長の言葉に同意したのか、他の老人たちも道端に腰を下ろしていく。
「どうして……。どうしてですか!? 皆、生きなくてはいけないのに……。生きていかなくてはならないのに、なぜ諦めるのですか!? まだ、生きていけるのに……!」
「まだ若いお前には分からないかもしれないが、私たちは生きすぎているんだよ。ありとあらゆる存在は、本来滅びるのが定め。それに逆らってまで生きるのは良くないのさ」
彼女たちの行動が理解できず、レオンはより顔を歪めて叫び出す。
「死ぬことはできないんですよ!? 死に至るほどの傷を負っても、傷屍人になってしまうだけ……! 他者に危害を与えてしまう可能性があるのに……!」
「だから、この森と共に燃え尽きようと思う。体が消え去れば、きっと他の人たちを襲わずに済む。痛みから逃れられなかったとしても、誰かを傷つけるよりかはずっといい。ここまで耐えてきたんだ。そのくらいの苦しみは耐えてやるさ」
長の言葉に、老人たちは大きくうなずく。
彼女たちを説得できないと感じたレオンは、悔し涙を流しだす。
そのほおを、長は優しく触れながら語り掛ける。
「生きて、歩いてごらんなさい。そうすれば、私たちが抱いた想いを理解できるかもしれない。例え理解できなかったとしても、それはそれで構わないの。あなたはまだ若い。生と死について、考えてみなさい」
「分かりません……。分かりませんよ……!」
なぜ、死を望もうとするのか。なぜ、生きようとしてくれないのか。
まだ年若いレオンに、死を望む想いは分からない。
「さあ、行きなさい。私たちのことは気にしないで——」
「やっと見つけたぁ……!」
女性の声が聞こえるのと同時に、何かが弾けるような音が聞こえる。
直後、レオンの周囲に巨大な炎が落下し、そこにいた存在たちを焼き始めた。
「ぐあ……、ガァァァ!?」
「熱、熱いィィ!?」
炎に飲み込まれた老人たちが、悲鳴をあげながら地面に倒れていく。
肉が焼ける匂いと共に、服が焦げていく匂いが混ざり合い、悪臭となって周囲を包む。
「な……。何が——」
「レオン……。私のレオン……。傷屍人に襲われることなく、生きてくれてたのねぇ……」
炎の奥から、黒き長髪を乱し、眼鏡をかけた女性が現れる。
やつれた頬、狂気に侵された瞳と往年の美しさとかけ離れているが、間違いない。
彼女は、彼女は——
「ノヴァ姉さん……? どうしてここに……? どうして、皆さんを……?」
「邪魔だったんだもの。それに、自分から死にたいみたいだったしね。いつまでも体が燃え続けるのは苦しいわよね……? すぐにとどめを刺してあげるわぁ……」
ノヴァは両手で印を結んで念じると、大きな火炎放射器が出現する。
それを彼女は、炎にまみれ、苦しんでいる老人たちに向けた。
「まさか……! まって、姉さ——」
「燃えなさい、地獄の炎で。その身を浄化し、永遠の苦しみを味わいなさい」
指が鳴らされると、火炎放射器から激しい熱が噴き出していく。
さっきまでレオンに優しく語り掛けてくれていた老人たちは、黒い土と共に消え去ってしまった。
「ああ……。あああ……!」
「羨ましいわぁ……! あなたたちは、誰かを傷つけることなく消えることができたんだから……。さあ、レオン……。一緒に研究を始めましょうかぁ……!」
意気消沈していくレオンの体に、ノヴァはロープを巻いていく。
その作業も終了に至り、再び印を組んで何かを出現させる。
現れたのは馬のように見える生物。しかしその背には翼が生えており、バサバサとはためかせていた。
どうやら、馬型の飛行生物を創造したようだ。
「んしょっと……。これでオッケー。後は研究所に戻って——」
「そこまでだ」
ノヴァがこの場を去ろうとした瞬間、燃える木々の影から飛んできた戦斧が、飛行生物に襲い掛かる。
それは速度を落とすことなく首を斬り飛ばし、どうと地に倒れる音が響く。
「だ、誰!? よくも私のお気に入りを——って、なかなかいい男じゃない。ねぇ、私がしている死の研究材料になってみない……?」
「あんたの首でも斬り飛ばせばいいのか? それなら喜んでやらせてもらおう」
燃え盛る木々を背に、ガトリムは怒りに満ちた瞳でノヴァを睨みつけていた。