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第3話 「大切なものを見つける為に」


 暗く沈んだ部屋の中。

 白黒の光が液晶から放たれている。

 ポチポチ、ポチポチ。

 私はいま、現実逃避ゲームをしている。

 ゲームのタイトルは『光と闇のトラオム』。

 たまたま目に入って、たまたま気になったからプレイしているだけの一時しのぎ。

 もっと詳しく云うと、そう。

 剣と魔法の世界トラオムを舞台に、光の聖女である主人公が様々なヒーロー達と共に魔王を倒す。

 そんな、アクション恋愛RPGである。


「…………………………」


 左の腕にはギブスと包帯が巻かれ、つい数ヶ月前までは艶やかだった髪はボロボロ。

 ハリがあって美しかった肌はやせ細り、自分でも理解できるくらいには衰弱している身体。

 虚ろいだ私には、このゲームに何も想えない。


 ──飽きた。もういいや。


 私はテレビの前から離れると、ベッドの方へととぼとぼ歩いていく。

 ブラブラと垂れる頭のその目に、とある二枚の写真が入り込んできた。

 一つは、穢れた埃に被っている、高校剣道部のみんなとの集合写真。

 二つは、クシャクシャになっている、かつての祖父と私のツーショット写真だった。


「……っ! はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ──」


 苦しい。辛い。悲しい。憎い?

 胸が……胸が、はち切れそうだ。


「ああ──あ"ぁ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!」


 発狂した。目を瞑り、耳を塞いで発狂した。

 知らない。知りたくない。分からない。忘れたい。

 死にたくない。諦めたくない。前を向いて歩きたい。

 ──無理だ。


「……………………」


 スン、と何事も無かったかのように立ち上がる。

 私の顔には……いや、心には──涙が無かった。

 ひび割れて空っぽの私は、心配して様子を見に来てくれていた家族が見えず、そのまま眠りついた。

 これから先も、無色で無意味で無機質な、そんなくだらない日常を過ごしていくのだと、そう思いながら。


 でも、どうやら現実は違うらしい。

 それはきっと神のきまぐれだろう。

 だって──声が聞こえる。


『初めてまして。私の愛し子"剣崎陽依"』


 目を開いたら私は白の世界にいた。

 ここは意識空間なのだろうか。

 手や足に、その他身体部位が在ることを感じるけれど、どこを見ても朧気に映ってボヤけて見える。

 それは私だけでなく、目の前に居る女性にも該当する。

 いや正しくは、女性だと何故か認識できる存在である。


 敬愛。慈愛。崇拝。神聖。

 普通では無い存在の声だが、心底心地のよい母のような声色で何処か安心させられる。

 しかし私にとって、それらの感想は心じゃない本能が感じ取っただけのもので、脳では何も考えられていない。

 言葉通りの無心状態、心ここに在らずという訳だ。


「…………………………」


『ねぇ陽依……苦しくて辛い可哀想な屍の陽依……もう、楽になりたい? 何もかもを忘れて、楽になりたい?』


「…………屍……? 何もかもを忘れて……楽に…………?」


『貴方はもう直ぐ死ぬ屍。だから私が介錯してあげるわ。申し訳なくて辛い家族のことも、嫉妬に狂って貴方を陥れた先輩達のことも。そして──まだ貴方の心に残り続ける祖父との思い出に、その憧憬も忘れて……。もう、傷つかなくて済むように介錯してあげる』


「……家族……先輩達……祖父……憧憬……?」


『そう、その全部。忘れたらきっと、とっても楽に死ぬことが出来るわよ?』


「……楽に……死ねる……?」


 それはとっても、いいこと……。


『それじゃあ、はい。この手をとって? そうしたら母が貴方のことを、愛に溢れた死にしてあげる』


 自分のことを母と呼ぶ朧気な存在が、手であろうそれを私へとそっと差し出した。


「……………………」


 この手を取って、楽になっても良いのよ?

 その差し出された手からは、慈愛が感じ取れた。

 だから私は何の気なく楽になろうと、愚かにもその道を選ぼうとした──そのときだった。


【陽依は陽依の、なりたい未来の自分の為に苦しみながら努力して、何か絶対に譲れない大切なもんの為に生きろ】


 自分の胸の深部から、もう一つの声が聞こえてきた。

 それは遥か昔に祖父から謂われた言の葉だった。

 私は手を……伸ばしかけた手を、咄嗟に戻す。


「…………っ!」


『あら? どうかしたの?』


(私いま、何をしようとしたの? どうせ死ぬならって、何もかもを忘れて死のうとしたの?)


「そんなの駄目…………私……まだ死ねない……」


『生きていても辛く苦しいだけではないの? 何故、死ねないの?』


「だって私……まだ、約束果たしてない……。大切なものの為に生きる、って……。私…………辛いからって、それが分からないまま死ぬなんて出来ない!!」


 ポロポロと、涙粒がこぼれ落ちる。

 それは眼から流れたもので、人間なら誰しもが持っている衛生システムの一つに過ぎない代物。

 だけど、今の私にとっては違うのだ。

 だってその雫の源流は、傷ついた過去の私が下手くそに隠していた筈の、心の奥底に在るものだから。

 泣けるってことは、私の心は人並みで、まだ死んでいないという証明に他ならないから。

 だから私は、何よりも先に安堵をしている。


 しかしそれはそれ。

 彼女はいま、"もっとも楽"で"もっとも無責任"な過ちの未来みちに私を引き摺り込もうとしたのだ。

 安堵などしている場合ではない。

 だって私はまだ、かけがえのない大切を見つけていなければ、その為に生きてすらないのだ。

 生きてすらないのに、死ぬなんてこと出来ない。

 そんな想いがトリガーとなって、不可思議で未知な彼女という存在に警戒する。


『そう……ふふ……やっぱり、貴方って強いのね。ごめんなさいね、さっきは変なことを言って。そっちの方が貴方には良い事だと本気で思ってしまったの』


 胸をギュッと押さえ付けて訴えた私に、彼女は優しい声色で微笑み、私の頭を撫でる。

 そこには確かな愛を感じて、まるで家族に撫でてもらったかの様な安らぎが、私の涙を抱き締めてくれた。


『貴方にならきっと、運命を任せても大丈夫そうね』


「………………うん、めい?」


 私がか細く問い掛けると、彼女は小さく頷いた。


『貴方にはトラオム……原初の世界を救ってほしいの』


 トラオム。

 その単語に聞き覚えがあった。

 それは光と闇のトラオム。

 ゲームに出てくる世界の名前である。


「トラオムって……もしかしてゲームのですか?」


『えぇ、そうよ。あれはゲームであってゲームじゃない、。そして、全ての世界の根幹にそのものなの』


 難しい文字列に戸惑う。

 どうやらトラオムとはゲームのトラオムらしいが、だからそれがどうしたというのだ。

 あのゲームには魔王という超生物が存在するが、それは主人公フレンが仲間達と一緒に倒す。

 ならば私がいた所で意味がなければ、もし仮に私が主人公の代わりを務めるとして、それが出来る気がしない。


「…………よく、解りません。並行世界だとか、世界の在り方とか、──何故それを救うのが私なのかとか。自分に自信の無い私には何も分からないです……」


 別に自分じゃなくても良いだろう。

 そんな言葉が喉元に突っかかった。


『陽依は正直者なのですね……。ならば、私も正直に話しましょう。確かに世界を救うのは貴方で無くても良いのかもしれません。貴方のようにに合った人で、誰でも良い』


「なら……」


『ですが……私は貴方が良いと思ったのです。幾千幾万幾億いる可能性の中で、私は……貴方にどうしようもなく強い輝きを見出した。この娘ならもしや、私の想像すらをも超えた未来を見せてくれるのではと、そう思ったのです』


 彼女は私の手を優しくとると、最初とは似ても似つかない弱々しい声で、続きの言の葉を紡ぐ。


『だからどうか、頼みます……我が愛し娘、剣崎陽依。貴方の強くて優しい穢れのない光で、トラオムを、私の子ども達を救って欲しいのです──』


 日本には"言葉は心の使い"ということわざがある。

 その言葉の意味は、"言葉とはその人の心を反映し、自然と口から出てくるもの"、というもの。

 優しい人だったら優しい言葉が、適当な人だったら適当な言葉が、素直な人だったら素直な言葉が出る。

 嬉しかったら明るい言葉が出るし、ムカついたら厳しい言葉が出るし、悲しかったら弱々しい言葉が出る。

 人間とは、言葉とは、そういうものなのだ。


 だからこそ私は思う。彼女は一体・・・

 どんな思いをすれば、どんな責任があれば、どんな愛があれば、ここまでの言葉を言えるのだろうか、と。


『私はもう長くはない、貴方と同じ死に体なのです。これが自らの意思で運命を託せる最期の機会……。私は私の不始末の為に、貴方に運命を強制するロクデナシにはなりたくないのです。だからどうかお願いします。出来れば私は貴方に──』


 私は、私という存在は……ありふれた一人の人間でしかないということを、自分自身がよく理解している。

 理解しているからこそ、私には分からないのだ。

 ただの小娘に過ぎない私には、過去に偉業を成し遂げた英雄のようにはなれないのに……。

 あるのは幼い頃に抱いた憧憬だけで、命を賭せる信念も理想も持っていない私には、何も成せやしないのに……。

 どうして……どうして彼女は、私なんかに世界を救って欲しいなどと、そんな悲しそうな声で謂うのだ──。


「……卑怯です。凄く卑怯です……」


 嗚呼……彼女はとても、とても卑怯だ。

 彼女のあまりの卑怯さに、私はプルプルと震える拳をぎゅっと握り締め、高ぶる感情が吐き出ていくしかない。


「だって……だって! 私が憧れた、格好良くて誰からも好かれるおじいちゃんなら! こんなに悲しそうにしてる人の頼みを断ったりなんかしないもん!!」


 なんて子どもらしいのだろうか、と自分でも思う。

 しかし私という人間は、これで良いのだとも思う。

 だって、その気持ちこそが私の原点なのだから。

 私は私という人間に自信を無くし自暴自棄になろうと、死ななければ、それだけは壊れず残り続けるのだから。


『では…………』


「ええ、やってやりますとも! どうせ死ぬんなら、約束を果たせないままより、約束果たして世界救った後の方が格好良いって、そう思いますから! ま、世界を救う自信なんて私には、これっぽっちもないんですけどねっ!」


『…………感謝します。もう長くない中でその言葉を聞くことが出来るとは、ここまで私なりに頑張ったきた甲斐があります。これも我が母の祝福ですね……』


 彼女は少しばかり上を向いたかと思えば、何か後ろめたさを孕んだ遠い目をしている。

 それが誰に向けてのものなのかは分からないが、どことなく贖罪であろうことは理解出来た。

 が、それに軽く踏み入れるほど私は野暮でもない。

 さて、どんな話題をふったものかと少し悩むと、それらとは別の根本的に謎だった部分が露呈した。


「あ……感情の流れるままに、やってやる! って言っちゃったんですが、どうやって世界を救うんですか?」


 そう、根本的な謎とは"HOWどうやって"である。

 そも多少剣術を齧っただけの一般少女である私に、世界を救う強力な力などない。

 現実的に考えれば、そこら辺のスライムですら良いとこ勝負であり、よくあるゴブリンなど以ての外。

 が、であるからこその"どうやって"という質問であり、これを私自身が知らないことには意味がない。


 そして当の彼女はというと、それに今更気づいたのか、はたまた忘れていたのか、という感じである。

 何せ憂いた雰囲気から一変して、素直なのかハッとした様な感じを出すと、徐に咳払いをしたのだから。


『…………コ、コホン。それはですね、貴方に転生して強くなってもらいます』


「てん……せい……? 転生って輪廻転生みたいな?」


 輪廻転生。

 仏教やインド思想における概念であり、人が何度も生死を繰り返し、違う生命へと生まれ変わることである。


『はい。この場合は輪廻転生とは異なり、浄化の工程を踏むことは無いので、記憶はそのままですが』


「な、なるほど? それで私は何に転生するんですか? もしかしてドラゴンとかですか?」


 世界を救うのであれば人を超越した存在である、ドラゴンやら神様やら、一周まわって魔王に転生だろう。

 と、そんな思考を経て、敢えて格好良いドラゴンなどと口走ってみると、彼女の雰囲気が解れた気がした。


『ふふ……いえ、人間ですよ? 名をルカ・エーデル』


「ルカ・エーデル?」


 はて、何処かで聞いたことがあるような無いような。

 そんなアヤフヤな記憶の私が鸚鵡オウム返しすると、彼女はこくりと頷き説明を続ける。


『はい。ゲームでの彼女は、『魔法の国マギ』と『剣術の国シュヴェアート』が交流する一大イベント『交流戦』において』


(ん? 交流戦?)


『主人公フレンが在学するマギ魔法学園と対峙するシュヴェアート剣術学園の生徒として、初めて登場する人物であり』


(主人公と対峙……?)


『今までの両国の諍いと、主人公フレンが光の聖女であるという特性から』


(あっ……もしかして……)


『主人公フレンをいびりにいびった結果惨敗した』


(悪役れ……)


『悪役令嬢の傍にいた黒髪の女性です』


「やっぱり……って! それモブじゃないですかぁ!!」


 結論。ルカ・エーデルさんはモブの悪役令嬢だった。


『まぁ……酷いのですね……母は悲しいわぁ。貴方達はみながみな、主観の世界で生きております。でしたら、みなさん全員が主人公なのでしょうに……およよ』


「たし、かに……? でもそれって、逆説的にいえば全員モブってことにもなりませんか? それにあくまで、少なからずゲームではルカ・エーデルさんモブですし」


『まぁ……そこは何でも良いのです。もっとも大事なのは彼女がモブかどうかではなくて、貴方という人間とルカの相性が良いという事実なのですから』


 彼女の言葉に顔を伏せて考える。


「ん?私と相性が良い……? それはどう、いう……?」


 私は気になったことを聞こうと、言葉を発しながら考え伏せていた顔を上げた。

 すると彼女と目が合い、そのまま、そのボヤけて見える身体を視界に捉えた。


『・・・すみません。……どうやら時間のようです』


「えっ…………?」


 彼女の身体がポロポロと崩れている。

 身体の先端から少しずつ光粒となり、何もないこの空間の上方へと飽和している。


『別れというものは何時も急ですね……』


「えっ、いや……まだ聞きたいことがいっぱい……」


『ふむぅ……確かにそうですよね。では一つだけ、何でも質問にお答えしましょう。そのくらいの時間はありそうですからね』


 一つだけ、何でも質問に答える。

 その言葉を聞いたとき、頭が真っ白になった。

 正確には脳の中を聞きたい黒字質問で溢れてショートして、何を質問すれば良いのか分からなくなったのだ。

 それこそ、聞きたいこと、聞いてないこと、聞かなければならないことは、山のようにある。

 例えばさっき質問した『私とルカの相性の良さ』とか、『彼女の名前は何と言うのか』とかだ。


(何を、何て、どういう風に質問すれば──)


 今まで気にもとめていなかったが、彼女は生物を超越した存在なのだろう。

 ならばこの質問で私の今後が変わってくるに違いない。

 悩みが頭の中を、理性を掻き乱していく。


 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう──。


『悩んだとき、何も考えずに真っ先に出てきた言葉こそ、貴方がもっとも重要とする答えですよ』


 ──啓発した。

 このとき私は、思わず口を開いていた。


「何で私を選んだんですか!!」


 Whyそれが私のもっとも重要とする質問だった。


『それはね、さっきも言ったとおり。貴方の魂の輝きが綺麗で真っ直ぐで、強かったからなの……』


「……………………」


『貴方はきっと、これからの人生で幾度となく躓き、その数だけ絶望することになるでしょう。もしかしたら、私のことを憎むかもしれないわ。でもね……貴方にはその度に起き上がって前に進める強さがあるの。だから私は、貴方なら必ず世界を救えると信じているわ』


 ニコリと微笑み、私の頬に手を当て優しい声で謂った。

 彼女の声は言葉は、私を安心させ、包み込んでくれる。

 だからなのだろうか、期待に応えてあげたいと心の底から私は思っているのだ。


「分かりました。その期待に応えてみせましょうとも!」


『あら……うふふ、ありがとう。でもね、気負い過ぎないで大丈夫よ。だって私はそれと同じくらい、貴方には貴方の大切なものを見つけて、その為に生きて欲しいもの。何時かきっと見つけられると良いわね』


「はいっ!」


 身体のほぼ全てが消えていた。

 彼女は原型の無い指を私の胸に当て、薄らとした優しい光を灯すと、声だけを遺して去っていく。


『全ての始まりは私が犯した罪。そのときが来ましたら、きっと……女神■■■■■として貴方の光に祝福を──』


・・・


 視界が暗転し、深い海底を揺蕩っている。

 世界が闇に包まれる刹那の一瞬、私は彼女の姿を見た。

 彼女はとても綺麗で、──美しかった。


 嗚呼……まるで、夢を見ている様だ。

 そのうち、私は目を覚ましてきっと……。


「オギャー!オギャー!オ、ギャ……ァ……(へ?)」


(あ、あ、あ……赤ちゃんになってるぅううう!!??)


 赤ちゃんになっていた──。


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