かよはケイとネージェから話を聴き終わったあと、大垣と雑談をしてから再び祈りに向かった。ケイが心配そうに、かよを見る。
「聖女様、あまり無理をなさらないほうが……」
「ありがとうございます、大丈夫ですよ」
かよは安心させるために、笑顔を浮かべたが実際は体がだるくて仕方ない。けれど下野と大垣を少しでも早く帰すためだ。ゆっくりはしていられない。
「なぜ、ほかの聖女様のために、そこまでされるんですか?」
「……あの2人、受験生なんです。高校のときに受ける受験って、場合によっては人生が決まってしまうこともあるんです。もちろん事情が事情なので、気にしなくっていいんでしょうけど、私だったら気にしちゃうだろうなあって思って。それなら、少しでも早く帰れるように、私が頑張ろうって思ったんです」
ケイはなにか言いたそうな表情を浮かべたが、「そうですか」とそれ以上尋ねてこなかった。
聖樹に着くとケイは立ち去り、かよは祈りを捧げる。前回のような長時間はケイから止められたため、1時間半くらいまでとなった。
祈りを終えると、かよはだるい体を引きずって下野の部屋を訪れた。今回は廊下のほうの扉からだ。
「下野さん、今話せる? 品川だけど」
部屋の中から「どうぞ」という力のない声がする。かよは下野の部屋の中に入った。
「下野さん、調子はどう? ごはん食べてる?」
「いいわけないじゃないじゃん。それにどんな食材使ってるかわからないのに、食べたりするの怖すぎ」
「気持ちはわかるけど、食べないと。料理自体は私たちの世界のものに近づけてくれてるから、食べやすいよ?」
「……なんで品川さんは、そんなに早く受け入れられるの? なんで、自分の世界じゃないところのために、祈りなんて捧げなくちゃいけないの? 意味わかんない。自分のことで精一杯なのに。こんなところに来たくなかった。帰りたい……」
「下野さん」
下野の精神は限界のようだ。大垣と一緒に、どうにか帰すことはできないだろうか。
かよは、下野の部屋を出て騎士の部屋へ向かう。扉をノックすると、アイネが出てきたので、ケイを呼んでもらった。
「いかがされましたか、聖女様」
「あの人……ジョバロンさんと会うことはできますか?」
「とりつけましょう。日時が決まり次第、お知らせします」
「すみませんが、よろしくおねがいします」
かよは頭を下げてから自分の部屋に戻り、ようやく一息ついた。
(あのジョバロンっていう人、油断したら丸め込まれそうだな。しっかりしなくっちゃ)
かよはどのように話せば、ジョバロンを説得して下野と大垣を、あちらの世界に帰すように説得できるか考えようとしたが、強い体のだるさと強い眠気に負けてしまった。
かよが目を覚ましたのは、ノックの音だった。
「は、はい……」
「聖女様、ケイです。ジョバロン殿との件をお伝えしにきました」
かよは飛び起きて扉を開けると、ケイを部屋に招き入れた。
「それで、なんとおっしゃってました?」
「日中は仕事の関係で無理ですが、本日の場合夕食をとりながらなら、と」
「わかりました。それで大丈夫です。ちなみに夕食まで、あとどれくらいですか?」
ケイはかよの部屋の時計を見た。
「2時間後です」
それだけの時間があれば、なんとか対策を立てられるだろう。しかしできれば、ジョバロンという人物について、もう少し知りたい。
「あの、ケイさん。ジョバロンさんってどんな人ですか?」
「ジョバロン殿ですか。そうですね……我々【聖樹の盾】とあまり接点はないので、深くは存じ上げないのですが、効率的という印象があります。仕事も早く、指示も的確だと聞いております」
どうやら印象どおりのようだ。
「ありがとうございました」
「いえ。時間になりましたら、またご案内いたします。それでは」
ケイが退出して、かよは体を起こしてジョバロンの説得方法を考えはじめた。
(効率主義ってことは、非効率なことが好きじゃないだろうから、今の状況が非効率ってことを全面に出せばいいか? それとも情に訴える……いや、多分あの人はそういうのに流されるタイプじゃない)
かよは静かに考え続けた。
そんなかよが、思考の世界から現実に戻ってきたのは、またしてもノックの音だった。
「聖女様、お時間です」
もうそんなに経っていたのか。髪や服装を整える。
「……わかりました。すぐ出ます」
果たしてうまくいくだろうか。不安を抱えながら部屋を出て、ケイのあとをついて行く。
案内された一室には書斎机があった。ジョバロンの仕事部屋なのだろうか。書斎机の上はすっきりと片付いており、想像していたような書類の山はない。部屋の中央には、白いクロスをかけられたテーブルが設置されており、料理がすでに運び込まれていた。
「聖女様、お待ちしておりました。狭い部屋で申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。お時間をいただき、ありがとうございます」
ケイが椅子を引いてくれる。どうやら彼も同席するようだ。
「どうぞ、召し上がってください。聖女様の世界の料理を用意いたしました。……それで、ご用件は?」
ジョバロンは肉を切りながら尋ねてきた。かよは料理に手をつけず、本題をぶつけた。
「下野さんと大垣さんを、近日中に帰すことはできませんか?」
「ほう? なぜ?」
かよは本音を別の言葉に変え、ジョバロンに告げる。
「あの2人は聖女に向きません。まず、私たちの世界でいう受験生……つまり、勉学にいっそう励まなくてはいけない時期だからです。それから子どもで精神が未熟です。彼女たちでは、聖樹の祈りを捧げることはできません」
かよはジョバロンを見つめた。ジョバロンは口元をナフキンで拭きながら、小さく笑っている。
「なるほど。さすが聖女様、ほかの方にもお優しい。しかし……それはできません」
ジョバロンの目の光が鋭く光った、ような気がする。光もぬくもりも含まぬ目つきに、背筋が寒くなる。
「聖女になったからには、どれだけの時間がかかろうと、祈り続けてもらわなければ困ります。召喚するのも、タダではないんですよ。失敗しないよう、入念な準備が必要なのです。……こちらに召喚できるのは3人まで。そのうちの1人が、本来呼ぶつもりのなかった者だった場合、損失は計り知れません。それならば、まだやる気になってもらえたほうが、いいというもの」
ジョバロンは、にんまりと笑う。
「それならば、別の報酬も用意しましょうか。そうですね……勉学に関すること、などがいいでしょうか」
「彼女たちの努力を潰さないでください。そんなことをしたって、将来のためになりません」
「お堅いことをおっしゃる。望みというものは、叶えばいいのではないですか?」
「叶えるまでの道のりや感情も大切です」
「失礼ですが、私にはない考えですね。……とにかく、お二方にも聖女の役割は果たしていただきます。まあ、方法はいくつかありますから」
言葉の含みを察したかよは、ジョバロンを睨みつける。ジョバロンと2人を近づけてはいけない。
「それなら、私が彼女たちを説得します。手を出さないでください」
「ふむ。わかりました。それなら、聖女様にお願いしましょう」
満足そうな笑みを浮かべるジョバロンが腹立たしい。すべて彼の策略どおりであることは明白だ。とても食事の気分にはなれない。
「私はこれで失礼します」
「おや、一口も召し上がっていないではないですか。それでは部屋に運ばせましょう。聖女様の働きには、期待しておりますよ」
かよは背中でジョバロンの言葉を聞きながら、ケイに扉を開けてもらう。返事はしなかった。