かよは自室に戻ると、唇を思い切り噛んだ。
(あの2人を帰すことができなかった。……私がもっと口の立つ人間だったら)
かよは拳で自身の太ももを叩いた。
そのとき、扉がノックされた。食事を運んできたのはケイだった。いつの間に食事をとりに行ったのだろうか。テーブルの上にきれいに並べられる。本音を言えば、ジョバロンと同じ空気にあったものを食すのはあまりいい気分ではないが、作ってくれた人にも食べ物にも罪はない。大人しく食べることにした。
「聖女様。こちらの世界の都合に振り回してしまい、申し訳ありません」
「そんな。ケイさんが謝ることじゃないですよ。……やっぱり、ジョバロンさんは手ごわかったです。下野さんと大垣さんだけでも、あちらの世界に帰すことが、できたらよかったんですけど」
かよはそう言って両手を合わせると、食事を始めた。
翌日、かよが着替えを終え廊下に出たとき、大垣と下野も部屋から現れた。下野は少々やせたような気がするが、髪は整っており服も着替えていた。
「おはよう」
「「おはようございます」」
かよがアイネに着ていた服を入れている籠を渡すと、下野が声をかけてきた。
「あの、アタシたちも祈りに行く」
「え?」
予想していなかった言葉だ。今度は大垣が言った。
「実は昨日、騎士の人と話してるの、聞いちゃって。わたしたちが帰れるように、掛け合ってくれたんですよね?」
「……ごめんね、うまくいかなくって」
「そんなことないです。だから、彩芽と話したんです。わたしたちも祈りを捧げて、早く帰ろうって」
「2人とも。……うん、なるべく早く帰れるようにしようね」
「それじゃあ、またあとで」
「失礼します」
下野と大垣は、かよに頭を下げてからアイネに洗濯ものを渡し、部屋に戻った。今度はアイネが話しかけてきた。
「聖女様、いろいろありがとうございます。おかげでお二方の精神も落ち着いたようです」
「よかったです。私にできるのは、それくらいですから」
かよもアイネに洗濯ものを渡して部屋に戻った。
そして朝食を終えてから1時間後、初めて3人で聖樹のもとに向かう。今日はネージェが聖樹に連れて行ってくれた。歩きながらネージェと共に、かよも祈り方について説明する。
聖樹の元に着くとネージェは立ち去り、下野と大垣は聖樹を見ながら口を開けていた。
「でっか。やば」
「これが世界を支えてるって言われたら、たしかに納得するかも」
下野と大垣は興味深そうに、あちこちから聖樹を見ている。そういえば、かよも聖樹をきちんと見たことはなかった。
(ちょっと見てみようかな)
かよは聖樹の根元を見た。表に出ている根っこは太く、曲線を描いている。ふと根っこ同士のすき間を覗くと、見たことのない生物数匹が体を丸めて眠っていた。リスに似ているが翼が生えており、体毛は銀色だ。かよは小声で2人を呼んで、翼のあるリスを指さした。
「え、めちゃかわ。うう、スマホ持ってきたらよかったあ」
下野が悔しそうに言う。すると大垣が的確に指摘した。
「でも電池切れちゃうよ。ここ電気ないみたいだし」
「それな。困るう」
かよはそんな2人のやりとりを見て、小さく微笑んだ。元気になってくれたようで、なによりだ。けれどなにか不安そうにしていないか、今後もきちんと見ておく必要はあるだろう。
「はっ。そうだ、祈り捧げないと。この子らかわいくて忘れてた」
下野の言葉に大垣も「ほんとだっ」と同意した。見たことのない、かわいい生物がいれば観察してしまう気持ちは、かよもよくわかる。
「そうだね。始めようか」
かよがそう言うと、3人は祈り始めた。
1時間半が経ったのか、ネージェが迎えにきた。ネージェを先頭に部屋に帰りながら、下野が口を開く。
「なんか、めっちゃ体だるくない?」
「彩芽も?」
「ってことは、百合花も? 品川さんは大丈夫です?」
「そうね、私もだるくなっちゃうの。肩に力でも入ってるのかな?」
やはり2人も祈りのあとには、だるさを感じてしまうのか。それならば、下野と大垣の祈りの頻度はあまり増やさないほうがいいだろう。
(私が、がんばるんだ)
かよはひそかに決意した。
初めて異世界に召喚されてから、1ヶ月が経った。朝食を終えてしばらくしてから聖樹に祈りを捧げ、その後は各々自由に過ごしていた。かよのところに下野や大垣が相談に来ることも、たびたびあった。
かよはひそかに昼食後も、聖樹に祈りを捧げていた。体のだるさはひと眠りすれば回復したので、問題ではなかった。
夕食を食べながら、かよはふと思った。
(このあとも祈ったら、あの2人は早く帰れるよね。……試してみるか)
おそらく部屋に戻ってきた途端にベッドに倒れこむだろう。すぐに寝られるように準備だけはしておかなければ。かよは食器を片付けにきたケイに、祈りを捧げに行きたいことを告げた。
「聖女様、差し出がましいのですが、少しお休みになられては? ずっと聖樹に祈りを捧げているではありませんか」
「ありがとうございます。大丈夫ですよ、私は。あの子たちを早く帰すためなら、がんばれます」
「……承知いたしました」
ケイは礼をしてから、銀のワゴンを押して部屋を去った。
かよは入浴し、歯を磨いてから、ケイと聖樹に向かう。ケイはいつも口を閉じて、ただ前を向いたまま、かよを案内してくれる。けれど歩幅は、かよに合わせてくれてるためか歩きやすい。聖樹に行くまでならば、もう迷わずに行ける気もするが彼らの職務でもあるようだから、しかたない。
そんな風に朝食後、昼間、夕食後の1日に3回を捧げ、下野や大垣の相談にのる日々が続き、いつの間にか異世界に来て3ヶ月になっていた。
(あれ、なんかいつもより体がだるいな……)
その日、ベッドから出て着替えながら、かよは自身の体の違和感に気がついた。しかし祈りの時間は1番重要なことだ。休むわけにはいかない。かよは重い体を引きずるようにしながら、洗濯ものを預けに行った。
今日の聖樹への案内人はケイだった。聖樹への道のりが、いつもより遠く感じる。
(おかしいな。でも、がんばるんだ。あの子たちのために)
そのとき、体の力が抜け視界が斜めになったかと思うと、なにも見えなくなった。下野や大垣の「品川さんっ?」と慌てたような声が聞こえたのを最後に、かよの意識は途切れてしまった。