厨房に着くと、料理長だという犬の獣人が挨拶をしてくれた。
「初めまして聖女様。私はスートといいます。どうぞ、お見知りおきを」
「初めまして、品川かよです。いつもおいしいごはんを作ってくださって、ありがとうございます。今日はすみません、急なお願いをして」
「いえいえ、大丈夫ですよ。今は食事のピーク時ではないので。それにしても、なぜ厨房を?」
かよはスートに事情を説明した。一応気を悪くさせないために、故郷の味が食べたくなった、という体にしておく。まあ、間違いではないので問題ないだろう。
「なるほど、それで聖女様が腕をふるう、と」
「はい。実物を知っている私が作ったほうが、スムーズに進むと思って」
「申し訳ありません、聖女様の世界の料理をすべて把握できておらず……」
「いえいえ、そんな。普段の食事を、私たちの世界に近づけてくれているだけで、十分ありがたいです」
そんなやりとりのあと、かよは必要な材料について説明した。
「ゆでたまごと、マヨネーズと、調味料、それから食パンなんですけど。ええっと、食パンっていう、真っ白な小麦粉と牛乳で作ったパンなんですけど」
するとケイが説明してくれた。それほどそちらの世界より発達しておらず……。真っ白なパンといえば、王族の食べ物なのです」
「そうだったんですね。それじゃあ多くの人が食べているパンって、どんなものなんですか?」
かよの問いに、スートがパンを持ってきた。
「こちらです」
半分に切られているパンの断面はうっすらと茶色く、ケイの世界で言うところのライ麦パンのような見た目だ。形は丸い。
「四角いパンってあります?」
「いえ、パンといえば丸い形ですね、こちらでは」
スートの答えに、かよは「なるほど」と呟く。
(わざわざ三角形に切ると無駄が出ちゃうな。でもコンビニのサンドイッチって、三角形のイメージが強いし。……どうしようかな)
わざわざ食材を使わせてくれるのだ、無駄がないように作りたい。なにか、パンの端を使って作れる料理はないだろうか。
(一般的には食パンの耳を揚げて砂糖をまぶしたやつとかなんだろうけど。私があれ、あんまり好きじゃないんだよねえ、大量の油を吸ってる感がどうにも。……そうだ)
かよはスートのほうを見る。
「あの、追加で卵と砂糖、あとは甘い香りをつけるなにかは、ありますか? それからオーブンもお借りしたいんですけど」
「はい、大丈夫ですよ。材料があるところにご案内します。それから、オーブンはいつ使いますか?」
「そうですね……サンドイッチが完成したあとに使いたいです。また声をかけても?」
「承知しました。こちらです」
かよはケイと共に、食物庫に案内してもらった。
併設されている食物庫はとても涼しい。おそらくここにも、魔法が使われているのだろう。木で作られた棚には籐(とう)らしき植物で編まれた籠がいくつも並んでいる。
「卵はいくつ必要で?」
「そうですね……5個か6個くらい、いただいてもいいですか?」
「もちろんですよ」
その後もスートに材料を用意してもらう。籠の中に食べ物や調味料が入っているのは、物語のようで、すてきな光景だった。
厨房の一角を借り調理を開始する。
まずはゆで卵を作る。
(今回はマヨネーズと和えるから、固ゆでのほうがいいな)
湯を沸かしているあいだに、ふと気がつく。
(この世界に、マヨネーズってあるの?)
かよは側に控えているケイに尋ねることにした。
「あの、ケイさん。この世界にマヨネーズってあります?」
「まよねーず?」
「はい、卵と油でできた調味料なんですけど」
「卵と、油で……?」
この反応、どうやらマヨネーズはないようだ。ならば作るしかない。幸いにも好奇心で作ったことがあるので、どうにかなるだろう。
(でもあのとき、ハンドブレンダー使ったんだよなあ。こっちに電気はないみたいだし。今回の件に関しては【ジュネの祈り】に関することじゃないから、魔法も認められないだろうし。……混ぜるか、自力で)
下野が今か今かと待っているのだ、頑張るしかない。
お湯が沸くまでのあいだに、マヨネーズの材料である卵黄、油、塩、酢を用意する。
(たしか最初に卵黄と塩と酢を混ぜて)
こちらの泡だて器は、先端がくっついていない。どこかで見た覚えがある。
(ああ、ヘッドマッサージのやつだ。あれってちょっとぞわってするから、あんまり得意じゃなかったな)
よくかき混ぜたら、少しずつ油を入れ、また混ぜる。
「あの、その卵はいつ加熱するのですか?」
ずっと様子を見ていたらしいケイが尋ねてきた。かよは手を動かしたまま、返事をする。
「しませんよ」
「え?」
「マヨネーズは基本的に加熱しません。生卵で作ります。まあ、企業様の作っている商品なら特別な方法で加熱している可能性はありますが、一食分や家庭で作るときは、加熱しません」
「な、生卵を食べるんですか?」
ケイの戸惑いから察するに、この世界では生卵を食べる習慣がないようだ。
(そういえば、海外の人からしても、生卵食べる文化って変わってるんだっけ。なんかで見た覚えあるな)
そして芋づる式に思い出したことがある。サルモネラ菌の存在だ。
「あのケイさん。こちらで生卵を食べない理由は?」
「食あたりを起こすケースが多いからです。生卵を食べるのは、一種の度胸試しにも使われるくらいです」
(……今からじゃ遅いからもしれないけど、湯せんしておくか)
かよは別にお湯を沸かすことにした。
ゆで卵とマヨネーズを平行して作り――ゆで時間はケイに計ってもらった――、ゆで卵を細かく切る。マヨネーズ作りのせいで、腕の感覚はなくなった。