ケイの返事がきたのは、朝の祈りの時間が終わってからだった。
「料理長からは許可が下りたのですが、ジョバロン殿が反対しておりまして」
「理由を伺っても?」
「聖女様には、祈りに集中していただきたい、とのことです」
つまりジョバロンからすれば、部外者にかき回されたくないのだろう。かよは、ジョバロンの言葉を思い出す。
(自由に散策してかまわない、とは言われた。でもきっと、自由にしていいわけじゃない。それなら散策なんて言葉をつけ足したりしないし。言い合いになるとキリがないうえに、丸め込まれそう)
それならば、どう許可をとりつけたものか。
考えていると、ケイに尋ねられた。
「あの、聖女様。そもそもなぜ厨房の間借りを?」
ここで騎士や研究員の表情について話せば、ケイだと申し訳ないと思うかもしれない。かよは本音を隠して答えた。
「私、純喫茶が好きで、いつかお店を開きたいと思っているんです。それで、もしよかったら、騎士や研究員の皆さんに味を見てもらいたくって」
「それだけ、ですか?」
どうやらケイは、本音でないことに薄々気づいているようだ。しかし、確信を持たせるわけにはいかない。かよは頷くことにした。
「それに、いくら自由に敷地内を散策していいとはいえ、飽きてしまうじゃないですか。しかも早かったとしても1年はかかるんでしょう? せっかくなら、そのあいだにメニューの研究なんかもしたいと思って」
かよは笑みを浮かべてそう告げる。ケイは小さく溜息を吐いた。
「……では、そういうことにしておきます。ジョバロン殿には再度、掛け合ってみるので、お時間をいただいても?」
「ええ、もちろんです」
「それでは、失礼します」
ケイが退出すると、かよは思わず溜息をついた。
(ケイさん、鋭いなあ。絶対バレてる)
すると大垣の部屋側の扉が、突然開いた。
「話は聞かせてもらったあっ」
「彩芽、さすがにノックなしは失礼だよっ。すみません、品川さん」
「ううん、大丈夫よ。どうしたの?」
かよがそう尋ねると、下野がこちらに近づいてきた。
「品川さん、純喫茶開きたいの? いいなー、将来行かせてくださいよお」
「すみません、品川さんに声かけようと思ったときに、お話聞こえちゃって」
「あー、うーん。実はお店を開きたいっていうのは、半分本当で半分は嘘なんだ」
「「え?」」
かよは騎士や研究員のために、安らげる空間を作りたいと思っていることを話した。
「え、品川さんめっちゃいい人。アタシだったら、まずそこまで気づけないもん」
「でも、品川さんは大丈夫なんですか? 祈りだって疲れるのに」
「うん、大丈夫よ。ありがとう。……あ、そうだ。このタイミングで下野さんや大垣さんは、欲しいものやしたいことはない? ジョバロンさんに言ってみるけど」
下野と大垣は互いに顔を見合わせると、小さく頷いた。
「難しいかもしれないけど、アタシらの世界の、参考書がほしい」
「授業に参加しないから、どうしても自力で勉強しなくちゃいけないし、元の世界にいたときの倍以上がんばらないといけないと思うんです。内申点にも響きますし」
そうか、内申点。学生時代から離れて久しいかよは、その存在をすっかり忘れていた。なんとしてでも1年で下野と大垣を帰し、少しでも授業に参加できるようにしなくては。
「わかった、言ってみる」
これはケイに話すより、ジョバロンに直接話したほうがいいだろう。かよはケイに相談することにした。
ケイに相談した結果、翌日の昼食時なら時間がとれる、と言われ、かよは首を縦に振った。今、ケイと共にジョバロンの部屋に向かっている。ケイがノックをすると、中から「どうぞ」とジョバロンの声がした。ケイが扉を開けてくれたので中に入る。
「これは聖女様。ささ、お食事をどうぞ。食べながら、話をお聞きします」
「それじゃあ、失礼します」
かよはジョバロンの向かいに腰を下ろす。今日もどうやら、かよに合わせて料理を用意したようだが、気は抜けない。
ジョバロンはナイフとフォークで鶏肉のソテーを切り分けながら、尋ねてくる。
「それで、本日のご用件は?」
「2つあります。まずは、ほかの2人のために、あちらの世界の参考書を用意してほしいんです。あの子たちは、本来なら来年は、進学のための大きな試験があります。学校で学習できなくなるのですから、あの子たちは自力で勉強しなくてはいけません」
「なるほど。たしかにそうですね。……いいでしょう。科目など必要な情報をいただければ、なんとかします」
「ありがとうございます」
もっとも重要なことは先に終わらせることができた。あとは自分の要求を通すだけだ。
(といっても、こっちのほうが難航しそうだけど)
かよは食事に手をつけず、次の用件を口にする。
「もう1つは、私の要求です。食堂と厨房を間借りさせてほしいのです」
「その件ですか。お話のとおり、聖女様には祈りに集中していただければ、と」
ジョバロンの言葉は予想していたとおりだ。しかし、かよもそれなりに考えてきたのだ。
「もしも、祈りに集中するためだ、と言えばどうです?」
「ほう?」
ジョバロンの表情が少し動く。興味を引くことはできたようだ。
「先日、この建物を見学させてもらったときに、気になることがあったんです。食堂に食べにくる人たちは、ずいぶんと疲れているようでした。聞けば、皆さん心が休まっていないとか。心が休まらないと、体も疲弊しますよね。そんな状態の人たちに守られて、安心できるでしょうか?」
ジョバロンの視線がケイに移る。かよはケイが注意されないように、言葉をつけ足す。
「私がわがままを言って、無理に聞き出しました」
「ふむ……」
ジョバロンは考えているようだ。かよはジョバロンから視線を外さず、返事を待つ。
「なるほど。それなら、その疲れを出さないようにすればいいですね」
「疲弊している姿を見せるな、というのは、上層部への不満が溜まってしまうので、よくないですよ。それに増築もすぐに完成するというわけではありませんし。けれど聖女である私が間借りして、ことを始めれば、皆さんの疲労感もましになりますよ。それに外部の業者にこちらを見られるのが嫌だとしても、私ならここにある程度住んでいるので、秘密にする部分も少なく済みますし」
かよは、できるだけメリットを述べたつもりだ。さて、ジョバロンの結論はどう出るのだろうか。心臓の音がうるさい。しかし、それをジョバロンに悟られてはいけない。
ジョバロンが小さく溜息を吐く。
「もしも、祈りと両立ができない場合は?」
「どうとでも。ただし、ほかの2人はこの件に関係ありませんので、私だけという形で」
そう、どうとでもしてくれていい。こんな自分が、誰かの役に立つのなら、それでいい。ジョバロンは口元をナフキンで拭いた。
「この件に関しては、持ち帰らせていただきましょう。仕事がありますので、どうかこれでお引き取りを。もちろん、料理は部屋に運ばせますので」
「わかりました。それでは」
かよは、ケイと共に自室に戻った。