ジョバロンが去ると、下野が舌を出して憎らしそうに入口を見た。
「なーんだ、すぐに決められるんじゃん。やっぱりあいつ、なかったことにしようとしてたよね? 彩芽」
「うん。品川さんだからいいかって思ってるんだよ、あのおっさん」
「いやあ、急になんか始まったから、なにごとかと思いましたよ。でも聖女様、これで堂々と厨房と食堂が使えますね。よかったです」
スートにまでそう言われ、かよはどう反応すればいいか、わからなかった。たしかにこれで、かよの要求は通った。
(でも、このやり方でよかったのかな? もっと、平和的な方法があったかもしれないけど……)
するとネージェがこっそり、かよの隣にやってきた。
「聖女様、どうかお2人の善意を受けとって差し上げてください。いつもおっしゃっているんです、どうすればあなた様へのお礼になるか、と」
「お礼? そんな、お礼してもらうほどのことなんて……」
かよはそう言うと、ネージェは首を横に振った。
「自分とアイネを宛がうようにおっしゃったこと、お2人を早く帰そうと祈りを多くしていたこと、勉学のための本を用意するように要求したこと、すべてお2人に届いているんです。聖女様の気持ち、善意の結果です。どうか、お2人のために、そして聖女様自身のために、お受けとりを」
「受け、とる」
善意も、好意も今まで一方通行だった。同僚も母のことも。
(ああ、本当に返ってくることって、あるんだ)
かよの目頭が再びじんわりと熱くなる。
そのとき下野と大垣がこちらを向いた。
「ねえ、品川さん。メニューどうするの?」
「勉強に疲れたら、あたしたちも来ていいですか?」
かよは、にじんだ涙をそっと拭いて頷いた。
「ええ。いつでも来てちょうだい」
スートが微笑んだまま、かよに声をかけた。
「聖女様、このあとお時間よろしいですか? 厨房と食堂をどう使っていただくか、お話したいのですが」
「あ、はい。大丈夫です」
「では、こちらへ」
かよはスートの指す、食堂の隅の席に移動することにした。かよは下野と大垣を見る。
「下野さん、大垣さん。ありがとうね」
「えへへー、全然っ」
「あたしたち、部屋に戻りますね」
「え、アタシたちも話聴こうよ、彩芽」
「百合花、情報ゼロで行ったほうが、楽しいと思わない?」
「天才か? じゃあ戻るっ」
「それでは、自分がお部屋までご案内を。聖女様、すぐに団長を呼んできます。スート殿、申し訳ないがそれまで聖女様をお願いします」
「ええ、もちろん。ささ、聖女様。こちらへ」
下野と大垣に手を振られたので、かよも小さく振り返した。
食堂の端の席で、スートと向かい合う形で座る。
「いやあ、実は聖女様の世界の料理について、もっといろいろとお聞きしたかったんです。こちらにはない料理が多いですから」
「それなのに、いつも私たちの口に合わせて料理を作ってくださって、ありがとうございます」
かよが頭を下げると、スートは「そんなそんなっ」と両手を左右に振った。
「こちらの都合で、違う世界から来ていただいているんです。それに食生活ほど体や心に密接な関係にあるものも、そうないでしょう。なので、口に合わなかったら正直に言ってくださると、こちらもありがたいです」
かよはふと疑問に思い、尋ねることにした。
「あの、私たちの世界の料理に合わせてくださっているのは、最初の聖女のときからなんですか?」
「いえ、何代かはこちらの料理をお出ししていました。しかし、料理長が先々代に変わったことにより、聖女様の世界の料理をお出しすることになったんです。先々代はもともと、海辺のシーエル
「そうだったんですね」
まったく知らない異世界の料理を作るのにも苦労しただろう。先々代の料理長には感謝しなくてはいけない。
「なので、聖女様のお食事を作るのは、我々厨房内では名誉な仕事であり、好奇心が満たされることなんです。こんなことを言っては、聖女様に失礼かもしれませんが」
「いえいえ、そんな」
そのとき、廊下から足音が聞こえてきた。食堂に入ってきたのは、ケイだった。
「聖女様、お待たせいたしました。スート殿も感謝する」
「いえいえ。さて、それじゃあそろそろ話を本格的に始めましょうか」
スートの言葉にかよは頷く。
「場所はどのあたりにしましょう? 横長にしたいとか、正方形な面積がいいとか、ご希望はありますか?」
「あ、いえ。こちらが使わせていただくので、そちらの都合がいい形でやらせてもらえると……」
「いえいえ、うちはどうとでもできるので、聖女様の希望をお聞きしたいんです」
かよはどう答えようか迷った。メニューは考えていたが、店についてまで頭が回っていなかった。今まで行った純喫茶の内装を思い出す。
(狭い面積を生かしたお店もあったし、広々としたところも入ったけど、居心地と面積って、必ずしもイコールじゃなかった。それにスートさんにも申し訳ないし……)
かよは食堂を見回す。入口から近いところは、通常の食堂利用者の迷惑になるだろう。ならばあまり広い面積は求めないほうがいい。
(軽食とかを用意する場所と、カウンター席。テーブル席は……ないほうがいいか。そこまで面積とったら迷惑だろうし)
かよは入口から離れており、食事が提供されるカウンターからもっとも遠い隅を分けてもらうことにする。窓からは聖樹が見える位置だ。
「ここで使っている、長机2つ分を縦と横に並べた面積を使わせていただけませんか?」
「え、そんな少なくていいんですか? もっと使ってください」
「いや、さすがにそれはご迷惑ですから。厨房も使わせていただくので、こちらでは本格的な料理をしなくていいように、やってみます」
「そ、そうですか? もっと広いほうがよくなったら、いつでも言ってください」
「ありがとうございます」
その後も道具や家具、パーテーションなど必要なものについて話した。
「布でよければ、すぐにご用意できますよ」
「ありがとうございます。あの、布の色はちなみに?」
「たしか茶色だったと思います」
純喫茶にするなら、ぴったりの色だ。かよは「ぜひ、その色で」と力強く頷いた。その後も話した結果、通常の調理器具のほかにも、洗い物ができる魔法の桶――こんこんと水が湧き出てくるらしい――や、ミニコンロのような魔法の道具も貸してもらえることになった。ミニコンロのようなものが使えるのならば、提供できる料理の幅も広がる。
「それでは次は食材ですね。どのようなものが必要で? 一緒に持ってきてもらいます」
「そうですね。先日作った卵サンドは作りたいので、卵とパンはほしいです。あと、硬くなったパンがあれば、譲っていただきたいですね。フレンチトーストを作りたいので。あ、それなら卵ももっと必要か」
「ふれんちとーすと、とは?」
スートが首を傾げた。かよはフレンチトーストの特徴を説明したが、スートとずっと黙って立っていたケイの反応から察するに、この世界にフレンチトーストはないようだ。ほかの人々の反応は、どんなものになるだろうか。かよは期待と不安が混じったまま話し合いを続けた。