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28.響け歌、舞え桜

 ”桜咲舞桜は、言った。”


「あとは、俺に任せとけ!」


 三笠の目が見開かれた。彼女の目には……赤髪の彼の姿が、ハッキリと映っていた。三笠は今、呪詛結界の端の方に立っていて、彼女と五メートルほど離れて相対しているのが早乙女ヒメカだ。そして、舞桜は……ヒメカのさらに後方に静かにたたずんでいるのだった。

 彼の斜め後ろには、佐々木峻佑の姿も見える。


(舞桜くん……あの眼鏡の人が、治してくれたのね……!)


 三笠の目に涙が溢れそうになる。しかし、今目の前にいるのは、別格の強さを持つ呪鬼。片時も油断してはならない。


 なぜ舞桜が、呪鬼の背後に現れることができたのか。それは、峻佑が結界の出口をそこに繋いだからだ。現実空間と切り離された結界の空間……その中に入ることは、一旦もともと居た空間から自分の存在を消すことに等しい。ということは、また元に戻ってくるとき……その本人の意思によって、どこへでも帰ることができるのである。


 だから峻佑は、ヒメカの背後の地点をわざと選んで、元の空間――呪詛結界内に戻ってきたのだ。


 ヒメカは、まだ三笠の一挙手一投足に気を取られていて、傷を治した舞桜と治療者である峻佑が戻ってきたことに気づいていない。



 ……そう、これは絶好のチャンスだ。


 ここにいる誰よりも速く動き、誰よりも攻撃に対する読みが鋭いヒメカを、倒せるチャンス……。



『和歌呪法・しのぶれど 色に出でにけり 我が恋は』


 桜咲舞桜は、ヒメカに存在を悟られぬよう、小さな声で術式を唱える。


『ものや思ふと 人の問ふまで――』


 一瞬の後……彼の手には、紫に燃え上がる一振りの日本刀が握られていた。舞桜専用の『桜刀』である。





 一方三笠も、彼が”準備”を始めた様子を目の端で捉えていた。


 そして目の前の呪鬼を見ると……彼女はまだ、舞桜たちの存在に気づいていないらしい。


 早乙女ヒメカは、天乃三笠をじっと見つめているだけなのだった。もちろん、その構えに隙はない。


「ヒメカちゃん、私とお喋りしようか」


 ほら、除の声主の声に動きが制される前に。


〈お断りするわ、お姉さん。ヒメカが不利になるだけだもの〉


 その卓抜な動体視力で三笠の口の動きを見て、その前に自分の言葉を発しているのだ。だから、今の状態で三笠がどんなにしゃべろうと、どんなに和歌呪法を唱えようと、ヒメカに勝つことはできない……しかしそれは、相手が「三笠だけなら」という話だ。


「いや私としてはさ、ヒメカちゃんを不利にさせたいところで」

〈しつこいお姉さんね。ヒメカ、そんな奴は嫌いよ〉

「呪鬼からは好かれなくて、結構です」

〈お姉さん、なんだかどんどん生意気になってるよ。やっぱりオトモダチより先に呪鬼にしてあげようか……?〉






 相手が、三笠だけならヒメカは勝てる。


 じゃあ

 相手が、三笠と舞桜と峻佑なら――――?






「ヒメカちゃん、それこそ私の方からお断りかな。そしてもちろん、キリカのことも舞桜くんのことも、呪鬼になんかさせないよ」



 三笠のその言葉と同時に、舞桜は、跳んだ。あっという間に赤髪の陰陽師の姿が、美少女呪鬼のすぐ後ろに現れる。



 背後からの完全なる奇襲……ッ!


 舞桜は、桜刀を振りかぶる――――――。


 が、そのとき。


〈お姉さん、さっきからヒメカの後ろを見て、どうしたの〉


 舞桜が完全な攻撃の姿勢をとるコンマ三秒前、早乙女ヒメカが場の異変に気付いた。


〈まさか、陰陽師……!?〉


 ヒメカが素早く振り返る。三笠は青くなった。

 舞桜の存在が、呪鬼に感知されてしまった……。


〈やっぱり。遅いよ、お兄さん〉


 ヒメカが笑う。


〈今度こそ殺し切らないとだね〉


 ヒメカの呪いの刃が生成され、舞桜の刀を弾き返そうとした、その刹那――。


『ヒメカちゃん!ごめん!』


 天乃三笠は叫んだ。相手は負の感情を操作し人間に害を及ぼす悪鬼である。……しかし、三笠の口をついて出たのは、謝罪の言葉だった。


〈え……〉


 ヒメカの目が見開かれ、動きが一時止まる。『除の声主』の声のせいだ。舞桜へ意識を集中しすぎたせいで、三笠の口の動きまで見取ることができなかったのである。


 それは、数で表すことができないほど一瞬の、勝負の世界――――。


 舞桜が、彼女のその隙を、三笠が作ったチャンスを、見逃すはずがなかった。




『呪鬼 滅殺――――――――!』





 斬ッ…………!





 赤紫の炎をくゆらせる鋭い斬撃が今、早乙女ヒメカの身体を切り裂いた。


 呪鬼特有の、緑色の血が噴き出す前に……舞桜の和歌呪法がヒメカを滅してゆく。背中からまっすぐに斬られた呪鬼は、悲鳴を上げる暇もなく、ハラハラと塵に化しているのであった。




 静かに、静かに。

 早乙女ヒメカは朽ちてゆく。その様子を見ながら、口を開いたのは舞桜だった。


「背後からの奇襲とかして、ごめん。でも、こうでないとお前を倒せなかったから」


 ヒメカに語り掛けるように言う陰陽師。そのセリフは、戦いが始まったばかりのころ、ヒメカが舞桜にかけた言葉と全く同じなのだった。


「お前を倒さなきゃいけなかったのは……呪鬼というのはもちろんだが、あとは俺の大事な仲間と、その友達を傷つけやがったからだ。……あの世でせいぜい罪を償いな」



 遠くから、峻佑も歩いてきた。


「こう見ると、あっけないね。でもね……確かに君はすごく強かったよ、早乙女ヒメカ。見た目に惑わされちゃダメなんだって、今回学んだよ」



 音を立てずに消えるヒメカ。三笠も、何か伝えたいと口を開く……が、何も言葉が出てこない。


「ヒメカちゃん……、私、わたし……」


 ずっとモゴモゴしている三笠を見て、もう薄れてしまって見えないほどになっている呪鬼が、小さく笑った。

〈お姉さん……最後まで、なんなのよ〉

「あ、ごめ……」

〈謝ってほしいわけじゃないの。ただね、羨ましいだけ〉


 ヒメカの笑いが、自嘲に変わった。


「羨ましい……?」


〈うん。素敵な仲間がいて、お友達がいて〉


 三笠はハッとした。この呪鬼の言葉が、彼女の本心に思えてならなかったからだ。


〈ヒメカには、いなかったから……おねえさんが、うらや、ま、しい、よ……〉


「え、それってどういう……」



 天乃三笠はヒメカに聞き返すが、その答えがもう返ってくることはなかった。


 呪鬼・早乙女ヒメカは、この世から完全に姿を消したのだった。



「ヒメカちゃん……」


 三笠の右手が、さっきまで少女がいたはずの、しかし今は何もない空間を、そっと撫でる。





 天乃三笠と桜咲舞桜、そして佐々木峻佑の頭上では、生成者を失くした呪詛結界が崩れ出していた。闇のかけらが剥がれ落ち、そしてそれは虚空に溶けていく。戦いのあとの三人の陰陽師を、駅の蛍光灯が照らし出していた。



こうして、早乙女ヒメカとの戦いは幕を下ろしたのである――。



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