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058.白の記憶、青の記憶

 三笠は、今――目の前で起こっている出来事が信じられなかった。纏わりつく白い布をようやく払い落とし、呪言を呟きながら陰陽師――古闇真白に目をやる謎の男。そして三笠をかばうように彼と対峙するグレー髪色の華奢な少年。


〈 この私をお前が倒す……? 〉


 笑止、と嘲る男。その闇色の瞳に、真白への過剰な侮蔑を浮かべながら更に続ける。


 〈 陰陽師一人ごときで、何ができる。せいぜい先程の布のような妙な術式で私の行く手を塞ぐくらいだろう。戯言は程々にしたほうがよい 〉


「戯言……? 巫山戯てんのはお前の方だろ。哀楽」


 少年の上半身に力が入る。いつでも戦闘に入れる姿勢だ。その目に男への怒りが浮かぶ。


 哀楽――そう呼ばれた男は、首を傾げながら余裕の笑みを顔に貼り付ける。


〈 哀楽……? 嗚呼。私の名前は知られていたのか。面白い 〉


「面白いじゃねーんだよ、くそが。一体何人の民間人を殺したんだ」


 はて、何人だったかな……と空を仰ぎ数える哀楽。


〈 十五。陰陽師を含めれば二十ほど 〉


 ――と、その言葉が放たれたその時。


「その、十五って」


 真白の背後から、か細く聞こえる声――天乃三笠だ。三笠は、少しの血の匂いが漂う玄関先に座り込みながら、誰に聞かせるともなく呟いていた。


「アヤと、ユリカと、スミレも入ってるんだよね? 佐紀と時雨も入ってるのかな」


 ゆらりと立ち上がる三笠。その深緑色の瞳が哀楽を捉える――しかしその虹彩に光はない。


 天乃三笠は今、極度の怒りの状態が生み出した無意識下にあった。すなわち脳で考えるのではなく感情の激しい波だけに突き動かされていたのだ。


「……わたしから、もうなにも、うばわないで」


 三笠の口から、悲痛な叫びが漏れる。


「もう……なんなの、やめてよ」


 日常が、壊される。

 身近な人たちが、殺される。


 もうこれ以上は――――。

 わたしが、こわれる。


「あっ、馬鹿! やめろ!」


 真白が三笠を止めようと手を伸ばすが、その指先は空を切った。――彼女は、走り出していたのだ。ただ一つ持っていた、テニスラケットをケースごと握って振りかぶりながら。


 圧倒的な破壊力を持つ、呪鬼に。


「うばうんだったら……


 せめてわたしも、いっしょにころしてよ!」


 聞き取れないほど掠れた叫びを、天乃三笠の口が発した。ラケットが哀楽の頭を狙う。それを捉えて呪いの塊を生成し始める呪鬼。 


〈 『除の声主』――忌々しい限りだ 〉


 哀楽の呟きと同時に真白が動き出す。 


(絶対に守る……)


『和歌呪法・春過ぎて』


 哀楽の漆黒の炎が高まるのを追い越すように、真白の和歌呪法が響き渡る。


『呪鬼滅殺――白竜ノ剣(はくりゅうのつるぎ)』


 真白の右手に白い光が集まり、瞬く間に生成されたのは諸刃の剣。龍の嘶くような轟音と共に、和歌の持つ力が剣に宿る。


『夏来にけらし 白妙の 

 衣干すてふ 天の香具山』



 ――哀楽が目を細めた。そしてスッと右へ避ける。三笠のラケットが、空振る。体勢を大きく崩す三笠。


「もう、わたしもころして……」


〈 もちろん最初から殺すつもりだったさ 〉


 哀楽の片手から、球状に浮き上がった呪いの塊が三笠の頭上に掲げられる。そしてその闇はそのまま、少女の頭を呑み込み――


『……させない』


 斬ッ――――!



 哀楽の両目に白い光が映り、その瞳は驚愕で見開かれる――呪いの塊が、真白の術式剣によって斬られていたのだ。その球体は、みるみるうちに和歌の力で虚空に溶けていく。


〈 忌々しい…… 〉


 なんの表情も浮かべずに呟くと、哀楽は再び黒い球を生成した。今度は真白の動きにも注意を向けている。



(助ける……、助けなければ)


 真白は哀楽から目を離さずに、しかし片手だけは天乃三笠を意識して動いていた。少年は体勢を崩しかけている少女の身柄を支え、軽々と持ち上げて後方へ跳ぶ。


(よし、救出完了) 


 哀楽の諸手に黒い球が二つ見える。


(次はどこから来るか……)


 真白は三笠をブロック塀の陰にそっと寝かすと、剣を握り直した。対峙する白と黒、真白と『哀楽』。



 ――このときの三笠は知る由もないが、古闇真白は『祓』最強の陰陽師・『巴』。しかしその正体は十三歳の、中学一年生になったばかりの少年であり、呪鬼の祖である『哀楽』と対等とは言えなかった。


 いや、そもそも人間と呪鬼とでは持つ力が違う。


 限界を持つ生身の人間である「陰陽師」に対して、呪鬼は多大な負の感情に支配された――いわば人間を、彼らが持つ限界を超越した存在。



(勝てるわけがない)


 真白の手に汗がにじむ。


(新潟県の陰陽師も、ほぼ全滅なんだ。たとえ『巴』であろうと……オレ一人じゃ、勝てない)


 確実に、死ぬ。


 だが、ここには真白一人しか居ない。


(だからオレがやるしかないんだ)


 本当は逃げ出したかった。しかし今から方向転換して逃げるなど不可能。必ず捕まる。大呪四天王『朱雀』――哀楽は、狙った人間は逃さないのだ。何があろうと、決して。





 シュッ。


 僅かな音を立てて哀楽が先に動いた。その長身の身を活かして真白の直ぐ目の前まで跳んでくる。そして至近距離での呪攻撃――。


 真白は一心不乱に剣を振る。運良く白い刃が黒い球の中心を貫く。そのまま剣を振って斬り捨てると、次の攻撃が飛んできた。


「……っ」


 体をひねって避ける。真白という的をギリギリのところで失くした呪いの塊は、そのまま天乃家の隣家の中庭に突き刺さった――のめりこむ黒球。


 今度は真白の剣が先に動いた。鋭い刃が哀楽の首を狙う。しかし――。


〈 遅い 〉


 哀楽の姿が歪んで、消える。剣は大きく空振る。


(何処へ消えた……)


 素早く視線を走らせた真白の背後で囁く声。


〈 お前はそれでも『巴』か? 〉


「後ろか……!」


 少年の左手が動き、剣が伸縮するように哀楽を狙う。白い光が散り、それは当に龍のような軌跡を描く。


 ガガガガガガッ――!


 哀楽の呪いの黒い帯が真白の剣を受け止める。鈍い金属のような音がして、拮抗する二つの力。――跳ね返せない。そしてうまく受け流すこともできない。


(くっそ、次の攻撃が来るのに……動けねぇ)


 真白の碧い瞳が、哀楽の片手に黒球が宿るのを捉えた。この状態でアレが来たら終わり――。


(どうする、どうするんだ……)


 真白はより一層、剣を握る手に力を込めた。ガガガと刃を受け止めていた帯が、徐々に切れ始める。真白が力を振り絞って剣を旋回させると同時に、呪いの帯は斬れる。


 ――斬ッ!


「よし、斬れた」


 これで次の攻撃にも対応可能――と、真白が哀楽の方を振り返ったその時だった。


〈 戦うのに夢中で、周りが見えなくなったかね 〉


 哀楽の声が、真白の頭の中に反響した。


〈 私のそもそもの目的は陰陽師と戦うことじゃない。『除の声主』の確認及び抹殺〉


 ドクン。


 真白の心臓が跳ね上がる。


(『除の声主』……? 古い書物にある、呪鬼に有効な声を持つ人間のことだよな。その名称が今出てくるってことは……)


 少年は慌ててブロック塀の陰――先程自分が、意識を失った少女を寝かせた所に目をやった。


(この子が、声主だというのか? それでアイツは狙っていた……)


 気づくと同時に、哀楽の手から呪いが放たれた。そしてそれは真っ直ぐ、真白にではなく三笠の方へ向かう。そのブロック塀と真白の間には、わずかに術式の届かない距離――だめだ。


「……間に合わねぇ!」





 あの女の子は、死ぬ――。









『和歌呪法・夜をこめて』









 刹那――響き渡ったのは、虚無な第三者の声。



 哀楽の放った黒球は、連続する青いフラッシュのような攻撃の前に砕け散った。



〈 また、陰陽師か…… 〉



 力と力がぶつかりあったことによるエネルギーが、炎と煙を起こす。火花が散り、青い稲妻のような光が時折チラチラと輝く。


 そして煙が晴れたとき――そこには、真白の知らない少年が立っていた。


 紺色の髪に、青い瞳。


 ブロック塀によりかかって目を閉じている天乃三笠を、背中で守るように。



「応援が、来た……」


 真白は束の間の安堵の息を漏らし、


〈 忌々しい 〉


 哀楽の顔に、不快な色が浮かぶ。



 その陰陽師の少年は、哀楽を睨みつけながら小さく咳をした。口元から、ポタポタと鮮血が垂れ落ちている。


「さっきは……よくもやってくれたな、哀楽」


 憎悪に満ちた顔。


「天乃さんだけは、もう俺から奪わせない」


 深手を負いながらも真白の応援に駆けつけたこの陰陽師は――天乃三笠の部活の先輩であり、新潟県の新人陰陽師であった――そして今は新潟県の『流』を務めている、この男。


 夜条蒼空。


 それが彼の、名である。









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