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059.哀しい過去

 現実世界の厳島神社――玄武の呪詛結界に包み込まれた闇の中では、華白とハルが目を見開いて突っ立っていた。初めて彼ら二人の目の前で明かされた、新潟県で起こった出来事の真実。天乃三笠という千葉県所属の仲間と、夜条蒼空という今同じ場所に立っている陰陽師が歩んできた壮絶な過去――。


 こんなの、知らなかった。


 いつもとなりにいて、一緒に戦ってきて、笑い合ってきた仲間が……こんな酷いことを経験してきて、ここまで生きていたんだっていう事実が。


 そしてそれを全く知らずにいたという現実が。


 ハルと華白を、打ちのめす。


「そ、ら……」


 華白が辛うじて声を絞り出した。その紫色の瞳が揺らぎながら、紺髪の少年の姿を映す。


「お前、さっき言ったよな……? あの日、三笠は五人の大切な人を失ったと」


「……言いましたね」


 俯きながら答える夜条蒼空。その表情は、暗がりのせいでよく見えない。


「最初に殺されていた、三笠の友人は……あれは部活の仲間なんだろ? そして蒼空は三笠の部活仲間だった。ってことは……」


 華白はその次の言葉を続けられなかった。


 ユリカとスミレとアヤという名の、三笠の同級生。テニス部の信頼し合える仲間……すなわち、彼女らは夜条蒼空の「後輩」なのだ。一年間、同じ学校に通い、テニスをしてきたひとつ下の後輩。蒼空の性格のことだ。交流の無かったはずがない。


「ええ、俺も失いましたよ。たくさんの、大切な人たちを」


 夜条の声が、自嘲するように笑った。


「――あの少し前、新潟に駆けつけた古闇くんに言われました。『新潟県の陰陽師は全員死んだ。貴方を残して』と」


 夜条の青い目が、ようやくハルたちの方を向いた。目の前で忘れたかった過去を否が応にも見せつけられて、彼の中に眠っていた感情が溢れ出してきてしまったのだろう。その目には、透明な雫が溜まっている。


「あの糸魚川市への哀楽襲来で――俺だけしか、生き残りませんでした。ほかは全員死んだんです。しかも俺はその瞬間を知りません。全員バラバラになって、戦ってて、敵うはずが無いって分かっていても逃げられないから戦うしか選択肢がなくて」


 真白という第三者から、仲間の死を聞いたときの衝撃は――忘れたいほどに大きくて。


「だから、天乃さんだけは守りたかった。もう、何もかも失ってしまったから――せめて、天乃さんだけは。唯一の俺の救いだったから」


 夜条が目を伏せる。再びあたりの空気がうごめき、壮絶な過去の断片が繋がり始める。





 *





「貴方は……新潟県の」


 真白が夜条の方を向いて呟いた。彼は、哀楽から視線をそらさずに頷く。


「夜条です」

「その傷は」

「大丈夫です」


 そういったそばから、血を吐く夜条。赤い染みが、アスファルトに広がる。真白は焦って口を開いた。


「絶対に大丈夫じゃないだろ! どこかに隠れていて。戦わない方がいい」

「そんなの分かってる」


 夜条が低いかすれ声で答えた。


「だけど俺にはもう帰る場所がない。同僚は全員死んだ――さっき君からそう聞いたから」

「それなら、なおさら」


 真白が夜条に向かって言う。


「貴方は生き延びなければ。新潟県の陰陽師を継ぐ者が居なくなってしまう。だから、逃げて。オレがその子は守るし……何とかするから!」


「継ぐ者が居なくなる? そんなの、もうどうでもいい」


 夜条の言葉に、真白はハッと口を噤んだ。二つほど年上の陰陽師――彼の目には、光がなかった。もしかしたら意識が無いのかもしれない。仲間を惨殺されたことに対する怒りだけが、ただその瞳の中にあった。



「これ以上、俺から奪うな。天乃さんは『除の声主』――そんなの分かっていた。ずっと近くで聞いていれば分かる。だけど、そうだから守るんじゃないんだよ。俺の大切なひとの一人だから、守りたい」


 たとえ、そのために俺の命が失われようとも。


「関係ない。ただ守らせてほしいんだ。……俺が、最期まで足掻いて戦った意味が欲しい」


 夜条はそこまで言うと、哀楽を睨み付けた。青色に煌めく御札を掲げ、和歌呪法を唱えようと口を開く。


『和歌呪法・夜をこめて 鳥の空音は はかるとも』


 一瞬、青い稲妻が見えて――次の瞬間には蒼空の周りにいくつもの和歌の力が具現化された球が、出現していた。それらは水しぶきのような輝きを放ちながら、渦を巻いて漂っている。


 それは蒼空の生命の輝き。


 深手の彼は、自分の命を削ってまで和歌呪法を使っていたのだ。


〈 ……哀しい。そこまでして、私を倒そうとするか? これこそ、飛んで火に入る夏の虫というもの 〉


 哀楽が、その青白い顔に、嘲るような微笑みを浮かべながら呟く。蒼空は御札を目の前で旋回させながら、応えた。


「だから、なんだ? 虫とでも何とでも言えばいい。俺はお前を殺す。仲間の敵、大切なひとたちの敵だから」


〈 随分と強気なのだな 〉


 哀楽の周りの空気が、ふわっと解けた。呪鬼が笑ったのだ。心の底から、面白いとでも言うように。


〈 いいだろう。こちらこそ一瞬で終わらせてやるよ……君たちの生命を 〉


 哀楽の口がそう動く。刹那――真白は、言葉に出来ないほどの怖気を背中に感じた。彼の喉が、何かを告げようと、声を発しようと動く。しかしその音が発せられる前に、哀楽の呪いが発動した。



〈『呪鬼術・□□■■』〉



 術式名は聞き取れなかった。ただ、なにか、目の前の男の姿をした呪鬼が、禍々しい言葉を発したことだけは認識できた。


 真白が剣を構え直す。


 蒼空が哀楽に向かって御札を投げつける。


 それより前に――赤い飛沫が二人の視界を覆った。


「ぐはっ……」

「……っ!?」




 それぞれが、その赤色が自分自身から出ているものだと気づくまで暫くの時を要した。何らかの術式で、物理的なダメージを受けた――そう認識したときには、彼らは既に膝を地につけている。



 体が、もたなかった。


 抗う術もなく、胴体が道路に打ち付けられる。視界が廻る。逆転する世界。暗転する視界。


 “何を、された……?”


 わからない。ただ一つ、自分たちの生命がそう長くはないことだけが、確かな事実だった。斬られた箇所が、酷く痛む。


〈 これが、呪鬼と人間の差だ 〉


 哀楽が、二人の少年を見下ろして吐き捨てる。


〈 人は弱い。口だけは達者なようだが、どうあがいても私には勝てない……哀しいな、笑えるくらいに 〉


 ふと呪鬼が顔を上げて、三笠の家が面している十字路の向こうの通りを見た。なにかに感づいたような表情をする大呪四天王『朱雀』。



〈 ……一旦退こう。また声主は狙えば良い 〉



 哀楽は、それだけ呟くと――姿を消した。


 禍々しい気配は一瞬にして去り、晴天の下に漂う血の匂いだけが異常な出来事を物語っていた。


 遠くから、誰かが走ってくる。その足音を片耳に感じながら、蒼空と真白の意識は途切れた。




 *






「……このとき、来てくれたのが琴白さんだった」


 夜条蒼空が小さく言った。


「哀楽はたぶん、琴白さんの気配を察知して逃げたんだと思う、その理由はわからないけど。そして琴白さんが駆けつけて、陰陽療呪法を使ってくれなかったら俺と古闇さんは間違いなく死んでいた。そのときに意識を失っていた天乃さんも助けられたんだ」


 ハルが息を呑む。


「それで、そのあとは……?」


「詳しくは分からない。俺は一週間近く眠っていたから。次に目を覚ましたときには、もう既に天乃さんは千葉に引っ越すことが決まっていた。ご両親にも挨拶をしたけどね……、二人は忘れていたよ。自分たちが留守にしている間、何があったのかを。天乃さんの兄と妹――息子と娘の存在さえ」


 華白は聞き返した。


「三笠の両親が、三笠のきょうだいのことを忘れていた?」


「そう。余程ショックだったんだろうね。彼らが居たという記憶すら失くして、自分たちには天乃三笠という一人娘しかいないと思い込んでいたんだ。だから天乃時雨と天乃佐紀のことは……今、天乃さんしか覚えていない」


 そんな、悲しいことがあってよいのだろうか。きょうだいのことを両親が覚えておらず、自分しか知らない。哀楽が、天乃家を壊したあの日のことを。自分たちが新潟から引っ越した本当の理由を。


 呪鬼という災厄の存在を、三笠一人しか知らないのだ。


「……三笠は、今も一人で過去を全て抱え込んでいるのか……?」





〈どうやら、そうみたいだねぇ〉




 闇の中に、嫌な声が響く。


 夜条と華白とハル、三人が構える。


〈どうだった? 『除の声主』の過去は。傷ついたかな? 知らなかったかな? キミたちがいちいち目を見開いて驚いている様子を高みから見ているのは、とっても楽しかったよ〉


 玄武が、狂ったように笑う。


〈嫌だよね、こんなのを見せたボクが憎いよね? 早く姿を見せて、滅ぼしたいとか思ってるんじゃない?〉


 だったらさ、と暗がりに反響する呪鬼のささやき。


〈「平舞台」においでよ。ボクはそこで待っているよ。海に映える社殿の大舞台。“憎しみをぶつけ合う”ボクらにとって、最高の戦場だと思わない?〉


 ハルが声を荒げる。


「いちいち苛つくんだよ、お前の喋り方。わかったから、黙れ。舞台に行けばいいんだな? そこにお前は本当に居るんだな?」


〈うん、居るよ……。ずっと、一人で待ってる。だからおいでよ、陰陽師さんたち。ボクとたくさん遊んでほしいから〉



 大呪四天王『玄武』・北羅銀。


 彼との直接対決まで、あと少し――。

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