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061.北羅銀

 どこからか鼓を打つような小気味よい音が聞こえた。ポンッ、ポンッ、と拍子を刻むそれは、次第に速く細かく響いていく。


「なに、この音……」


 三笠は反射で耳をふさぐ。その間も鼓の音は鳴り続けている。アキもフブキも、舞台の床をしっかり踏みしめて、いつても飛び出せる構えを取っていた。


 ポンッポンッポンッポンッポンッ――


 ポンッ!


 最後に大きく、跳ねるような音を立てて鼓は止んだ。代わりに先程までは居なかった存在が出現していたのだ――アキの“すぐ右に”。


〈 やあ 〉


「……っ!?」


 声が聞こえ――やっとアキは彼の存在に気づいた。自分のすぐ真横に立つ彼は、馴れ馴れしく眼鏡の陰陽師の肩に腕を回してくる。


〈 随分と感覚が鈍いんだね、アキ 〉


「何故お前が僕の名前を……」


〈 ひょっとしてキミ、弱いでしょ? 〉


 咄嗟の問いかけに、アキは動けない。ちゃんと構えていた筈なのに身体が動かないのだ。足が出ない。術式が唱えられない。


 これが大呪四天王。


 呪鬼の頂点に立つ四体。


〈 だって強かったら、ボクの気配に気づかない筈ないもんね。ね、だよね? 〉


 アキは、ようやく目玉だけを動かして、ちらりと彼の姿を見た。自分の肩にのしかかる体重の主は――。


「北羅、銀……」


 それがお前の姿か。


 アキは少し驚いたような顔をした。こちらを挑発してくる態度、例の神主への酷い仕打ち――そして広島県陰陽師を全滅させたという知らせ。そこから極悪非道の、如何にも悪人のような面を下げた男を想像していたのだが。


〈 ん……? どーした、アキ。ボクの顔に何かついてるかい? 〉


 今アキたち陰陽師の目の前で首を傾げて見せている呪鬼は、そんな想像とは程遠い姿かたちをしていたのだった。


 緑色を基調とした中国服。

 後ろで一つに束ね、毛先まで三つ編みにした銀髪。

 残酷なまでに愉しそうな光を浮かべる青黒い瞳。

 そして、首に蛇を巻いている――少年、だったのだ。


「貴方が、『玄武』なの……?」 


 三笠が目を見開くのも、もっとも。中身はともかく、見た目は純真爛漫な古代中国の少年。十三歳か、そこらの年齢に見える。



 三笠は思わず考えてしまう。

(これが、北羅? ちょっと幼すぎじゃない?)


 こいつが、あの嫌な声音の主なのだろうか。夜条をマネキンの群れで突き飛ばした挙げ句、一般の神社の人間に呪いをかけ、操り人形とした極悪非道の呪鬼なのだろうか……?





「見た目に騙されるな!」



 アキと三笠の鼓膜を揺らす、鋭い声音。



「そいつは見た目こそガキだが、中身は何十人何百人と呪い殺してきた悪鬼だぞ! 気を抜くな!」


 『巴』――氷室雪吹だ。綺麗な青色の髪束を揺らしながら、精一杯叫んでいる。彼女の右手には、銀色に染まった御札。北羅がアキに構っている間に、結界展開の準備まで終えていたらしかった。


 フブキの言葉を聞き、露骨に顔をしかめる北羅。


〈 フブキ。やっぱ、うるさい 〉


「黙れ、北羅銀。メガネから手を離しやがれ」 


〈 やだね、アキには最初に消えてもらう 〉


「日本語が通じないのか? 伊達に千年も、日本に居るわけじゃないだろう」


 フブキの右手が十字を切った。

『和歌呪法・かささぎの 渡せる橋に 置く霜の

  白きを見れば 夜ぞ更けにける』


 一瞬で散る銀の花びら。その氷のような煌めきを持つ欠片たちは、フブキの周りを取囲んだのち空中に散らばる――彼女の専用結界『鵲霜橋(しゃくそうきょう)』が展開されたのだ。



「……お前は今日、アタシが殺す」


 憎悪に燃える瞳で北羅を睨みつけるフブキ。両者の間に何があったのか三笠は知らなかったが、それでもフブキの怒りが人知を超えているものであることは直ぐに悟った――同時に、その怒りが周りを見えなくさせていることも。


「フブキさん、落ち着いて……!」


 『巴』の元へ走る三笠――しかし彼女がフブキを止める、その前に。


「ぐあっ」


 アキの悲鳴が上がった。


「アキ!?」


 振り向くと、アキが右上腕を押さえて膝をついていた。眼鏡の奥の目は苦しそうに歪み、押さえた手の隙間からは鮮やかすぎる赤が滴っている。


「アキ……!」


 三笠はしばし逡巡した。怒りに支配されそうなフブキを助けるか、アキを先ずは救い出すべきなのか。いや、まずは此処で結界展開をして陰陽師側を有利にすべきなのか……?


『和歌呪法・天の原 ふりさけみれば 春日なる

 三笠の山に 出でし月かも!』


 少女の両手から迸る緑色の閃光。


『結界展開・天の……』




〈 ほんとにキミたち、なんなの? 〉 





 三笠の詠唱が止まった。気づくと北羅はアキのところを離れ、三笠の横に立っていた。その存在が放つ圧迫感に、声が出ない。


〈 双子に『流』二人、『巴』と『声主』――少数精鋭で来たんじゃないの? なんなの、お前ら。ボクをからかってるつもり? 〉


 中国服の呪鬼は、その銀髪を揺らしながら三笠とフブキを交互に見やった。


〈 キミたち、びっくりするくらいバラバラだよ。フブキは相変わらず自己中だし、アキは弱いし、声主もよくわかんないけど直ぐに和歌唱えちゃうし。……ボクと戦いに来てるっていう自覚ある? 〉


 本当は一緒に遊ぶつもりだったけど、もうそんな気も無くなっちゃった。


 肩をすくめて笑う『玄武』。


〈 今すぐにでも殺してやるよ。

 『呪鬼術・北羅伝――大蛇監獄』〉 



 北羅銀の両手から発せられたのは、蛇が這うような軌跡の稲妻。その闇は瞬く間に舞台の上に広がり、アキと三笠、二人の胴体を捉えた。その様子はまさに「大蛇」――とぐろを巻くような形で、二人の陰陽師を闇の塊の中に閉じ込めていく。


「ちょっ、やめて……」

「……っ、くそ」


 三笠とアキの叫びも虚しく、北羅の生成した呪いの闇の塊は監獄と化した。どこにも出入り口のない、真っ暗な球が舞台に浮かんでいる。残されたのは、フブキと北羅の二人だけ……。


〈 やっと二人になれたね、フブキ 〉


 北羅は嗤った。


〈 なんだっけ、今日でボクを殺してくれるんだっけ? 〉 


 呪鬼を見つめるフブキの瞳の中には、激しい怒りしかない。その眼差しは北羅を通り越して、別のなにかを見ているようでもあった。


〈 できるもんならやってみなよ。そんな状態で戦えるのなら、だけどね――このままだと、また“あの時”の繰り返しになるよ? 〉


 フブキが地を蹴った。それを見て、うっすらと北羅の口元に笑みが浮かぶ。


『和歌呪法・かささぎの』

〈『北羅伝――蛇紋玄武拳』〉


 銀の光と、緑色の稲妻がぶつかった。生まれる衝撃波、崩れ落ちる床板――そしてアキと三笠は、北羅の監獄に閉じ込められている。


 “バラバラ”な陰陽師たちに、勝機は見えない。

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