天乃三笠は、闇の中で目を覚ました。瞼が重い。身体中に嫌な空気が纏わりつき、奇妙な圧迫感さえ感じる。――ここは、何処? その疑問を浮かべてから直ぐに、三笠は記憶を取り戻した。
(そうだ……私とアキは北羅銀が放った呪いの塊に呑み込まれて……、あっ、アキは)
暗がりの中で、彼の名を呼んでみる。
「アキっ、アキ……!」
しばらくしてから返事があった。
「此処に居る」
その声は三笠の右手の方から聞こえた。周りは闇ばかりで、今自分が呪詛空間の中でどのあたりに居るのか検討がつかない。ただ、背中に壁を感じるところから推測すると三笠は呪いによって生成された狭い立方体のような空間で仰向けになっているようだった。
呪いに包まれているせいか、起き上がる気力は無く、三笠はその仰向けの姿勢のまま右手を動かす。案の定、少し動かしただけで何かに触れた――そう、右の方から聞こえてきた声の主・賀茂明だ。
「これ、アキ?」
アキの肩と思しき部分をペシペシとしながら、三笠は尋ねる。返ってきたのは不機嫌な声。
「そうだ……ってか、天乃三笠。そんなに叩くんじゃない」
「叩いてないもん、ペシペシしてるんだもん」
「どっちも同じだ!」
どうやらアキも三笠と同じように寝っ転がっている姿勢のようだった。真っ暗な狭い空間……視界を奪われてしまっている以上、お互いの状態の把握は困難だ。
「アキ、今何してる?」
「何してるって言われても。寝てるとしか」
「あー、聞き方間違えた。傷は?」
「傷? ああ」
アキが少し笑った。
「そこまで深くなかったから、少し押さえただけで血は止まった」
「それは……よかった、の、かな」
「うん」
しばらくの沈黙。呪いの壁の向こうからは、微かに戦闘音が聞こえる。きっとフブキと北羅が戦っているのだろう――助けなきゃ。
ここまでは考えられるのだが。
「なんか……身体が、動かない」
三笠が呟く。大呪四天王の作り出した、真っ暗な呪いの監獄。この中に居るだけで、気力も戦意も体力も無くなってくる気がする。
「僕も同じだ……身体、重いな」
三笠の声を受けて、アキも呟いた。お互いの姿は見えないが、おそらく状況は同じ――フブキを助けに行きたいのに、身体が言うことをきかない。
――と、そのとき。
ふっ、とあたりの空気に緊張が走った。
「なぁ、天乃三笠」
その空気を作り出したのはアキだった。彼は妙に緊張した声で、三笠の名を呼ぶ。
「……なに、アキ」
三笠は上体を起こしながら聞き返す。身体は重いが、なんとか体育座りの体勢になることは出来た。
アキは少し間をおいてから、もう一度口を開く。
「お前が新潟から引っ越してきたのってさ……やっぱあれなの。糸魚川に哀楽が来たからなのか?」
「……ど直球に聞いてくるね」
三笠は、あの冷酷な眼鏡男子が緊張した顔で仰向けになっている様子を想像して笑いを噛み殺す。
「あ、……ごめん」
「いや、別に謝らなくていいよ。ずっと嘘ついてた私が悪いんだし。それに、その通りだから」
アキが息を呑んだのが判った。
「私が前に住んでいたのは、新潟県糸魚川市。今年の五月一日に『哀楽』が襲来した場所。私はそれが起きたとき、部活仲間と一緒に下校していたんだ」
三笠の、ただ事実だけを述べるような声音があたりに響く。アキはそれを黙って聞いている。
「ちょっと私も、あんまり覚えてないんだけどさ……友達の一人が最初哀楽に襲われて、それで逃げる途中に他の二人も殺されて。で、命からがら家まで着いたら、もっと酷い光景が待ってた」
「酷い、光景……?」
「ん。私、兄と妹が居たんだけどさ、死んでた」
わざと棘のある言葉を選んで使う三笠。アキは左に顔を向けて三笠の方を見ようとするが、闇が邪魔をする。
「友達三人と兄妹を亡くした上にさ……そのときお父さんとお母さん、出かけてたんだよね。だから帰ってみたら酷い有様ってわけ。それで記憶失くしちゃってさ」
三笠が自嘲するように笑う。
「まあ、しょうがないよね。あんな状態だったんだもん。そりゃ皆が存在していたっていう記憶も失くすわけよ……だから今、家族の中で二人が居た記憶を持ってるのは、わたし、だけで……あれ、え? なんで」
三笠は頬に生温かい液体が流れるのを感じた。涙という名のそれは、顎を伝い落ちて、それでもとめどなく溢れ出してくる。
「なんで、もう、過去だって割り切ったはずなのに」
なんで、泣いちゃうのよ。
「三笠っ……!」
賀茂明は彼女の名を呼んで身体を起こした。傷の痛みなんて、どうでも良かった。ただ、三笠の側に居てあげたいと……抱きしめてあげたいと、そう思った。
手探りで彼女の位置を探す。手が三笠の肩に触れた――そのまま、抱きすくめる。
「……ア、キ、なんで」
彼女の途切れ途切れの声が、戸惑いを含む。アキは三笠の上体を包み込んだまま、闇の中で続けた。
「今だけは泣いていい、喚いていい……一人でここまで抱え込んできたんだろ? それくらいは許されるはずだ」
「でも、私だけ助かって」
「関係ない」
「そんな……、私はアキとハルにも嘘をついてきたのに? 呪鬼に遭遇した時だって、まるでなんにも知らないふりをして、『少年漫画風展開みたいで面白い!』とか無理やりな理由つけてみせて、陰陽師になろうとしたのに」
三笠の本音が、そのまま吐き出される。それでもアキは首を横に振り続けた。
「いや、なんにも関係ない。自分以外の兄妹や友達が死んだから自分が生きていることは罪だとでも思ってるのか? そんなの、間違ってる。
むしろ生きていてくれてありがとうと、僕のほうが言いたい」
「アキ……」
なんで君は、そんなに優しいの。
アキがふっと、結び目が解けたような微笑みを見せた。
「よく頑張ったな、ここまで」
ここまでが三笠の限界だった。アキの腕に顔を埋めて、声にならない叫びをあげる。闇の中で、アキの温かさを感じながら三笠はひたすらに泣いた。
これまで一人で抱えてきた怒りを、寂しさを、悲しさを――すべて吐き出すようにして。
ただ今は、自分のとなりに居てくれる仲間の優しさに、すがっていたかった。