目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

《まぼろしの薬草》

 さて、このところダラダラと続いていた長雨が止み、久しぶりにお天道てんとさんが顔を出したある朝のことでございます。

 ぼん太は身じたくを整えてから、でっかいカゴをしょってきました。


「ちょっと向こうの山まで行ってくら」

 それを聞いてウメのまゆはたちまち八の字になります。

 向こうの山というのはめったに人の寄りつかない、危なっかしいところですから、ウメが心配するのも無理はありません。


「そんなとこまで何しに行くんだい」

「それがな、通りがかりの薬売りに聞いたんだが、あの山にはどんなやまいも治しちまうまぼろしの薬草が生えてんだってさ。だからちょっくら取ってくるんだよ」

 薬売りから聞いたというのは本当ですが、それも刃物はものを突きつけ、むりやり聞き出したんですからどうしようもありません。


「おや、薬草ならここいらの草で十分だよ」

「それがからっきしかないから行くんだろ」

「でも今日はおよし。雨上がりの山道はぬかるんで危ないよ」

「なぁに、パッと取ってくるだけだから朝メシ前さ」


 それでもウメは何とかして引き止めようとしましたが、ぼん太はさっさと行ってしまいました。

 よっぽど薬草を早く手にしたかったんでしょうね。


 ウメはいやな予感がしてなりませんでしたが、だんだんと小さくなるぼん太の後ろ姿に、ひたすら手を合わせるしかありませんでした。

「どうか、どうか無事に帰ってきておくれ……」


 しかし必死の願いもむなしく、やはり悪いことは起こってしまいます。

 良いことは二人を素通りしていくのに、悪いことの方は、ぼん太が悪さばかりしてるせいか、向こうの方からホイホイ寄ってくるようです。


 薬売りの言ったとおり、山にはめずらしい薬草がわんさと生えていて、どっさりつみ取ったまでは良かったんです。

 けれどちょっとよくばりすぎたのがいけなかったんでしょうね。


 体の倍ほどもある薬草を背負ったぼん太は、ドロドロのぬかるみに足を取られ、おっとっととふらつきます。

 でもそこが切り立ったがけの上だったのが運のき。

 アッと思ったが最後、薬草もろとも谷底までまっさかさまに落ちていきました。


 地面に打ち付けられるまではほんの一瞬でしたが、ぼん太にはそれがやけに長くゆっくりと感じられました。

 だからその間、自分の生きざますべてをありありと思い返すことができたのです。


 楽あれば苦ありのことわざどおり、楽しいこともあれば苦しいことも確かにあったぼん太の人生。

 でも割合にしてみたら、苦しいことの方がはるかに多く感じられる、みじめな一生でございました。


 まあ、こんなもんだろうというあきらめと、どうしてこうなったのかというくやしさとが、ぼんやりと頭に浮かんでは消え、消えてはまた浮かんできます。

 心残りはただ一つ、ウメのことだけです。

 これからウメを待ち受ける悲しみ苦しみを思うと、それだけで胸がはりさけそうになります。


「おっかさん、すまねえな」

 かすれ声でそうつぶやいたあと、ぼん太は静かに目を閉じまっ暗やみにただよっていきました。


 そうして二日たち、三日たち……。


 いよいよ心配でならなくなったウメは、病になってからはじめて、となりに住む吾作ごさくのところへ出向いていきました。

 ダメになった足をひきずりはうように進むもんですから、ようやく戸口についたころにはもうボロボロです。


「吾作どん、ごぶさたしとりましたのう。あの、とつぜんで悪いがうちのぼん太を知らないかい。こないだ山へ入ったっきり、戻ってこないんだよ」


 吾作はしばらく見ないうちにすっかりやつれてしまったウメを見て、心から気の毒に思いましたが、すぐに意地の悪い顔を作ってはき捨てるように言いました。

「フン、ぼん太のやつ、ついにバチが当たったんだな。いくらみんなにたのんだって探しに行く者などあるもんか。バアさんには悪いがとっととあきらめるしかねえよ」


 ウメはだれよりやさしく親切だった吾作がこんなにも変わりはててしまったのを見て、相手を悪く思うどころか、すぐさま手をついてあやまりました。

 ぼん太がこれまでにどれほどひどいことをしてきたのか、おぼろげながらも一瞬にして感じ取ったんでしょう。


「吾作どん、すまなかったねえ。私がこんな体になったばっかりに、ぼん太がえらい迷惑をかけてたとは知らなんだ。どうか、このババにめんじてゆるしておくれ」

 小さな体をさらに小さくするウメに、奥の方で聞いていた吾作のよめさんがたまらずかけ寄ってまいります。


「バアさん、頭をあげとくれ。そりゃ今までさんざんな目にあわされたけど、ぼん太が死んだとなったらうらみっこなしさ。これからは私らでちゃんとお世話するから、どうか安心しておくれよ」


 吾作の嫁さんは、長いことウメの様子を見にいかなかった自分をせめました。

 何せちょっとでも小屋に近づこうもんなら、ぼん太が鬼みたいな顔してにらみつけてくるんですから、とてもじゃありませんが立ち寄ることなどできなかったんです。


 でもこうしてウメのあわれな姿を見たあとでは、なぜああまでしてぼん太が人を遠ざけようとしたかわかるような気がしました。

 とはいえわかったところで、何がどうなるもんでもありません。

 吾作の嫁さんはただ骨と皮だけになったウメの背中を、やさしくなでさすることしかできませんでした。


 そのあと吾作に背負われて小屋に帰り着いたウメは、心の中がからっぽになったような気がして、いつまでもぼんやりと土かべをながめておりました。


 涙はとめどなく流れ落ちましたが、ついにはそれもかれはて、さすような悲しみだけがせんべい布団に染みこんでいきます。


 すぐにでもぼん太の元へかけ寄ってやりたいのに、それすらできない自分の体がうらめしく、みじめでなりません。

 病になってからはじめて、自らの病に負けてしまいそうになるわが身のはかなさを知るのでした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?